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「私」は私にとって、一番理解し合える存在

子供の頃から、勉強も趣味も楽しんで一生懸命する子供だった。それで良い結果が出ると嬉しくて、褒められてまた嬉しくなって、夢中になっていた。

中学生の頃。何よりも大切で大好きだった「家族」という存在が壊れてしまう少し前...。家族の雰囲気が不穏になっていたのに、それよりも私は勉強を優先していた。少しでも多く点を取りたくて、一つでも上の高校に合格したかった。義務感や焦りはなくて、ただゲーム感覚で楽しんでいた。

そんな調子で何も考えのないまま、地元ではそれなりに名の通る進学校に入学した。思った以上に勉強量も授業のレベルも大変で、目の前の課題をただこなすことで手一杯だった。入学後しばらくしてから、家族がバラバラになった。それでも目の前のことから手が離せなくて、きちんと向き合っていなかったと思う。

幼い頃から私にとって家族とは、何よりも大切で大好きな存在だった。この家族さえいれば自分は幸せだと、感じていた。家族が、幸せと全てのエネルギーの源だった。

その大切な人たちが、目の前で傷ついて、荒れていくのを見ながら、私は何もできなかった。気がつけば、力の源を失った私は、無気力で自己評価の著しく低い、卑屈な一人の大人になっていた。

何かに一度ハマったら夢中になって、呼ばれても聞こえなくなるタイプだった私が、何にも夢中になれなくなった。真面目で一生懸命な頑張り屋だった私が、大学の授業をサボって家でだらけるようになった。笑顔な素敵ねとよく言われていたのに、一日中誰とも喋らず、不機嫌な表情が多くなった。マイペースで自由だった性格が、人の目を気にして声すら楽に出せない、ビクビクした人間になった。

何もしたくない。生きていても何も楽しくない。将来はどんより曇っている。もう、人生を放棄したい。何もかも、どうでもいいや。

投げやりで感情の薄くなった今の自分が大嫌いだ。でも、そうでもないと生きていられない。

頑張っていた昔の自分は、ただ大人たちの言いなりだったの?今の怠けた自分は、身勝手なの?どちらに転んでも、責められ、見捨てられる。

ううん、頑張っていた私は、自分が楽しくて、やり甲斐があって頑張っていた。今の頑張れない私は、頑張りすぎちゃう自分のバランスをとるために、一生懸命試行錯誤している途中なの。私のことは、神様の次に私が一番よくわかってる。

ただ楽しくて頑張っていた私が、いつから、なぜ無理をするようになったのか。それは今もまだよくわからないし、上手く言葉にもできない。今頑張れない理由も、解決方法も、いつになったらこの曇り空から抜け出せるのかもわからない。

でも、焦る必要なんてない。まだまだ若いし、大失敗しても、休んでも、逃げても、どんなにバカにされても大丈夫。きっとそうして、無意味に感じる毎日を積み重ねて、歳を重ねていった先で、確かな何かを得ていくんだ。

ただ一つ、自分だけはいつでも自分の味方でいよう。どんなに格好悪くても、「私」は私にとって、一番理解し合える存在だ。時には厳しく、時には甘やかしながら、一生守っていってあげよう。


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モヤモヤした気持ちをただ書き連ねてみました。文章に(なっているかはわからないけれど)するだけでも、大分、心が落ち着きます。

そしてこんな乱雑な文章を読んでくださる方達がいることに、心から感謝します。

自分自身の内面と向き合いながら、考えたこと感じたことを、これからも書き残していけたらなと思います。苦しさから抜け出し、もう少し前向きで明るい内容を書ける日が、早く来て欲しいものです。。。

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