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自己肯定感の正体


心理学でも子育てでも、
どこに行っても大事だと言われる「自己肯定感」。

わざわざ中学受験して入った国立の中学校で、
(スクールカーストによって)自己肯定感がめちゃくちゃになってから、
長らく、自己肯定感をどう高めるかが課題だったように思います。
つい最近までそれは大きな問題だったように思うのですが、
ふと気にならなくなりまして。
それは、自分の自己肯定感の正体に気づいたからなのではないかと思います。
それまでは「条件付きの自己肯定」、
つまり、東大卒だとか、友達がいるとか、職場で必要とされてお金をちゃんと稼げてるとか、
そういう客観的に是とされる条件を満たしていることによって、自分で自分を認められる状態を保っていたように思います。
じゃあそれがなくなった自分はなんなのか
考えるのが怖くて、
必死に「自己肯定感できる条件」を積み上げていたと思います。
しかしあるとき、こう思ったんです。
その条件ぜんぶなくなったらわたしに何が残る?
ーーーーー
不安だからこそ必死に積み上げてきたのに、それ全部ひっぺがしてみても、あったんです。
価値があると思える自分が。
それは
「なにもなくても、また一から、全て積み上げるであろう自分」。
これだけは揺るぎなく自分に残ると確信できていて。
これがあるから、きっと自分はなんとかなる、と思える。
つまり、自己肯定感って、
自分の内側にある「力」への信頼、なのかなと思いました。
奇しくもそれは、自分が肯定できなくて「条件」を必死で積み上げてきたからこそ、
信頼でいるほどついた「力」なんですよね。
ーーーーー
自分も自分が嫌いだったし、そうやって苦しんでいる人や、
自覚してなくても自己肯定感の低さが原因で人間関係うまく行っていない人って
いっぱいいると思います。
多分、あらんかぎり、
思いつくことをもがいてみたらいいんじゃないかと思います。
そうやってしか前に進めないことだと思う。
自分を守って縮こまっていても100年で一歩も進めないが、
もがけば1年に1歩進むかもしれない。10年で10歩進むかもしれない。
だれしもがもがいたら自己肯定感をいだけるはず!
とまで言えるほど、
強い根拠を持ち合わせているわけではないですが。
苦しすぎたら逃げていいけど、
もがける体力があるなら是非もがいたほうがいい、
という人生訓をシェアしたいのでした。


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