知っているという喜び
今日は久しぶりに、本当に久しぶりに友達と遊びに行った。
いつからか、自分のことを理解してくれる人なんていないと思うようになり、自分をさらけ出して付き合うことをしなくなったから、誰かと行動を共にするなんてもう5年くらいぶりだ。
自信がなくて、とにかく自分のことが嫌いだから、苦しくて仕方ない。でも、世の中のみんな、自信なんてないまま生きているって、わかってる。
生きているだけでこんなに苦しいのは、自信がないからじゃないのかもしれない。
就活の話をたくさんした。私もネガティブだけど、友達はもっとネガティブで悲観的で、共感できるし力にもなりたいのだけれど、ずっと聞いていると私まで憂鬱が増す、、、とも感じてしまう。
私は、神様を信じている。
神様が、私の全ての罪を赦し、聖くしてくださったこと。
いつでもどこでも共に歩んでくださり、必ず祈りに耳を傾けてくださり、必要を満たしてくださること。
だから、これから歩む道に不安はあっても、同時に絶対的な安心感がある。光がある。
イエス様の愛を知っているのといないのとでは、本当に視野や人生の見方、生き方が変わってくるということを、改めて感じた日だった。
「兄弟愛をもって心から互いに愛し合い,尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。」(ローマ12:10)
このみことばを実行できるよう、ここ最近はよく祈っている。
〈祈り〉
人を自分より優れた者と思い、愛に溢れた歩みが出来るよう、助けてください。自分を誇らず、いつも第一に神様を求める、子供のように素直な信仰と、謙虚さを与えてください。
神様。私のような罪に汚れたちっぽけな存在さえも、神の子として選び取り、愛し守り続けてくださる深い憐れみに、感謝します。
アーメン。
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