見出し画像

掃除ができない自分のことを許そうと思った

最近になって変化があった。苦しむことなく、掃除や片付けができるようになった。とてもいい変化だ。

そもそもどちらかと言えば掃除や片付けは得意だった。部屋はいつ人を呼んでも恥ずかしくないくらい整っていたし、インテリアにもこだわっていた。それなのに、離婚が視野に入ってからというもの、途端に手がつかなくなってしまった。期間にして1年と4カ月ほどだろうか。
去年の4月に離婚が成立し、夏に今の家に引っ越してきた。引っ越しの片付けも相当大変だったが、母に手伝ってもらい、何とか生活できる状態まで整えた。働きながらだったから、ダンボールがなくなったのは10月頃だった気がする。牛歩である。

引っ越したら気持ちが切り替わると信じていた。きっと状況はよくなる。そう信じたかった。だが現実はそんなに簡単ではなかった。離婚をしたところで、目に見えて生活が好転することはなく、むしろ、これまで元夫からもらっていた多くのものを喪失したことを認め、一人で立ち上がることを覚える必要があった。
私は一人じゃないし、寂しくないと自分に言い聞かせても、実際には絶望的なほど寂しかった。とにかく泣けてしょうがない。元々の双極性障害の症状なのか、出来事による傷心なのか判断がつかない。私が心から寂しさを感じていることだけは確かだった。

冬季になると私は鬱転する。苦しくてつらい冬の始まりだ。こうなるともうどうにもならない。精神状態の悪化により、更に掃除ができなくなってしまった。片付けに取り掛かろうと思うと動悸がし、手が震え、瞬く間に情緒不安定になってしまうので何もすることができなかった。布団の中で何もできない自分に対し、嫌悪感を募らせた。いつになったら元の自分に戻れるのだろうか。考えたところで何も答えは出なくて、ただただ苦しい。

私は猫を飼っているから食事関係の洗い物などは多いし、トイレ掃除は高頻度でしなければいけない。私は猫のことだけは自分でちゃんとやると決めて、それ以外は母に頼ることにした。正直、猫以外の自分のことなんて何でもいいと思っていた。掃除もできないし、お風呂に入ることもできない。情けなくて泣いていると母は「大丈夫だから。できることを少しずつやれば大丈夫だからね」と私を励ましてくれた。「状態がよくなればきっと前みたいにできるようになるよ」ーーその言葉を信じたいと思った。

春になり、私の心と体は目覚ましいほどに変わった。あんなに嫌だったはずなのに、動悸もしなければ手が震えることもなく、掃除にとりかかることができたのだ。むしろ“何でできなかったんだ?”と思うほどに、掃除ができた。ずっと手がつけられなかったベッド下や階段を磨いた。家中の窓を開けて、換気をした。春夏の寝具に衣替えをした。
部屋が綺麗だと全てが違って見える。散らかった部屋は、1日がマイナスからスタートするような感覚になることに気づいた。部屋が綺麗だと、脳にかかる負荷が減るような気がする。やっぱり私はピカピカの部屋が好きだ。

苦しいからといって眠っていて元の自分に戻れるかずっと不安だった。こうして戻ることができたからこそ、無理な時期はどう足掻いたって無理なのだから、休む必要がある時はよく休むべきだと思える。いつか自然と立ち上がれるようになった時に、向き合おう。そうやって自分のことを許してあげて、一歩ずつ進んでいきたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?