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花束はドライフラワーになって散った


「結婚してください」


よくあるドラマのように


目の前にはパカリと開かれた箱に


婚約指輪のダイヤが輝いていた。



23歳の誕生日。


私は自分でも驚くほど冷めていた。


あぁ、私はドラマのヒロインのような

タイプではないのだと

この時に初めて、静かに知った。


この人は私をみてない。

結婚がしたいんだ。

直感的にそう感じた。


Mr.Childrenの

渇いたkissのメロディーが


私の周りを漂っていて


終わりのテープが


一歩ずつ近づいてきていた。


ジリジリと。



前にも後にも進む勇気のない


ズルズルした自分に嫌気がさしながら



訪れたのは、星の王子様ミュージアム。


初めて星の王子様を知った。



大切なことは、目に見えない…

心でみないと、物事はよくみえない…


伝えたいことは何となくわかる。

とても惹かれる言葉だけど

どういう意味なんだろう。


そんなことを考えながら

小さな教会を見つけた。


目に飛び込んできたのは


十字架に磔にされたイエス様。


その上には星の王子様らしい


宇宙のステンドグラス。



その瞬間、声が聞こえた。



"失恋したい"

"その人じゃない"



当時の自分の心の声とは思えなかった。

どうしてそう思ったかといえば

その音がとても無邪気だったからだった。


それについて考えていたのではなく

それは突然流れ込んできた。

心よりももっと奥底の

魂からのメッセージのような感覚もした。


今思えば、それが声のはじまりだった。

きっと子どもの頃は聞こえていた声。



その声の言う未来を想像した。

何年も一緒に居た人とお別れをする。

考えただけで怖い。

何もかもが変わってしまうのは間違いない。

失恋なんて…想像しただけで苦しい。

その人じゃないってことは

他に誰かが居るってこと?

私はこれからどうなるんだろうか。

だけど

考えれば考えるほど

あの時聞こえた声が忘れられなかった。


悩みに悩んでいた時

友人から1冊の本を勧められて

その中の言葉にとても惹かれた。


本当に自分にぴったりくる相手に
出会うには

違うのかなと思う人と
ちゃんと別れなくちゃいけない

どんなにひとりが寂しくても
ちゃんと別れる

だって本当の(縁)は
中途半端な人のとこに
なかなかやってこないから

結婚のずっと前 /  坂之上洋子


違うのかなという感覚が難しかった。

ただ、ただ

好きとも言い切れない

嫌いとも言い切れない

グレーな感情と

圧倒的な価値観の不一致が

目の前には立ちはだかっていた。



結局、この言葉がどうしても離れなくて

お別れをした。



それから私は

失恋の感情を思う存分味わい尽くした。

私がもういいやと思える日まで

泣いて泣いて浸り尽くした。


別れてから

友人を介して

別の人とすぐ結婚したことを聞いた。


プロポーズという

言葉の無意味さが悲しくて泣いた。


当時応援してくれていたと思っていた

友人たちは祝福ムードでいっぱいで

本当の友達ってなんだろうと考えた。


結婚=おめでとうの言葉に初めて

違和感を感じて

取ってつけたような

言葉の気持ち悪さを感じた。


心もこめずに使う言葉は

とてもふわふわしていて

誰に届くこともない。


家族や本当の友達たちが私を抱きしめて

私を想って一緒に泣いてくれたり

たくさんの愛と言葉をくれた。

そしてたくさんの本と出会った。



しばらくすると失くしてきてしまった

忘れてきてしまった感情や感覚たちに気付いた。

若い頃の恋愛によくありがちな

相手に合わせてしまう比重が

多かったことに改めて気付いた。


私が本当に好きなものを愛でたり

嫌なものは嫌という勇気を持ったり

私が本当に言いたいことを

ちゃんと伝えられるように


私が、もっと私らしく生きるために

自分を知り

自分で自分を愛してあげて

自分で自分を満たせるように

自分で自分を楽しませられるように


まず、ひとりでちゃんと幸せになると決めた。


その時にもうひとつ

ある言葉に出会った。


松岡宏行さんのツイートの言葉。

ただね、早く結婚できればそれが女性の幸せか?そうでもないよね。
その人なりに成熟して、大人になって
男を見る目が確かになって、
そうして選んだ彼と
結婚できればいいのであってね。
男を見る目も定まらないうちから
早く結婚したいって焦ると
一生を台無しにしちゃう。


結婚したいとは漠然に思っていたけれど

分解していくと私は結婚したいのではなくて

パズルがパチッとはまるくらいの

この人だ!!という人に出会いたい

のだと、気付いた。

漠然と絶対に居るという確信はあった。

でも、もし出会えないのなら結婚しない方が

私の場合は、幸せだと思った。



じゃあ実際に出会いたい人って?

私はどんな人と過ごしたいのかな?

