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146. 南へ(1)

 気付けば27になっていた。生まれて1万日が目前だ。ダイアナウィンジョーンズの世界だと奇怪な呪いをかけられるんだっけ?つつがなく暮らしております。日が長くなって俄かに元気を取り戻し、マルセイバターサンドと平均律クラヴィーア曲集にハマり(第2巻第4番嬰ハ短調のやつがイチ押し)、旧友と15年ぶりに会う約束を取り付けた。特に思想に変化がないので、売りつける壺がない。比較的旧ではない友には、noteを更新していないことがバレている。最近の遠出の話をさせてもらう。

 北野武のソナチネと呪術廻戦を観ていたら沖縄に行きたくなった。フィクションの人たちは死期が近いと緯度を下げたくなるっぽい。でも元気なうちに澄んだ海泳ぎたくない?

 真っ当な社会人が気合いを入れ直す年度初めにLCCをとり、西表島に飛び立った。さすがに人間が少なくて、死ぬほど暑くはないだろうから、という算段である。桜はまた今度。

 普段より心持ち強めに上司にゴマをすり、夜の明けないうちにスーツケースを引き摺って成田空港へ急いだ。夜明け前が一番暗い?ふざけるな。何もかもが気に障って足がもつれた。東京で稼いだ金と東京で溜まった鬱憤を地方に落とすのは誠に不本意だが、結局これが一番合理的である。田舎からは別の田舎が遠いので。人に紛れて暮らし、時たまあちこちに繰り出して人から少し遠ざかるのが丁度良い。

 ドピンクの機体がドン曇りの空を突き破っていく。東京から俗物が放たれる。
 飛行機は何度乗っても苦手だ。今のところ今年だけで6回は乗ったが、相変わらず手汗が止まらない。9割5分Wikipediaと仰天ニュースのせい。誰だよ窓に黒いつぶつぶが貼り付くとかいう文章流したやつ。

 今回の旅のおともは莫言の『紅い高粱』。東北旅の時に遠野物語を買い、ただの一度も開かずに持ち帰ったことを反省し、とりあえず気候も気性も真反対のものを選んだ。そのおかげか、妙に読み進められた。凌遅刑の描写に至り、余計に手汗が湧き出てくる。鈍色の雲の切れ目からうっすらエメラルドグリーンが見える。窓越しに湿度を感じる。ページからはひたすらに真紅が迸る。寒空に乾いた風。落差と気圧差でアドレナリンだばだばである。旅には補色の物語がおすすめかもしれない。

 昼前には石垣空港に着いたが、空腹が限界を迎え、ジェラートを食べた。ココナッツ味とグァバ味。限定に弱い。弱くてよかった。たぶんドカ食いダイスキもちづきさんの顔をしていたと思う。正気を取り戻し、フェリー乗り場に急ぐ。

 アロハシャツにグラサンビーサンという出たちのにーちゃんねーちゃんの多さに内心戦々恐々としていたが、全員石垣空港で綺麗にはけていった。助かる。一人旅の最大の脅威は騒がしい同年代である。自分がそうであったように、仲間といる時に独り身の奴が気になることはまず無いが、そういう問題ではない。
 バスを待ってボサっと立っていると、同じ一人旅と思われる人が写真を撮ってくれる。一人旅あるある。急に話しかけられた顔で映るため、急に石垣島にテレポートさせられた写真になる。こちらは上手く撮ってあげられただらうか。

 お待ちかねのバス。一人旅の楽しみランキング5位以内に食い込んでくるものがバスの時間である。どんな恐ろしくつまらない旅をしてるんだよ、と思われるだろうが、知らない街でバスに乗るのめちゃくちゃ楽しくないですか?できれば地元住民の生活圏を通っている路線で、できればおやつが手元にあって、できれば夕方あたりで。機嫌の悪い人はあまりバスを使わないからかもしれない。
青森のむつ市で乗った時なんかはかなり理想的だった。タクシーに乗り継ぐので、間違いなく路線が途切れるギリギリのエリアだった。緑、緑、建物のグレー、ベージュ、おばあさんたちのお喋り、間延びしたアナウンス、蟠桃のわずかな重み、まとわりつく眠気、またしても緑、緑、緑。冗談のような林檎農園の連なり。

 初夏の石垣は彩度もコントラストも高かった。最南端のチェーン店、といった類いの看板が通り過ぎる度、小さな歓声が上がった。観光客ばかりだと随分空気も変わる。これはこれで好き。腹が減って狂いそう。
 フェリー乗り場に着くなり飲食店を探して駆けずり回る。あった、ゴーヤーチャンプルーを出してくれる定食屋さん。食いっぱぐれに並々ならぬ恐怖心があるため、行く先々で飯候補を押さえてある。2人しか客がおらず、自室より狭い店内でこれまたあっという間に食べ終わる。昔からゴーヤーチャンプルーに目がない。スパムでもベーコンでもちくわでも何でも良き。ゴーヤがしゃきしゃきして苦ければなお良し。自分が作るのも他人が作るのも美味しい。

 バスに並んで楽しいのが船である。移動ダイスキ多動さんである。ドカ食いした直後でも何ら問題ない。脆弱な胃腸と屈強な三半規管で離島に繰り出す。

 マジで揺れた。とんでもなく揺れた。船底がバシンバシンと海面を打つ音が聞こえ、胃がふにゃふにゃと持ち上がった。欠航にならないだけ良かったが、そこらへんのテーマパークでも身長制限がかかる動きをしていた。ギャンギャン騒いでいたキッズもライカを担いで大はしゃぎのおじさんも、ほどなくしてすっかり寝静まってしまった。さすがに上下運動の中で莫言先生のお話を読む気概はなく、1時間ほどボンヤリ揺られ続ける。
 なんか珍しいネコチャンの島まであと少し。(つづく)

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