脳死という言葉は使わない
ぽちゃんーー。
クルトンが洗い桶の中に落ちた。サラダを調理している最中だったから気に留めなかった。あとで掬おうと思った。食事が終わり、洗い物をしようと洗い桶を見た。ブヨブヨに膨らんだクルトン。私はそれを見て、クルトンの水死体だと思った。
人は水中で亡くなると水を含み、膨らむ。子供の頃に誰かから水死体について聞いたことがあった。その人は発見者も遺族も可哀想だと言っていたことを覚えている。でも誰がそう言っていたのかを思い出せない。
私は膨らんだブヨブヨのクルトンを見て、瞬発的にこのような連想をしたが、水関係で誰かを失ったことがある人は冗談でもこんなことを思わないだろう。言葉に敏感であるないに関わらず、言葉に結びつくエピソードを体験し、所有しているかどうか。誰にとってどの言葉が引っ掛かるポイントになるのか。近頃よく耳にする言葉である地雷や脳死を例にあげる。
ピクシブ百科事典によれば地雷は、「不用意に踏むと危ないという地雷のイメージから、『触れてはならないことにうっかり触れる』という意味合い」として使われ、脳死は「悪い意味で思考停止を意味する俗語(悪口)」として使われるとある。
この2つの言葉は何も気にしない人にとっては特に気に留めるものではないだろう。ネットをよくする人ならネットミームの表現としか思わないと思う。だが、リアルでこの2つの言葉は使うべきではないと考えている。どちらの言葉も気分のいい言葉とは言えないからだ。特に「脳死」に関しては、本来の状態としての「脳死」を揶揄する言葉であり、命に関わっている。もしかしたら……を想像すれば、なぜ言ってはいけないのかが簡単にわかると思う。もしも自分の家族がこのような状態になっていたら、絶対にこの言葉を使わないだろう。出会う人がどういう状況に置かれてるかなんて、想像するのが難しい。だから最初から選択肢として消してしまうのがベストだ。せめてネットでネット仲間と冗談として使う範囲にとどめておくべきだろう。
誰かを傷つけてしまう言葉、想像したらきっと書くことも話すことも難しくなってしまう。けれど、不用意に誰かを傷つける言葉は使いたくないと思う。嫌な思いをさせてしまうかもしれない言葉。想像力を忘れずに、これからも文章を書いていきたい。でもきっと、思いがけず傷つけてしまうこともある気がする。その時は申し訳ないと思いつつ、許してほしい。人の心は繊細で、想像してもわからないことばかりだ。危険な言葉はできるかぎり、使いたくない。
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