鴨居カモネ

3匹の猫を愛する本好きの躁うつです🦆🔗https://sizu.me/kamone

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  • エッセイ総集

    これまでに書いたエッセイを全てまとめました🦆

最近の記事

かけがえのない散歩

頭が重く、どんよりとした気分。 体の中に悪い空気がこもって逃げ場がない感じ。胸が圧迫されるようで、息が苦しい。 今年に入ってから以前よりも多く感じるようになった。どうしてと頭を捻らなくても一瞬でわかった。 愛犬と散歩をしなくなったからだーー。 一人暮らしの自宅では猫を飼っているが、実家では犬を2匹飼っている。 10歳違いのキャバリアとポメラニアン 。 私の愛犬であるキャバリアの女の子は今年で15歳を迎えた。おばあちゃんだ。 老犬にとって夏は厳しい。 散歩が命取りになりかね

    • 意味をもたない涙

      「悲しみは消えないけれど、涙は止まります」 主治医にそう言われて飲み始めた薬の効果はてきめんで、処方されてからしばらく泣いていない。 泣いてないな。 こんなに泣いてないのいったいいつぶりだろう。 2週間以上、泣いていない気がする。 * 私の人生は何があったわけじゃなくても泣いてばかりいた。感情が揺れると、涙が出てきた。 子供の頃から泣き虫だったから、20代前半までは「泣き虫なだけだから気にしないでね」とよく言っていた。 私の涙に意味なんてなくて、ただの生理現象。溢れる

      • わかった気になるくらいならわからないふりをして

        突然、友達から「俺のことわかる?」と聞かれた。 なんだ唐突にと思いつつ、そうえばふいにこういうことを聞いてくる友達だった。 一瞬の間。 「わからない?」と答えを急かす友達に、私は「わかるって答えたくないな」と答える。 ふしぎそうな顔をする友達に「わかった気になりたくないからだよ」と告げると、更にふしぎそうな顔をした。 * 私は人のことをわかった気になるのが好きじゃない。自分の思い込みでその人を決めつけたり、勝手に定義づけることで本質的なその人の要素が失われてしまう気がする

        • 人生のトッピング

          「トラウマが酷いね」 ASD(自閉スペクトラム症)のチェックをするため検査をしたところ、主治医から思わぬところを突かれた。 「あなたの性格自体は非常に明るいのに、過去の出来事がトラウマとなって影を落とすんだね」 思い当たる話だった。 発達障害の項目には何も引っかからなかったものの、トラウマの項目にチェックがついた。病名は複雑性PTSD。 簡単に説明すると、過去のトラウマが日常生活に影響を及ぼすというもの。 トラウマに心当たりは嫌というほどあるし、聞いたことがある病名

        かけがえのない散歩

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          52本

        記事

          ストレスはまるで雲のようで掴めないから一緒に生きていくことにした

          ストレスって目に見えない。当たり前のことだけど、人生で何度もそのことについて考えてきた。 過敏性腸症候群でトイレが血だらけになった時も、メニエールで聴力が落ちた時も、蕁麻疹が出て体中の痒みに襲われた時も、ひと月生理が止まらなくて貧血になった時も全部全部、原因は“ストレス”だったから。 「ストレス」と告げる医者に力無い声で「どうしたらいいですか……?」と聞くと、気の抜けた様子で「ストレスの原因となることを考えてください」と言った。その度においおいストレスってなんなんだよ。何

          ストレスはまるで雲のようで掴めないから一緒に生きていくことにした

          凍った校庭

          冬の校庭。 ツンと冷える空気。震える体。 みんなが校庭で楽しそうに遊んでいる。お互いに声をかけ合って、昼休みを満喫している。 私だけが校庭で1人ぽつんと立ち尽くしていた。 木枯らしが寒くて、ぎゅっと体を縮こませる。空は雲一つなく、真っ青で私の心とかけ離れていた。空が高くて、手を伸ばしても届きそうにない。 涙は出ない。ただ寒かった。 「この遊びをやるには人数が1人多いから、かもちゃん抜けて」 小学3年生の終わりに初めて女友達から言われた。 いつも遊んでいた子たちから仲

          母のフルーチェの真相

          みなさんはフルーチェを食べたことがあるだろうか。 私は子供の頃からフルーチェが大好きだ。 知らない人に説明をしておくと、フルーチェとはハウス食品が販売する即席で作ることができるデザートである。 家ではいつもフルーチェが棚に常備されており、子供の頃の定番のおやつだった。お昼でなくとも、小腹が空いている時に母にお願いすれば、フルーチェなら作ってもらうことができる。だから私にとってフルーチェは夜のデザートという印象がある。 だが、いつも使ってくれるわけではない。母はよく「フルー

          母のフルーチェの真相

          正月にトイレに閉じ込められた話

          正月の1月3日にトイレに閉じ込められた。 全ては私の怠慢がもたらした出来事だった。 トイレの前に20数キロはあるであろう家具が入ったダンボールを壁際に置いておいた。それはちょうどトイレの正面だ。 こんなに重いものを猫がどうにかできるわけがない。この怠慢こそが私を苦しめることになる。猫は時に驚くことをする。 私はいつもトイレを使う際、ドアを開けっぱなしにしている。なぜならドアを閉めると猫がニャーニャー悲しげに鳴いて可哀想だからだ。 その日はたしか少しだけドアを開けていた

