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正月にトイレに閉じ込められた話

正月の1月3日にトイレに閉じ込められた。

全ては私の怠慢がもたらした出来事だった。

トイレの前に20数キロはあるであろう家具が入ったダンボールを壁際に置いておいた。それはちょうどトイレの正面だ。
こんなに重いものを猫がどうにかできるわけがない。この怠慢こそが私を苦しめることになる。猫は時に驚くことをする。

私はいつもトイレを使う際、ドアを開けっぱなしにしている。なぜならドアを閉めると猫がニャーニャー悲しげに鳴いて可哀想だからだ。

その日はたしか少しだけドアを開けていた。用を足し、そろそろ出ようかと思った時、ドンっという音とともに強くドアが閉まった
外で何かが起きたことは明らかだった。ドアを開けようとドアノブに力をこめるが、ちっとも開きそうな気配がない。私は一瞬で把握した。閉じ込められた。
おそらくダンボールの上に猫が飛び乗り、体重をかけてダンボールを倒してしまったのだろう。予想の範疇を出ないが、きっとそうだ。そうに違いない。外で猫がニャーニャー鳴いてる。その様子から猫は元気そうなことがわかり、安心した。

まさか新年早々、三が日にトイレに閉じ込められるとは思わなかった。しかも猫によって。敵は最愛の人みたいな展開。ちっともワクワクしない。
しかし、不幸中の幸いとでもいうべきか、トイレに入る前に厚手のモコモコアウターと一緒にiPhoneを持ってきていた。いつもスマホを持たずにトイレに入ることが多い自分にしては奇跡的なパフォーマンスだった。
正月に大変申し訳ないが、母親に電話をするとすぐに出てくれた。事情を話すと、「本当ばかね」と強めに言われたが、言われてもしょうがない。「できる限り早めに救出してくれると助かります」と言うと、「なるべく急ぐけど、お酒飲んじゃったからちょっと時間かかるわよ」と返ってきた。「えっちょっとってどれくらい?」と聞きたい気持ちを押さえて、健気に待つことに決めた。「よろしくね」と言うと、母は「はいは〜い」と軽快だった。

待っている間、1月1日に起きた地震のことや今年がどんな年になるか考えていた。トイレに閉じ込められた出来事から始まる1年って何なんだろう。予測不可能な出来事に注意せよという暗示だろうか。とにかくiPhoneを持っていて本当によかった。もし持っていなかったら自分はどうしたのか考えを巡らせた。トイレには人の顔の大きさほど窓がついているから、そこから通行人に助けを求めそうな気がする。人はそれなりに通る道だから、案外いけそうな気がする。そんなことを考えながら『クレヨンしんちゃん』でしんちゃんによって野原ひろしがトイレに閉じ込められたエピソードを思い出していた。実際はしんちゃんがそのように思わせていただけで、トイレからは出られた話だった気がする。

そんなことを考えながら時間を潰す。厚手の上着を着ているものの寒さが身に堪える。2階建ての1階はかなり冷える。節約のためエアコンは2階しか稼働させていなかった。
母を待ってから2時間が経過していた。母の「ちょっと」は予想よりも長かった。正月にこんなお願いしているのだから大人しく待つしかない。感謝こそすれど、文句なんて言える立場じゃない。
外で猫が「ウンニャァ」とか細か鳴いている。猫は私がトイレに立て籠もっているのが心配なのだろう。誰のせいでという言葉を飲み込む。誰のせいも何も、そんなところにダンボールを置いた自分のせいだ。猫のせいじゃない。

1人そんな問答をしていると、玄関のほうからガチャガチャとドアが開く音がする。ついに母が来てくれた……!!!!
「大丈夫?正月に何してるの?」と問う母に対し、「閉じ込められちゃって。来てくれてありがとう」とへらへら笑うことしかできなかった。
母に外の様子を聞くと、やはり20数キロのダンボールがトイレのドアを封鎖していた。母も「猫がこんな重たいものどうやって動かすのかしらねぇ」とふしぎそうにしていた。本当にそう思う。
2時間35分後、私は母によって救出された。猫も何も変わりなく、元気そのものだった。

私はこの一件でトイレの前にはもう2度と荷物を置かないと学んだ。通常、猫が動かさないようなものでも何が起こるかはわからない。
ところで、20数キロのダンボールだが、今現在も家にある。ダンボールはそのままの姿でリビングの安全な場所に配置されている。ダンボールの中身はキッチンの収納棚だ。いつか作ろう、いつか作ろう。そう思っていたらこんなに月日が過ぎてしまった。こういうだらしないところが、こういうアクシデントを招くのだろう。

きっと収納棚ができたら、これを見るたびに閉じ込められた日のことを思い出す気がする。少し笑えるが、もう閉じ込められるのは2度とごめんだ。

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