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慰霊の日2023〜AI世代は「戦争」をどう伝承するか

今日は慰霊の日。78年前の今日、沖縄で行われた日本唯一の地上戦が集結した。毎年6月23日は、沖縄の公休日。その日には、誰もが歴史を振り返り、自らのルーツの尊さを再確認するという。

沖縄には自分は5年間という短い間だけしかお世話になっていない。ただその5年で、あの生ぬるくて気高い空気を、両の肺いっぱいに吸い込むことができた。

沖縄での研修はキツかったが、毎年この日は業務とは別に、病棟のベッドで微睡む大先輩たちに戦争のお話を聞いていた。もちろん、ある程度を相手を選んでいるつもりではあったが。

以前、航空学校を優秀な成績で卒業し、出征直前で終戦を迎えたというオジィの患者を持っていた。

オジィは、文字通り血の滲むような努力をしたという。その目的は、「立派な飛行機乗りになり、出征してお国のために尽くすこと」。しかし、いくら鍛錬を積んでも、どうしても勝てない相手がいたという。結局、オジィは2番に甘んじたが、成績最優秀であったそのご学友は、オジィより先に笑顔で出征していったという。

「僕は一番になりたかった。懸命に努力したけど、ダメだった。でも、僕は一番になれなかったから、今を生きているんだ。彼らの分まで、今を生きているんだ。」

言葉を失うばかりであった。自らの疲労感、虚栄心、プライド・・・全てがちっぽけで、取るに足らないものであることを思い知らされた。このオジィのような眼差しを自分は持つことはできない。そしてもしかすると、それは持ってはいけないものなのかもしれない。

病棟では、冗談抜きで戦時中の元上官の名前を叫ぶせん妄の患者さんが何人かいらっしゃった。彼らにとって、戦争はまだ続いていることは、明らかだった。

AI世代が「戦争」を伝承する意味


「戦争」という言葉から連想するものは、実際にそれを体験した世代とそうでない世代とでは、当然のことながら全く解像度が異なる。

僕らの世代にとっての「戦争」は、教科書や本、メディアで目にした物語やインタビューであったり、家族や語り部の皆さんのお話から想像した破片の集合体である。

神風特攻隊の皆さんが笑顔で出撃していく映像は観たことはある人は多いだろう。しかし、僕らの世代は、それを歴史的資料の一部としてそれを観ているにすぎない。それを観て「痛ましい」「かわいそう」と考える人もいるだろうし、「軍神」のイメージそのままに「尊い」と感じると感じる人もいるだろう。感じ方は人それぞれだ。

人生においてそういった戦争関連資料に触れる機会のタイミングや量・質は人によって異なる。そうして得たものを、元々の考え方やイデオロギーと混ぜあわせ、個々人が異なった「戦争」のイメージを形成する。実際にそれを体験していない人の持つイメージは、もちろん「ホンモノ」ではないのかもしれないが、それも間違いなく「戦争」なのだ。

このように、現在における「戦争」というものは、物語の中にある。実際に体験していない、メディアで見ただけという意味では、現在進行形で起こっているウクライナ戦争も同じなのかもしれない。

では、「戦争」を世の中から無くすにはどうしたらいいか。それは、「戦争」が何者かを知るために、それを実体験している、していないに関わらず、それを物語として紡いでいく以外に方法はないことは明白だ。

戦争を実際に体験した人たちはどんどんいなくなっていく。実際に彼らの口から体験を聞けることは本当に幸せなことであった。しかし、戦争はもう起こってはならないことなのだ。語弊はあるが、そういう方々は時間をかけて「一人もいなくなるべき」なのだ。

そして、いつかそうなったとき、そこに残る「戦争」とは何だろうか。

それは、先人たちが紡いできた物語を、下の世代が継承し、解釈し、形を変えて「存在」するものだろう。そして、その「いつか」は、もうすぐそこに来ている。

AI技術を用いた自動返答生成アプリ「Chat GPT」に、「慰霊の日とは何ですか?」と聞いてみた。すると、以下の答えが返ってきた。

「沖縄における慰霊の日は、沖縄戦で亡くなった約24万人の戦没者を追悼し、平和を祈念する日です。毎年6月23日に行われ、1945年のこの日、第二次世界大戦の沖縄戦が終結したことを記念して制定されました。沖縄では、この日に多くの人々が慰霊のために各地の戦跡を訪れ、花を手向けたり、祈りを捧げたりしています。また、慰霊の日には、各地で平和祈念式典が行われ、戦争で亡くなった人々を偲び、再び同じ悲劇が繰り返されることがないように平和を祈ることが大切になっています。」

ゾッとした。

Chat GPTが返してきたことは、単なる事実を述べただけであり、そこには哲学もコンテクストもヘッタクレもない。新進気鋭のドイツの哲学者マルクス・ガブリエルは、Chat GPTは「壁の落書きにすぎない」と断罪していたが、このChat GPTの説明に、戦争を経験した世代の意識は全く含まれていない。そして何より、「戦争は二度とあってはならないものであること」であるという本質が、全く伝わってこない。

なんと恐ろしいことではないか。「戦争」というものが何であるか、AIからしか学んでこなかった世代が、もうすぐそこまで来ているのだ。

しかし、繰り返すが、「戦争を経験した世代」は「いなくなるべき」なのだ。「戦争」というものが持つコンテクストは、すでに失われているし、それが自然の流れであり、「そうなっていくべき」ものなのかもしれない。

では、戦争を知らない世代ができることは何か。明白だ。「平和」という言葉を「戦争がない状態」と乱暴に定義するのであれば、「平和」の実現には、各自が持つ「戦争」を、ナラティブに、物語として紡いでいく他ないのだ。

発信すること。そして、それを続けること。それは、戦争を知らない子供たちに課せられた使命だ。

2023年6月23日、慰霊の日。78年前、僕たちの世代のために、命を投げ出した人たちがいた。

2023年6月23日、慰霊の日。僕たちは、今日という何でもない一日を、生きている。

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