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日本“道”のなかに、なぜ「農“道”」がないのか?
前回の続きです
すぐに近場で自然農を学べるところを探して、あれよあれよと勉強会に参加。
思い立ったら猪突猛進。
まるで鬼滅の刃の猪之助状態のわたしは、この日いい意味でへし折られることになります。
勉強会は月に一度、無料で開催しているらしく、
集まっていたのは老若男女、全員で30人ほど。
ハットを被った男性が、倒木の上に腰掛けた。
「なんか寒いなぁ」といいながらもくもく湯気があがるカップを手に持っている。
なんだか雰囲気があるおじさま。畑の持ち主で、どうやらこの方が自然農を教えてくれるらしい。
さっそく種取りとか、土づくりから始めるのかなぁ!とわくわくしていたけれど
そこから半日をかけてフィロソフィーと呼ばれる精神対話の時間がはじまったのです。
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おじさまは、全体を通して
「自然の中で生きるうえで、どう自然を見る目を養い自然に沿っていくか。その人間性を高めるということがまず大事なんだ。」ということを懇々と説いてくれたように思います。
これって一見、人対自然のことを言っているようにみえて、人対人にも通ずることがあるなぁと思ったのです。
自然農を実践している方々から、慣行農業が一般的な地域のなかで自然農をする難しさをちょいちょい伺うのですがその中で印象に残ったお話。
その方は、仲間といっしょに村の農地を借りて自然農を実践しているそうです。
農薬もトラクターも使わずに、雑草も生え放題な畑を見て不思議に思ったのでしょう。
村の人は「なにを遊んでいるの?」という感じだったそうで。
土地を貸してくれていた大家さんのところにも苦情がいくようになってしまったので
「自治会でお話しさせてください」というと、自治会に入らないといけないというので、「なら自治会に入らせてください」というと
なんと入会金が80万円かかると、、、!!
これでは話し合いも何もできない。
時すでに遅しという状態だったのです。
代々続いてきた農家さんからすると、農薬やトラクターを一切使わずに雑草も伸び放題、虫に狙われやすい自然農はほかの畑にも影響しやすいし、“異質”に感じられるのはたしかに、当たり前だよなぁ。
しかも、若者がどんどん出ていって他との交流に乏しい村社会。
そんな中にいきなり見ず知らずの人たちが、異質な農業をやっているとなったら、これはあまりいい気もしないかもしれない。
どうにか最初に、うまく手をつけられなかったのか、、、。
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街に住んでいると余計に難しいけれど
そこに「住まわせていただく」「何かをさせていただく」という意識が土地に棲む虫や動物、微生物、雑草などの自然から人に行動を通じて伝われば。
少なくともこの件でいうと人に対しては、このような話し合いもできないところまでは行かなかったんじゃないかなぁ、ともやもやした。
厳しい言葉をかけられたり、なかなか理解を得られない。そのような状況で、いやいやこれがいいから!!と突き進んでいってしまうのは、
いくら自然農という調和のとれた方法があっても、対立が対立を呼んでしまう。
自然というのは天気にしても
刻一刻と変わるもので
今は農薬とかでコントロールできるように思えていても、結局それに依存したり全然関係のないところにまで悪影響を及ぼして別の問題をつくっている。
コントロールなんて本来できないこの自然の中でできることは
どうして虫は葉っぱをかじってしまうの
どうして元気に育ってくれないの
どうしてこんなに雑草が生えてくるの
と相手をよく観察し、理解しようとする心。
邪魔だから殺虫剤や除草剤をまくとか、肥料を入れまくるとか、そうして自分に沿わせるのではなく、自分が相手に沿っていくという意識を育てていくということ。
私は、良いものなんだからみんながやったらいいのに!という単純な考えを持っていたことに、「草や虫を敵としない」という意味の深さに、このフィロソフィーを通して気がつくことができました。
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このあと、学びの場として解放されているおじさまの田んぼを見学。
「ここを借りるということは、村の中で作業させていただくということだから、年に数回ある「溝普請」(田んぼに引き入れる溝や水路、防火用水などを掃除する地域行事)に参加するようにしてね」
しかも
「ここは(貸すのに)お金とってないんやけどね」
とのこと、、、!
人間性を高めることが大事って生態系を重んじるっていうことだけじゃなくて
やっぱり、、、そういうことなんだ。
“行きはよいよい”きた私、ここで完全にへし折られます。
対 人、自然環境、生態系にまですべてに通じるこの対立を生み出さないという心。やっぱり自然農だからこそより育まれるものなんじゃないかなぁ。
まだまだわたしは未熟で、これがいい!と思ったら突っ走ってしまうところがあるけれど
この心が本当に自分の中に根付けば、、、
こんな心がわたしを通して少しでもみんなに広がっていって、すこしでも平和に繋がったらいいな。
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日本にはいろんな“道”がある。
「剣道」が礼にはじまり礼に終わるという、心身を鍛えて相手を重んじる心を育む道ならば、
「茶道」が和敬清寂という理念を通して、心を清らかにし細部まで広がるおもてなしの精神を育む道ならば
「農“道”」は自然を通して
“沿い応じ従いまかせる”というしなやかに相手を受け入れ、全ては繋がっているんだ、という愛とか優しさに溢れた精神を育むことができる、
いま必要な“道”なんだと思う。
こんな深い道だと思っていなくて、完全にへし折れたわたし。
畏れ多くて、田んぼを借りるのはもうすこし考えてからにしよう、、、!と思って一度断ったのだけど
おじさまに、「借りる?どうする?」と迫られ
腹をくくってその道に足を踏み入れることになりました。
(田んぼのほかに畑も借りて作業させていただくことに、、、!)
これだけ語って、まだ実践はしていないので(笑)
初心の気持ちは出し切ったので、次からは実践したことを書いていきたい!
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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