          正月にトイレに閉じ込められた話

          毎食意味のある食事をしたいマンVSチベットスナギツネ

          食べることが好きだ。 でも目的のない食事を楽しみたいと思わない。 目的のない食事とは、例えば仕事の昼休憩でとらなければいけない食事のことだ。 家にいれば家にある食材で食事を楽しむことができるが、仕事で外に出てしまったばっかりに摂らなければいけない惰性の食事。 人によってはそこに楽しみを見出すのかもしれないが、外食は高いし、いつもそんなことをやっていられない。その日を過ごすためだけに、食べる。目的のない食事だ。 食事は、“〇〇を食べたい”という動機で食べるのは楽しいが、上記の

          毎食意味のある食事をしたいマンVSチベットスナギツネ

          ウーパールーパーの秘密

          ウーパールーパーが嫌いだ。 私は生き物はわりと何でも好きで触れない生きものがいない。そんな私において唯一、ウーパールーパーだけが例外だ。 ウーパールーパーは白いむにゅっとした体つきをしていて、その体は透けている。両生類に属す、とぼけた顔をした何とも憎めない感じの生き物だ。正式名称をメキシコサラマンダーという。 一見かわいいこいつが私はなぜ嫌いなのか。それはハッキリとした理由がある。 遡ること12年前。私は中学2年生だった。私にとってウーパールーパーは理科室のイメージと直

          ウーパールーパーの秘密

          脳死という言葉は使わない

          ぽちゃんーー。 クルトンが洗い桶の中に落ちた。サラダを調理している最中だったから気に留めなかった。あとで掬おうと思った。食事が終わり、洗い物をしようと洗い桶を見た。ブヨブヨに膨らんだクルトン。私はそれを見て、クルトンの水死体だと思った。 人は水中で亡くなると水を含み、膨らむ。子供の頃に誰かから水死体について聞いたことがあった。その人は発見者も遺族も可哀想だと言っていたことを覚えている。でも誰がそう言っていたのかを思い出せない。 私は膨らんだブヨブヨのクルトンを見て、瞬発

          脳死という言葉は使わない

          日が沈むのが見たくて河川敷に行って気が済むまで泣いた日

          布団の中でどうしようもない辛さを感じていた。このまま布団の中にいては駄目だ、歩こうーー私は外に出ることにした。 歩くだけじゃなく、できたら1人でカラオケをしよう。ヒトカラで定期的に利用する店に行くと、1人なのに巨大スクリーン2画面の大部屋に通された。アゲである。世界、機嫌とりにきてるじゃんって思ったね。思う存分歌って、私は河川敷を目指すことに決めた。日が沈むのを見たいと思ったからだ。 河川敷は近くもないけれど、そう遠くもない。 河川敷の途中にあるカフェの前を通ると、「ご自

          日が沈むのが見たくて河川敷に行って気が済むまで泣いた日

          双極性障害を生きていく

          なかなか起きることができなかった。憂鬱な気分の中でいつ死にに行くんだろうと思った。生きると考えていても、私の心の奥底に眠っている希死念慮は目覚めに活動する。終わらせたいという気持ちを押し付けてくる。疲れる。 私は病気の基本的なことは理解しているが、全てのことを把握はできていない。例えば1日の気分の波や転換期の鬱に切り替わる時の衝撃。慣れることができない。 ふつうの人は何かがあって、気分が落ち込む。漠然としたモヤモヤに悩まされることもあるだろうが、それは基本的に言語化や認識

          双極性障害を生きていく

          幸せを願うことなかれ

          「幸せになってね」 もう会うことはないであろう人から最近、言われた言葉だ。おそらく相手は澱みない心で、私の幸せを願ってこの言葉を言ってくれた感じだった。 この言葉をもらって私は、困惑した。第一の感想は、“は?”である。正直なところ、意味がわからない。 だからその人には、「私の幸せは願わなくていいよ」と言ってしまった。本当に願わないでほしい。余計なお世話この上ない。 私がここまで拒否反応を示すのがなぜかというと、幸せってなんじゃらほいという感じだからだ。 まずは「幸せ」の意

          幸せを願うことなかれ

          掃除ができない自分のことを許そうと思った

          最近になって変化があった。苦しむことなく、掃除や片付けができるようになった。とてもいい変化だ。 そもそもどちらかと言えば掃除や片付けは得意だった。部屋はいつ人を呼んでも恥ずかしくないくらい整っていたし、インテリアにもこだわっていた。それなのに、離婚が視野に入ってからというもの、途端に手がつかなくなってしまった。期間にして1年と4カ月ほどだろうか。 去年の4月に離婚が成立し、夏に今の家に引っ越してきた。引っ越しの片付けも相当大変だったが、母に手伝ってもらい、何とか生活できる状

          掃除ができない自分のことを許そうと思った

          noteは自分を映す鏡なのかもしれない

          noteとの向き合い方に悩んでる。 悩んでるというか、自分の中でスイッチがなかなか入らなくて困っている。noteはできる限り、読んでもらった方に「面白かった」と思ってもらいたいから、自分なりに構成を考えて書いている。だから多少なりとも気合いを入れないと書けない。いざ書いてしまえば、“あ、難なく書けたわ”と思うこともあるのだけれど、書くことのハードルがそれなりにある。それは私がnoteという媒体を大事に思っている証でもある。 エッセイという性質上、過去の記憶を掴み取って解剖す

          noteは自分を映す鏡なのかもしれない