そうしてノートとペンを持ち

こんな人がいいな

こうだったら幸せだなぁ

そんなことを考えながら

理想をとても細かく20個以上書いた。

かき終わってから

あ〜楽しかった!とノートを閉じた。

書くことで思考が言語化され

より、考えがクリアになる。

そう思ってたんだ、自分。

という発見が楽しい。


この頃、色々な本との出会いがあった中で

とても大切に思っていた詩があった。

服部みれいさんの

だからもうはい、すきですという詩集の

「おかあさんわたし、プロポーズをされたの」

それがわたしにとっての
彼からのプロポーズでした

あるあきのよる
おそばやさんで

絵本『きみがすき』
童話『ピッピの冒険物語』
パティ・スミスの写真集

この3冊を かれがくれたの
ぜんぶすき くみあわせもすき 
かったばしょもすき
ずっとおもい本をもっていてくれたことも
わたされたばしょも

おかあさん、わたし、しあわせよ
彼が わたしを あいしていることと
彼が わたしを まもってくれることが
この本たちから よく わかったから

3さつの本は
わたしへの じじつじょうの
ゆびわであった


これが好きで好きで、たまらなかった。

寝る前に何度も何度も読んでは

このおふたりの関係性や愛に感動していた。

なんて素敵なんだろうと、本当に憧れていた。





それからしばらくして

小学校の同級生から

SNSを通じて連絡がきた。


10年ぶりくらいに会うことになり

トントンとお付き合いが始まった。

何年かして、ふとノートを書いたことを

思い出して見てみたら

20個以上すべてが彼そのものだった。

驚いてすぐにそのノートを見せたら

これ、全部俺のこと?と笑っていた。



27歳の誕生日。

「連れて行きたい場所があるんだ。」

「どこに行くかは秘密。」


そう言われて

乗り込んだバスがついた場所は

星の王子様ミュージアムだった。


これがあの時聞こえた声の

答えだと思った。



そしてあの小さな教会へ、足を踏み入れた。


声は何も聞こえなかった。


けれど私は心の声で報告をした。


"失恋は、私にとって良い経験でした"


"この人でした"と。


その日の夜

プロポーズの言葉とともに

本をプレゼントしてくれた。


何も伝えていないのに

どうしてと思って聞いたら

本を贈る以外には考えられなかったと言う。


こんな幸せなことあるのかなぁって

思いながら何度も何度も眺めた詩は

目の前で現実になった。

この確率ってどれくらいなんだろうか。

そう考えながらも必然だったとも思った。



この日起きたこと全部

この日話したこと全部

私は死ぬまで宝物のように

大切にして生きていくと思う。



大切なことは、目に見えない。
心でみないとものごとはよくみえない。


その言葉の意味が

とてもよく分かるようになった。


言葉や行動には

嘘や本音が入り混じっていて


愛してると言われたからと言って

愛してるとは限らない。


愛してないって言ったって

愛してる場合もある。


プレゼントをもらったからといって

私を本当に想ってるとは限らない。


幸せだと言われるものを

手に入れて本当に幸せだとは限らない。


結婚してほしいと言われたからと言って

私じゃなきゃいけない理由は証明出来ない。


付き合っていても、結婚していたって

私が本当に大切かどうかなんて測れない。


形や言葉の奥にある本質を見極めるには

心でみるしかみえてこない。


私が欲しいもの

私が大好きなもの

私がプレゼントしたいものは

いつも

目に見えないものだった。


究極は

形がなくなっても

残るものだけが

本物の大切なこと。


心でみないと

ものごとは本当に

よくみえない。


人間の精神の成熟とは

目に見えないものが

見えるようになることを言うのだそう。


これからもっと私なりに成熟して

見えないものを

見える人になりたい。


そして同じくらいに

見えないものを大切にする人たちと

私は生きていく。


当時の失恋したいという

一見何を言ってるのか

わからない言葉も

無邪気な言葉通りに

私は失恋が纏う空気感や

その瞬間にしか味わえない

感情たちが好きだった。



そして、失恋を経験して

一生懸命向き合った人が

私はとても好きだ。


その切なくて儚い世界観は

私の作品づくりにも活きている。



私に失恋というプレゼントをしてくれて

ありがとうと、今は思う。


自分の心で物事を見つめて

自分の感覚を大切にしながら

すべての選択を

ひとつひとつ決めることは

自分への愛に繋がっているから

本当に尊くて美しいことだと思う。


自分で決めたという責任を

自分で負えたのなら

正解も不正解もなく

あなたにとって一番正しい選択なのだと

私は思う。



それが出来た人が

幸せになれないわけないじゃないか。

間違いなく、素敵な人になる。

だいじょうぶ

だいじょうぶだよ、と

今、泣いている

見知らぬ誰かにも

静かにそっと伝えたい。


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