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マノミコト

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こころのおくのほう。毎日更新。     マルハダカ。
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#文章を書く

2021/8/3 「私は」

私は、私が書く文章で、人の心を動かすことができるだろうか。救えなくてもいい、というか、そんなエネルギーを持てるはずがない。でも、心をちょっとだけ動かすくらいなら、と期待をしている。自分のいのちを書き、滲ませることができた時限定だ。 幾度か幾人か、優しい人が言ってくれたことがある。嬉しかった。その時その時で、毎回最初と同じ嬉しさを感じた。だから、浮足立っていると思う。でも、正直、確信がない。自信のなさが原因かもしれない。でも、それだけじゃない。言ってくれた人達のことを信じてい

2021/7/31「蝶」

誠に生きられたことがない。当然と言えば、当然か。誠かどうかなんて結局最後の最後にしかわからないのだから。 「恋に誠も、偽りもない。」と言われていたが、なにも、恋に限ったことではない。現に私がそうなのだ。 どんなに思い焦がれていても、涙ながらに言葉を発したとしても、何かに揺さぶられてしまえば、それは偽りとなる。いっときも誠から離れず生きることなんて可能なのだろうか。 それよりも、私の生はもっとひどいものだ。誠にできたことが一度もなく、生きてきた。誠に生き続けて来られなかっ

2021/7/30 「思うこと」

伝えたいことがある。「思うこと」がこんなにも私の近くに居座るのは、決して私の意志ではなかったということだ。 「思うこと」が私の両肩を抱いて少し後ろに立っている。私の外側にいて、その手を放そうとしてくれない。がっしりとこの身を捕らえ掴んでいる。 けれど嫌な感じはしない。二人で一つ、たまたま目に映る存在が私であっただけ。生きることというか、何かを成し遂げようとすることに熱があるのはむしろ彼の方で。私はただその力に押されているだけ、という感覚だ。 なぜ、この世界の地に足を着け

2021/7/26 「月見る夜」

実はあの前日の晩、私は月を見ていた。いつもは見ない場所に光が真っすぐ差し込んでいて、不思議に思い、月を見たのだ。まん丸で大きくて、月の光にはめずらしく強さを感じた。 満月か、と思っていたのだ。カーテンの隙間から窓を覗いて上を見て。前日の晩は一人だった。 深夜の。自分が放つ音しか聞こえないこの時間に、普段は見られない光を見つけ、興奮していた。薄青い光が白壁に沿うようして屈折し現れるあの空間。身近なところに存在した神秘さの味わいは舌に残ってしまう。 だから、今日が満月だと聞

2021/7/21 「フラット」

この雑誌はカタカナがよく出てくるなと毎回思う。暗闇に光を落とせばすぐ消えて。また落としたと思ったら、またすぐ、暗闇に戻っていく。そう、いうなればホタル。カタカナがホタルのように一つ一つの文章の中に潜んでいて、私は毎回、アッ!アッ!と光の誘いにまんまと乗っかってしまうのだ。 わざとだと思う。多分、距離をとるために。文字が文字としてそこにある。 文章を書いていると、ここぞ!という時に妙な力が入る。伝えたい私からのメッセージに、良い言葉とか美しい言葉を多めに、そして大胆に。「見

2021/7/17 「初心」

思って、感じ取ることが好き。面白い見方、私なりの見方は要らない。相手の本当の一部分に近づけたらそれが一番良い。これ以上の嬉しさはないのである。 「本当」に指先で触れてみたい。掌全体ではなく指先で、皮膚に触れないよう産毛だけにタッチしてみたいのだ。「本当」はきっと青い炎だ。それを守るのが皮膚で、産毛は何だろう。守ることはできないが、体温を保つために外側から柔らかに包み込むのがそれだろうか。 汚い外界の空気に全面が触れ「守る者」や「本当」が腐ってしまわぬよう、無数の仲間と、高

2021/6/21 「なんでもない日」

なんでもない日、なんにもない日、毎日がどれも大切でどれも特別で素敵な日です。なんて言えません。 何にもない日は、ゆったりとしていて楽だなと思えたり、好きな動画を何時間もぶっ通しで観られたりと癒されることもたくさんありますが、その反面。何で生きてるんだろうなとか、これからあと60年もこうやって生きていくのかとか考えてしまう日でもあるのです。 どっちに転ぶのかはその日になってみないと分からないけど。こういう時は素敵な日だとは思えません。疲れてしまうし、しんどいから。 金閣寺

2021/5/5 「刹那」

人は生起し死滅する。それを刹那に繰り返しているのだと聞いた。 佐藤正英の「日本倫理思想史」序論、である。 刹那に生起し死滅する。それを繰り返している。そうだ。 だとすれば、私はなんで「殺せ」と思いながら文章を書いていた時があったのか、皆目わからなくなってしまった。勝手に死滅しているなら殺す必要なんてないし、殺しても生起してしまうのなら、もっと殺す意味がなくなってしまうのである。そもそも「殺せ」なんて本気で思えていないかもしれないし。 文章の中か上で、生きている。生きてい

2021/4/14 「文章の中か、上の世界」

部屋に飾ってある額縁に誘われて、約9年ぶりに開けてみることにしました。右上の方、今もそっちを見ると視界に入ってきます。でも今日は誘ってこない。どうしてこないだは、こっちを見つめていたのでしょう。 流石に9年もの時が経つと、埃がかなり覆い被さっていて。でもなんだか白いんです。汚いって感じじゃなくて、それよりも興奮が勝ち誇った顔をしていて、別世界に行くかのようで。映画とか物語の中で、登場人物が埃を払って何かを読んだり見つけたりするときの気持ちが、わかったような気がします。そうい

2021/4/10 「ドクダミ草」

違う。違う。違う。どれもこれもみんな違う。私の欲しいものじゃない。億の、千万枚で買えるように軽々しくないのです。ほとんど衝動的だった。ほとんどって、何。一ミリは脳が動いていたと思うからです。探したの。 文章のなかで生きたいってそう思った。言葉が出てきた。言葉が出てた。気持ちとか夢とかそういうのじゃなかったの。 書いていたら「いのち」があって、それが「ここで生きたい」で、その、ここっていうのが、文章の中だった。上かもしれない、けど。それはまだわからなくて、でも、文章は確かで

2021/4/6 「キナリノカナリア」

あのキンキンごえは、毒。毒を毎日浴びています。今日も昨日も一昨日も。明日だって明後日だって、私がここにいる限り毎日聞くことになるのです。そんな毒を大体毎日浴びていたら、身も心も弱くなる。ちょうど、骨の髄が見えなくなっていくところです。 二階にいても聞こえてくる、下からの声。聞きたくなくても聞こえてくる、あの声。たった今、ドアを閉めて必死に逃げたけれど、今度は外側から家の壁を這い上がってきて、出窓から入り込んでくるのです。 だから、どこに行っても逃げられない。 聞いている