”生涯現役”だった祖母が残してくれたヒント
「”桃の花”と書くんですけどね。3月3日生まれなんです、この子。」
祖母は友人に私を紹介するとき、ニコニコしながら決まってこう言う。
「あら、素敵なお名前。」
そう言われて嬉しそうな祖母を見て、私も嬉しくなる。
毎年誕生日になると、そんな会話と共に祖母のことを思い出します。
「桃ちゃん、」
歌を歌うみたいに私の名前を呼ぶその声が好きでした。
祖母との一番古い記憶は、真っ白い砂浜を一緒に歩いた日のこと。たぶんだけど、4歳くらい。
少し肌寒い日で。目に入る砂が鬱陶しくて口数が減った私の横で、祖母は機嫌良さげに何かを口ずさんでいました。
その日は私が突然「海に行きたい!」と言ったらしい。きっと当時の私は、ただ思いついた場所を言っただけなんだけど。
家族旅行でよく行くその海が、私の中で「おでかけ」の場所だったのです。祖母も「近所にお散歩」のつもりでいただろうに、電車で3時間もかけて連れて行ってくれました。
小学生の頃、祖母と二人旅をすることになりました。これもたぶん、私が旅行したいとかそんなことを言ったのだと思います。
「桃ちゃんの行きたいとこ、全部行こう」
祖母と2人、青春18切符を握りしめて家を出ました。修学旅行のしおりみたいなのまで作ってくれてて。結局いろんな駅で寄り道をして予定通りにはいかなかったけど、2人で近畿をぐるっと一周しました。
振り回してばかりの私と、付き合ってくれる祖母。
そんな祖母と過ごす時間は心地よく、彼女は私にとって「親友」のような存在でもありました。
逆に、私が振り回されることもたくさんあって。祖母は自分で立ち上げた会社で、イベントのディレクションのような仕事をずっと続けていました。
「仕事って60歳までじゃないの?辞めへんの?」
中学生の頃、疑問に思って聞いてみたことがあります。
「そうやねぇ、私にとってライフワークやからね。」
当時は言ってる意味がよくわかりませんでした。
そんな祖母の仕事はよく手伝ったもので。
あれもこれもやりたいって、色んなことに付き合っては振り回されたのも、今となってはいい思い出。
何より振り回されたのは、私が大学生の頃。
「種子島に行って、イベントをひらきたい」
故郷である種子島で、どうしてもまた仕事がしたい。癌になって、痩せて小さくなった祖母が言ったのです。
心配する周りをよそに、本人は楽しそうな顔をして。
「やりたいことができるって、幸せやね。」
痩せ細って、髪も抜けて、それなのに誰よりもキラキラして見える彼女が痛いほどに眩しく、そして羨ましくもありました。
悩んだ時、困った時、よく考えます。
祖母ならどうするかな。なんて言うのかな。
迷った時、どちらを選ぶのかな。
やりたいことはやっていい、行きたい場所には行っていい、直接言われたことはなかったけど、祖母はいつもそう教えてくれているかのようで。
一緒に過ごした21年という時間の中で、ヒントをたくさん残してくれていました。
今日から、人生25年目がスタートです。
「桃ちゃん、今日は何がしたい?」
もう会えないけど、そう言いながら微笑む祖母の顔がふわっと脳裏に浮かびます。
私は何がしたいのかなぁ。
まだぼんやりとしか分からないけど、
彼女のようにいつまでも自分にわがままに、
強く、愉しく、生きていける人でありたいな、なんて。
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