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「次、転倒したら終わりだからね」~その時が来た父と、母と娘の話。

父が、先月中旬に、緊急入院しました。
まだ対応途中ですが、いろんな出来事があったので、記録として書き留めたいと思います。


1.プロローグ~予兆はあった


5年ほど前に脳梗塞で入院して、退院後は車いすや歩行器を使って生活していた父。

リハビリを拒否してやってなかったせいもあるのか、年々足の動きが悪くなっていった。

病院では「転倒しないようにね」と言われていたらしい。
でも去年、転んで足に擦り傷をたくさん作っていた。
病院からは「次、転倒したら終わりだからね。」と言われたと言っていた。

わたしも「そうだよー、寝たきりになっちゃうよ!」と言った記憶はあるが、真剣に想像はしていなかったと思う。

本人も「気を付けないといけないんだ。」と言っていた。

でも、年内に「その時」が来るとは思ってもみなかった。

2.「その時」の2日後の朝

先月、12月中旬の日曜日の朝。

母から電話で「父が転倒して寝たきりになっている。明日病院に連れてこうと思うけど、何科にいけば良いのか…」
という相談の電話が来た。

わたし「えっ?寝たきりになってるの?いつ転んだ?」

母「おとといの夜かな…わたし、もう寝てて、見てなかったんだけど。
昨日、朝起きたら玄関がメチャクチャになってて…父さんが居間で寝てて、転んで背中から下しびれてて、動けないって…。で…」

わたし「えっ?もう丸一日以上たっているってこと?ずっと同じ状態?そこに寝たきり?」

母「そう。病院行こうって言っても、動けないし、もう少ししたら動けるようになるかもしれないから待ってって。でもこのままじゃ…」

わたし「…いや、とにかく行くわ。行って見てみないとわからない。」

電話を切って少し考えたけど…どう考えてもやばい。
しかも、なんで金曜夜に転倒して土曜日=昨日、電話してくれないんだろう…。判断遅すぎる…。

3.救急車を呼ぶ

ダンナと娘と、わたしで車で実家へ。
内心「どんな状態になっているんだろう…」と、怖い気持ちもあり。

実家に入ってすぐ、父がそこに寝ていました。
母に、何かを持ってこいと怒鳴っています。
しゃべっている様子はいつも通り。頭は打ってないな…。

わたし「父さん、来たよ。」
父「あぁ…。転んじゃって、動けなくなってんだ。」
わたし「痛いとこどこ?毛布めくって足みていい?」
父「いいよ…。ダメなんだ。医者から転んだら終わりだって言われてるんだ…。」

毛布めくって足を確認。血が出てるとか折れ曲がっているとかはなし。

強気な父が、少し泣いているように見える。

「大丈夫だよ、どうにかするから。そのために来たから。」
と安心させるために声掛け。

うちは玄関に入る前に階段がある。
わたしとダンナ2人がかりでも、この状態の父をおろせない。

…救急車案件のような気がする。

でも念のため、市の救急安心センターに電話をかけてみる。
救急車呼ぶべきかどうか、判断してくれるだろう。

https://www.city.sapporo.jp/hokenjo/qq7199/index.html

結果、救急車案件であることを告げられる。

そのまま救急車を手配してくれた。

父に「救急車必要だって。呼んでくれるって言ってるから、お願いするよ?いいね?」と声掛けする。

無言で目を閉じている父。

「お願いします」と返事して電話を切った。サイレンが思ったよりも早く聞こえてきた。

この相談ダイヤルにかける時は、必ず本人=患者のそばにいる状態で、かけること。じゃないと、本人同意が取れないため、そばにいる状態にしてからかけ直して下さいと言われ、終話になる。

失敗からの教訓

4.救急車到着

男性救急隊員さん3人が、布製タンカで父を搬送してくれた。
救急車の中で父の検温をすると、38度ほどあった。

救急隊さん「熱ありますね。…受け入れ先探し、ちょっと時間かかるかもしれません。コロナとかの心配あるのでね。」

その言葉どおり、定期的に通院している病院は断られて、いくつか問合せたあと当日の当番病院へ向かうことに。

救急車には母だけ同乗。
わたしとダンナと娘は、車で後を追っていった。

今思えば、この時点でダンナと娘には、先に自宅へ帰って貰えば良かった。この後どのくらい時間がかかるかわからない状態で、7歳の娘の相手をしなければならないダンナは困ったと思う。
病院が街中にあったので、何とか商業施設で過ごしてくれて感謝。

