歪んだ私の幸福論
躁鬱病がとにかく辛い。
この一言に尽きる毎日だ。
とにかく毎日の浮き沈みが激しい。一日置きに元気な時と鬱な時が来るのではなく、1時間おき、いや30分おきなのか。とにかくしょっちゅう頭がおかしくなる。
オンライン授業が始まって、パソコンに向き合う時間がいきなり増えた。講義を聞き、パワポをノートに写し、先生のおっしゃった言葉をまとめたら、軽く5時間くらい過ぎてしまう。ただ、幸いなことに授業数が少ない。そして、土曜日の二限目に授業はあるものの、月曜日が全休なので実質三連休のようになる。
問題は、私が勉強のやり方を忘れてしまったことだ。集中して行うものの、とにかく要領が悪いのだ。100やらないと気が済まない。レベルは低いが完璧主義者。自分が満足いくようなとこまでやらないと、意味がないし、自分に価値がないと思ってしまう。極端な話だが。
しかし、やはりそんなので体が持つわけなかった。勉強中に泣き出したり、家族と話すと無茶苦茶テンションが上がった。と思いきや突然絶望の淵に立たされているような気持ちになる。どこまでも真っ暗で、救い用のないような、。波が不安定で、予測もできない。やる気に満ち溢れている時間もあるが、全然ダメなときは自責に駆られ、薬を飲んで死んだように眠る。明日が来ませんようにと泣くのは高校生以来だった。
高校生の時、自分がうつ病になった理由は大きく分ければ進路に関するストレスだと思っていた。進路が決まったと同時に指定校推薦組は学校生活がゆるくなる。
テストの点がちょっと悪くても、大学に行けるし。という最悪な考えだが、少なからずみんながちょっとのんびりした雰囲気になるのはしょうがないと思う。ここまで皆さん、テスト勉強や委員会、部活にとにかく頑張ってこられたのだから。
私も、指定校推薦のかかった最後のテストこそは別室で受けた李、色々あったが、進路が決まってから、かなりストレスはなくなった。進路に関してはもう悩まなかった。だが、これだけで、鬱は治ってくれてはいなかった。根本にある鬱の闇は簡単には癒えてくれないんだなと思った。まだ自分は病気なのかな。毎日のように親に様子がおかしいと言われてしまう。薬が効かなくなってきた様にも思う。
ツイッターで、キラキラとした大学生活を送ろうとしている同学年のつぶやきをみる。ある方は、もうサークルに仮入部しており、ある方はバンド活動をするらしい。またある方は、芸能界デビューを果たしていた。
なんか、置いていかれているような気持ちになった。この四月、五月、みんなは大学の授業(オンライン)のことばかりはないのだ。いっぱいいっぱいになっているのは、どうやら私だけのようだ。
なんで自分はこんなに要領が悪いんだろう。と考えている。毎日ちゃんと勉強をしている、頭は悪いが努力することはできる。大好きな心理学を学んでいても、たまにとてつもなく嫌になる時があるのだ。なんで自分は幸せに思えないんだろうって。
一生懸命やっていても、空虚な気持ちになる。居た堪れなくなって、全部やめたくなって自暴自棄になってしまう。せっかくのお休みも、1日ずっとなんだか疲れて横になってしまう。ずっと寝ている。こんなの嫌なんだけどな。
日曜の夜。
これから私は毎週この日の、この時間帯は、絶対勉強しない。読みたい本を読み、ブログを書き、音楽を聴き、大好きな炭酸のジュースを飲む。眠くなるまで好きなことしていたい。病むからTwitterは見ない。
この日を楽しみに生きてみようかな、と思ったりする。
まだ私は子供で、自分のことなんも知らなくて、自分のことしか考えられなくて、頭も悪いけれど、とりあえずのいまの目標は、自分を好きになることです。
泣いているときに、たまに、自分を俯瞰で観れる自分が現れる。なんでこんなに泣いてんだろうって。笑えてくるときもある。カッターで体を切っているときも、何やってるんだろう、って思うことがある。自分がひどく情けないと思う。
なんか、もう苦しみたくないな、って思います。もちろん生きているから嫌なことから避けて生きていくことはできないかもしれないけれど、それでも、いまよりももっと楽になりたい。
夢が見つかればいいなって思う。やっぱり、どんなに辛いことがあっても夢があれば心の拠り所になると思うんです。過去の私がそうでした。周りにどんな目で見られようが、頑張っていた時の自分は誰よりも生き生きしていたし、素敵だったと思う。いまに比べたらだけれど。
いまの自分は、なんでこんなに惨めなんだろう。夢が欲しいと最近思うばかりです。
自粛期間中、時間はたくさんあるけれど、その分いろいろ考えすぎてしまいますね。
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