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母の手作りマスク。

実家の母から定期的にマスクが送られてくる。これまでは市販のものだったが、今週いよいよ手作りのものが届いた。母の手作りマスクは、私の心を少し温かく、そして、切ない気持ちにさせた。


私と母は、仲が悪いわけではない。二人で海外旅行した事もあるし、外から見れば平均的な母娘関係だろう。でも、母に対し優しい気持ちになれるようになったのは、ここ5年くらいの事だ。


私が20代の頃、両親が離婚した。親の離婚というのものは、子供に影響を与えるというが、小さな子供や思春期の子供だけではなく、私のような大人にもまずまずのインパクトを与えた。

永遠に続くと信じていたものがなくなる。家族という見えない絆は、こんなにも簡単に分断される。親子だけでなく、親戚付き合いも。今思えば、私次第で保たれた繋がりもあったのかもしれないが、当時の私はそんな事を考える余裕が一切無い程、傷ついていた。そこにあった当たり前の繋がりを、親によって、「ブチン」と一方的に切られたような気がした。色々な意味で、自分の価値観が変わった。


離婚の原因は色々あったと思うが、浮気と借金というわかり易い元凶を作ったのは父だった。私は母と身体の弱い姉と3人で暮らす事になった。住み慣れた小さなマンションから、さらに小さなマンションへ引っ越した。頼まれたわけではなかったが、既に就職していた私は、家計にある程度まとまったお金を入れるようになった。

祖母の介護のため、母が姉を連れて実家へ戻るまでの2年ほど、そんな風に母と姉との3人の暮らしを経験した。互いに励まし合いながら慎ましく、それなりに楽しく暮らしていた。時々近所のお好み焼屋へ行くのがささやかな贅沢だった。

一方で、私の心の中にはどこか、どうしてこんな思いをしなければならないんだ、という被害者意識のようなものがあった。就職して数年経ったら語学留学でもしようと呑気に考えていた私は、本当は私以上に不安だったであろう母を労ったり、気遣ったりすることはできなかった。


家族を養わなければならないと思った私は、必死に働いた。幸い、頑張った分だけ結果は出た。「仕事は裏切らない」というのがあの頃の私の口癖だった。順調に昇進し、好条件で転職をし、以前から付き合っていた恋人と結婚した。

両親の離婚によって、私が漠然と描いていた人生は変わってしまった。が、結果的に、別の道を自分の力で、強く歩き出す事ができた。失ったものの代わりに得たものおかげで、私は自分の人生を私なりに肯定できるようになった。

それでも長い間、母に対してはどこか冷たかった。母は孫の顔をあんなに見たがっていたのに、私が頑なに子供を持とうとしなかったのは、仕事が大事だったからだけではない事を、きっと母も気づいていたと思う。


私が40を過ぎた頃から、母に優しくできるようになってきた。これは、私の年齢もあるだろうが、実は仕事の影響が大きい。職業柄、私は他人の人間関係の悩みを聞く機会が多い。他人にアドバイスしている自分が、一番身近な人間関係に向き合えなくてどうすると、自分の心に問いかけるうちに、次第に母の言葉にちゃんと耳を傾ける事ができるようになった。私も自分の傷を乗り越えるのに、これだけの時間がかかったのだと今はわかる。自分と向き合えてようやく、母とも向き合えるようになったのだ。


去年、仕事で大きな失敗をしてしまった。呆然として夫に連絡をしたが連絡がつかず、動揺した私はとっさに母に電話をした。話をしながらちょっと泣いてしまったが、母は黙って話を聴いてくれた。そして最後に言ったのだ、「辛い時に電話してくれて嬉しかったわ」と。

確かに、これまで母に弱音を吐いた事はほとんどなかった。転職も結婚も独立も、全て「こうする事にしたから」と報告しただけだった。

私には経験が無いからわからないが、自分の子供に全く頼られてないというのは、親にとっては寂しいものかもしれない。私は両親が離婚した時から、人に頼らず自分の足で生きてきたという自負がある。しかし、ここまでの私の道のりを、どんどん強くなって行く私を、母はどのような気持ちで見つめてきたのだろうか。


コロナの影響で、仕事が出来なくなった私に、母はよく電話をしてくる。「ネットで箱で購入したから要らないよ」と私が言ったにも関わらず、母は薬局で見つけたからと、マスクを少しずつ送ってくる。市販のものが手に入らなくなったら、今度は手作りの布マスクだ。

大きめの封筒に、可愛らしい柄のマスクが3枚入っていた。小さくてパステルカラーのガーゼ素材のそれは、ふわりと柔らかく、どこか新生児用の肌着を思わせた。もし私に子供がいたら、母はきっとこんな感じの肌着を手作りしたんだろうな、とふと思ったら、急に鼻の奥がツンとした。

マスクを付けて夫に見せると、夫はニヤリとした。

「お、いいじゃん、お母さんマスク」

私はマスクをした自分の顔を写メで自撮りして「小池都知事のマスクみたいで可愛いね」と添えて、母へメールした。母からすぐに電話がかかってきて、夫の分も作ると言う。「それはほんとに要らないから」と断った。


自粛が明けて仕事ができるようになったら、最初の仕事には、このマスクを付けて行こうと思う。


とりのこ








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