失敗からの教訓

5.救急病院

病院に到着後、ストレッチャーに移動して診察を待つ。

父の前の患者さんは男子小学生くらいで、骨折らしく、時々「痛ーい!痛い!」と声が聞こえてくる。

レントゲン撮影のため移動。その後診察室へ。

若めの当番医さんが、若干キレてる。

当番医「レントゲンみましたが…病名のつく箇所が無いんですよ。痛いところは?」
父「無いです。しびれててわからない…」
当番医「しびれはいつから?」
父「いや、もとからあるんだけど…」

とにかく声の大きい当番医さんだった記憶だけが残っている。

当番医「…、はい、娘さん!お父さんは前と比べてどうですか?」

わたしに振られたので、

  • 確かに、脳梗塞の影響で、脚のしびれは転倒前からある

  • でも、転倒後背中までしびれが広がっている

  • 転倒前は身を起こして車いすや歩行器に自力で移動出来てた

  • 転倒後は身も起こせないし、寝たきり状態なのであきらかに状態が悪くなっている

  • そもそもプライドが高いので、娘が来たら無理してでも座位を取るけど、今回は出来なかった

を、早口で説明。

看護師さんの「寝たきり状態なので、今、家に帰ってって言っても、ご本人もご家族様も困るのでは…」というフォローもあり、そのまま入院に。

看護師「はい、念のため検査しますねー」
で、コロナ&インフル(だと思う)の検査をして、コロナ陽性だったのでびっくり!

個室で隔離入院に。

6.母もコロナか?

翌日の月曜日、病院から「今後について、明日話をしましょう」と呼ばれました。
ちょうど、母と携帯で話してる時に、母の家電にそれがかかってきました。

母は、昨日の夜から鼻水とだるさがひどくなっていると。

わたし「え?母もコロナなんじゃないの?」
母「えー、そんなことないと思うけど。何もしてないよ。」
わたし「いやいや、父がコロナだったら、母もコロナでしょ。」

ということで、コロナ疑いのある母には
「しばらく家から出ないように。食べ物とか困ったら、わたしに電話して。一日一回、様子伺いで電話するから。」
と話をつけて、病院にはわたしひとりで行くことに。

7.社会福祉士さん

前日の夜、ダンナに愚痴ってしまった。
「明日、何言われるんだろう…。行きたくない…。」

でも、やるしかないので、翌日病院へ。

担当医さんは整形外科が専門の方でした。

  • 骨折など、整形外科的な問題箇所は見当たらない

  • しびれや動けないなどが脳神経からきているのか、脳外科の精密検査が必要だと思う

  • この病院には脳外科がないので、他病院に行って受けてきて欲しい

という話でした。

でも本人動けないし、他病院にわたしが電話して手配って…難しそうだけどやるしかないのか…。

そんなことを思いながらロビーでコート着たりして帰り支度していると、制服の女性に呼び止められました。

「すみません、ちょっとお時間頂けますか?」

それが、社会福祉士さんだった。

8.医療行為=お医者さん&看護師さん、それ以外の相談=社会福祉士さん?

別室に移動。

社会福祉士「さきほど、後ろで聞かせて頂いてたんですけど、脳外科の他院への連絡、患者様のご家族様自身でやるように言われてましたが、あれは…」

わたし「はい、自分で出来るのか、いちおうソーシャルワーカーさんこちらの病院にいらっしゃるみたいなので、寄って行こうかと思っていました。」

社会福祉士「あ、わたしもソーシャルワーカーです。」
と言って、名刺を差し出してくれる。「社会福祉士」という肩書が。

わたし「あ、そうだったんですね!じゃあ、このままご相談させて頂いても…?」

社会福祉士「はい、もちろんです。」

※ここから下、社会福祉士さんとの内緒話が含まれるので詳細は省略。

決まったこととしては、

  • 今の病院から「外出」扱いで、脳神経外科のある他院へ行く。

  • 病院は予約できず外来扱いだけど、話は社会福祉士さんがしておいてくれれる。

  • 移動はストレッチャーがそのまま乗せられる福祉タクシーで。これも社会福祉士さんが手配してくれる。

  • 当日はわたしが付き添い。

このような
他院との連携手続き
・患者本人やその家族の希望を聞いて、こういう手続きに反映
は、お医者さん&看護師さんではなく、社会福祉士さんに相談すべき事柄だとわかりました。

