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☆情報と想像性_ネットニュースやSNSを見ていて感じること★

意見をしている人の中には、
〈ちゃんと考えて意見してる人〉と〈悪気はないが、そんな深く考えずに意見してる人〉の両方がいると思います。

テレビ、雑誌、ラジオ、SNS、ネットニュース、本、噂話、etc...。

この世の中にはたくさんの情報が溢れている。
真水みたいな透き通った情報を受け取る時もあれば、
飲めたもんじゃねぇな、って感じの泥水みたいな情報も受け取る時もある。

その中でもネットニュースやSNSは、
オリジナルの内容を目にしたかどうかもわからない人がまとめた文章が拡散され、そのことを信じた誰かがまたそれを拡散するという状況が起こりやすい媒体、サービスだと思います。

ネットニュースやSNSというのは”元となった情報が真実かどうかを確かめる”という手順を省きやすい環境だからだと考えます。

なぜなら、できるだけ短い文章数行でまとめられたものを見て判断し、それを元に自分の意見を持つ方が手っ取り早くて、ラクだからではないでしょうか。

ですが、それらの情報をそのまま受け取って自分の意見を持つことは、果たして大丈夫なのでしょうか?

全部とまでは言いませんが、ネットニュースやSNSにあがってきた情報を見ていてのぼくの感想はこんな感じです。

「発言した当の本人は、そういうつもりでは言ってないと思うんだけどなぁ」

「本人の記者会見を映像で見たけど、ぼくは〈怒りをあらわにしていた〉とは感じなかったけどなぁ」

「文章にすると確かにそんな感じだけど、
ラジオ音源で聴くとそんなニュアンスじゃなかったけどなぁ」

などです。


ぼくは、誰かがまとめた情報からなんだかイヤな印象を受けるのは、
発信した人の認識や意向がその内容には、込められているなと感じたときです。

そもそも人の受け取り方は多種多様なものだという前提がぼくの中にはあるので、全く同じ意見や批判になる方が珍しいと考えています。

むしろ、「そこの部分は私もそう思うけど、他の部分はちょっとそうは思わないわ」っていう、情報発信を受け取った全員がちょっとずつ違う意見になる方が自然です。

純粋な情報を元にしたって、考え方や捉え方なんてバラバラなんだから、
受け取った人の意見もバラバラになって当然であって、それは決して悪いことじゃない。

では、なぜ意見がそんなにバラけないのでしょうか。

その理由は、[受け取った情報にそこまで興味がなかったから]か、[自分でもう少し調べようとは思わなかったから]じゃないのかなぁ、と思います。

ぼくだったら、
相手が芸能人や著名人に限らず、自分で意見を言うんだったら
可能な限り自分で元の情報、オリジナルの情報をチェックした上で発信したいです。

当然、時間がかかってめんどくさいですし、調べるエネルギーも使いますけどね。
でもそんな感情以上に、「フェイクニュースをまき散らした一員にはなりたくない」という想いの方が勝っています。

ウソ情報により、ある存在に対する自分が持つ見方、自分が持つイメージがかき乱されるのはハッキリ言って、めちゃくちゃ嫌なんです。

自分以外の誰かに対しての反対意見に通じるものに関してなら、なおさらそう思います。


これを怠ると、気がついた時には「自分がフェイクニュースを作る側に回っていた」なんてことになる可能性も決して低くないと思います。

「そんなつもりはなかったんです」と言ったって、
やられた方にしてみれば、そんなの関係ありません。
人の頭の中、心の中なんて見えないですからね。。

自分で確証ある情報だと感じるまで、納得するまでは、
その情報自体を”決めつけない、判断しない”といった、
こういう決断、判断も大事だと思いました。


自分が受け取った情報に対して物申したいのなら、
せめて、
[その情報は正しいのか]、
[その情報に触れたときに自分はどう感じたのか、どう思ったのか、どう考えたのか、の伝え方が失礼になっていないか]を、自分で確認する必要があるのではないでしょうか。

最低限、この作業を通過しないといけないんじゃないのかなぁ。



Twitterの場合、
タイムラインに上がってきたものや、トレンドになっていたもの見つけて、それをタップ。
目についた他のユーザーのコメントや投稿されている情報を元に、自分の考え方、感想を生み出す場合が多いように思います。

ネットニュースなんかの場合もそうです。
検索エンジンのトピックスに上がってきたものや、検索結果に表示された情報を元に、自分の意見を持ちます。

そしてその正しいのかどうかもわからないその情報だけで、
人やモノ、会社やサービスに対する自分の持つイメージは簡単に変わってしまいます。

「えっ?あんなに良いい人そうな人が、こんなこと言っていたの?」
「マジ最低。今度、テレビで観てる番組にこの人が出てたら、速攻チャンネル変えるわ」

ってな具合に。

実際にその情報は正しいのか、この受け取り方はおかしくないのか、と
情報を確認するために自分で調べる人は、いったいその情報を受け取ったうちの何%を占めるんだろう。。

あくまで個人の感覚ですが、おそらく少数派でしょうね。


意見をすること自体がダメなんじゃなくて、
手抜きをした情報収集によって得た情報を元にして発信した自分の意見で、誰かを傷つけるようなことは、やっぱするべきではないと思うし、自分はしたくない。

それが対象となる存在への、せめてもの礼儀だと思います。

ましてやファンでもない人が
「前からなんかこの人嫌いだったんだよね」「シャクに触ってたんだよね」
という理由で失礼なことをいうのは、シンプルに失礼だ。

特に人やモノに対しての批判、反対意見を発信するのなら、ソース(出処、根拠)を確認する。

すべてのものにソースが必要だとは思いませんが、こういう誰かを傷つけてしまう可能性のある場合においては、必要だと思います。

じゃないと
「え?そんなこと言ってませんけど」って、
本人からしてみても、叩かれているその人のことが好きな人からしてみても
的外れ過ぎていて、結果的に謎の主張をしてきた者への信頼は著しく失落すると思うからです。

自分の発言により、
自分の大好きな人を傷つける可能性があることを忘れないようにしたいですね。

ps.
いろんな人の情報を介して受け取った情報、
その情報はもしかしたら、本人に自覚のない悪い人が自分の勝手な認識や感想を入れ込んでいるものかもしれない。

自分の手元に届いたものは、とんでもなく濁っていた情報だったということもあるでしょう。

そして、間に介する人数が増えるほど、その情報が濁り淀んでしまう可能性は高まります。

感じ方は人それぞれ。
でも、最初の情報元は一つ。
「真実はいつもひとつ」ってコナン君もおっしゃられているように。
まー、その真実っていうのものが、なかなかわからないんだけどね。

片方の言い分、意見だけを聞いていては
いつまで経っても真実は見えてこないし、起こった事柄に対する判断もできない。

両方の面から光を当てなければ、真実は浮かび上がってこない。

[ 完読.ありがとうございました ☆★ ]

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