見出し画像

愛して、愛して、愛して


久々に悲しみに触れた。少しだけ泣いた。
本当に少しだけだったけれど、それでも泣くのは久々だった。泣かずに済んでいたのか、泣くこともできなくなっていたのかはわからない。
わからないから、ちゃんと悲しめたことさえ今は嬉しかった。



昨日は久々に厚手のパーカーだけで日中外に出られるくらい暖かかった。十二月なのに春みたいで、びっくりするほど長閑だった。春はこんな感じだったな、と思い出した。時間が止まったような穏やかさなのに、胸をついてくるような逃れられない切なさがあって。この冬を越えたら、もうすぐ卒業なんだなと改めて実感した。

今年も冬を越えてしまう、忘れられることなど一つもないのに



いつまでも厄介で愛おしく、どうせ忘れることも離れることもできないししたくない、感情はまるで人間みたいだ。感情一つが人間の形をして私と向き合い対話をしているような、それ程の質量の重さを持っている。
名前をつけた瞬間軽くなってしまうような気がして思い出とも呼べず持て余した温度を共有していつまでも殺されたような気でいる。

難しく考えなくていい、なんて話ではなく、難しく考えることしかできなくて、こんがらがっていく中で絡まっていくことも自覚していて、それでもやめないのはやめられないからなんだよ。

貴方が好きという言葉だけで感情だけで概念だけで一生を終えたかった。


こんなに傷つくなんて思わなかった、とかじゃない、傷つくことがあろうとも愛していけると思っていたのに、心まで取り壊されて失ったようなものだからいつまでも苦しいの

それでも見紛うことなく好きだと知っているから私は一生をかけて苦しむのでしょう





私達は御伽噺の中で生きているわけではなく夢であろうと現であろうとロマンだけで満ちていることはあり得ない世界で、ずっと呼吸をしている。生きていくと知らず知らずのうちに誓っている。愛して、愛して、愛して、それでもそれ以上に傷ついて絶望して、性懲りも無くまた愛していく。


大丈夫、ちゃんと好きだしちゃんと悲しいよ。ずっと。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?