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毎食意味のある食事をしたいマンVSチベットスナギツネ

食べることが好きだ。
でも目的のない食事を楽しみたいと思わない。
目的のない食事とは、例えば仕事の昼休憩でとらなければいけない食事のことだ。
家にいれば家にある食材で食事を楽しむことができるが、仕事で外に出てしまったばっかりに摂らなければいけない惰性の食事。
人によってはそこに楽しみを見出すのかもしれないが、外食は高いし、いつもそんなことをやっていられない。その日を過ごすためだけに、食べる。目的のない食事だ。

食事は、“〇〇を食べたい”という動機で食べるのは楽しいが、上記のようにしょうがなく摂らなければいけない食事はただの栄養摂取、もしくはただのカロリー摂取だ。だから私はできる限り、何も考えたくない。食事に関するカロリーを使いたくないのだ。

また仕事をしている時は、昼休憩でお腹いっぱいまで食べることは効率が下がるからしないことにしていた。
食べるものはほとんど決まっていた。
コンビニのおにぎり1つとサラダチキンまたはタンパク質バーだ。
これだけなら絶対に眠くなることがないし、食費も安く済ませられる。寂しい食事だろうか。そうかもしれない。でも、私には選択するという脳のコストをかけずに、最低限で済ませられる食事方法だ。とても気に入っていた。
たまに人とコンビニに行った際には、「昼ごはんを買うスピードが尋常じゃない」と驚かれた。決まっているから、当然だね。

私の敵は、食事にこれ以上ないほどの意味を見出し、次の言葉を言う人。

「人生って食事をする回数が決まっているからいつも価値のある食事をしたいんだ。そう思わない?」

全く思わない。
これをリアルで言われた時、全く共感しなくてどうしようかと思った。
心の中では、「全く思わないっス!」と反論していたが、その話があまりにも長くて、どんどんチベットスナギツネのような顔になっていた。心の中で。
なぜならこういう輩は態度をあからさまに出すと、鬼の首をとったかのように激しくツッコんでくる。ツッコむだけならまだしも、こちらの食事論を引き出して対決させようとしてくる。経験上。
チベスナには心の中にいてもらって、全力でなるほどです!顔をする。納得してもらい、話はようやく終了する。

この手の話うんざりだ。
人生で食事は何回もそう、睡眠時間もそう、お風呂の回数もそう。何でわざわざ総計を出す必要があるんだろう。その数字を見て、“これだけの時間を費やしているから◯◯しなきゃ!”と本当に思うのだろうか。思う人は思うんだろうな。私にはわからない。
そりゃいつだって価値のある食事ができたら幸せかもしれない。でもいつでも特上ステーキを食べたいだろうか。私は胃もたれするから嫌だ。雑な納豆ごはんがいい日もある。

価値、価値……そんなものに囚われてたら、この人生を何のために生きているのかわかんなくなっちゃうよ。
私はいつだって気持ちよく生きていたい。それだけはわかる。
ああ、社会で求められすぎて感心しているふりが異様にうまくなってしまったな。心の中のチベットスナギツネがこちらを見ている気がする。

チベットスナギツネ

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