このへん、母&父に説明しても難しかったようです。
昔は社会福祉士さんのようなポジションの方はいらっしゃらなかったと思います。
けど、高齢社会で患者増えてるし医療に関する制度は複雑化しているし、役割が増えて独立した役職が出来た感じなのでしょうか。

社会福祉士さんがその病院にいるかどうかは、ホームぺージで確認できることが多いです。
わたしは、日曜日の緊急入院後、帰宅してからホームページ見て確認しました。

まさか、お医者様との話合いを後ろで聞いていてくれてるとは思わなかったので、とても✖10助かりました…。

9.退院か転院か?

すったもんだしましたが、脳外科の他院検査も無事終了。
結果も異常なしでした。

そうなると、退院を打診されるようになります。
…このまま帰宅なんて出来るの?
精密検査の時、ストレッチャーで寝たきりだったのに?
帰宅してもベッドに寝たきり??

と思ったら、緊急入院してから2週間ほど経過し、いつの間にか父は寝たきりではなく、車いすに座れるようになっていました

コロナで個室隔離されている間は面会不可だったので、気付きませんでした。

電話は毎日していたのに、本人がそう言わず…。だから、面会室に看護師さんに車いすで連れてこられて、ビックリしました。

とは言え、

  • 寝た状態から身を起こす、歩行器で歩くなど、すべての動作が入院前とく比べてぎこちなく時間もかなりかかる

  • この病院に階段のリハビリ施設がなく、階段の上り下りが出来るかどうかわからない=家に入れない?

ので、リハビリ施設に転院出来るならしたい。

これを社会福祉士さんに相談しました。

10.リハビリ施設に転院を控えた今

リハビリ施設と言っても、患者が介護認定を受けているかどうかで、選択肢が変わるそう。

もし、要介護1以上なら

  • 介護老人保健施設(略して、ろうけん)

  • 病院に付属の地域包括ケア病棟

がある。
でも、介護認定なしor要介護1以下(要支援)なら、利用できるのは、地域包括ケア病棟のみ。

そして、どこも混み合っていると…。
改めてシニア社会の現実を知ります。

うちの父は要支援認定を受けていたけど、更新してないので期限切れになっていました。いずれにせよ、候補は地域包括ケア病棟のみ。

もうそんなにこの病院に入院継続は出来なそうなので、どうか見つかって欲しい…と祈るばかりでした。

結果、どうにか見つかりました!

来週、転院です。
わたしの車で連れて行く予定です。

11.エピローグ

「この先どうなるの…?」という緊張状態が1ヶ月ほど続きました。
でも、リハビリ施設への転院が決まって、ひとまずほっとしています。

父は寝たきりはまぬがれたとはいえ、実家に帰宅できるかどうかはわかりません。
母も、コロナではなかった!ものの、ひどい風邪症状から脱しました。

リハビリ施設を退院する時、またバタバタするのは目に見えてますが、そのころには介護認定(社会福祉士さんに代理申請してもらっている最中)もおりているだろうし、もっと具体的に考えることが出来そうです。

ふと思ったのは、

「救急車来てもらって良いね?」と言ったわたしの言葉を、父はどんな気持ちで聞いたのかな…ということ。

「転倒したら終わりだからね」と医師に言われていた父。
救急車で運ばれたら「終わりだ」と思っていただろうから、救急車を呼ぼうとするわたしは「死神」みたいな存在に感じたのかな…。

あの時、無言で目を閉じていたな…。

何となく、「助かった」という想いと「余計なことするな」という想いが半々だったんじゃないか…と想像しています。

「決める」のは、勇気がいることなんじゃないかと、そんなことを思う今日この頃です。

この、長い記事を読んでくれた方へ。
少しでも役立つ情報があることを願っています。




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