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noteは自分を映す鏡なのかもしれない

noteとの向き合い方に悩んでる。
悩んでるというか、自分の中でスイッチがなかなか入らなくて困っている。noteはできる限り、読んでもらった方に「面白かった」と思ってもらいたいから、自分なりに構成を考えて書いている。だから多少なりとも気合いを入れないと書けない。いざ書いてしまえば、“あ、難なく書けたわ”と思うこともあるのだけれど、書くことのハードルがそれなりにある。それは私がnoteという媒体を大事に思っている証でもある。

エッセイという性質上、過去の記憶を掴み取って解剖する必要がある。あの時のあの出来事は、何だったんだろうか?何の意味があったのだろうか?ーーこの作業は記憶だけではなく、私の心を解剖するのと同義かもしれない。泣きながら書いたことだってあるし、書いた後に訳もわからず泣けてくることもある。だが、書くことによって過去の記憶=トラウマが悪いほうに作用するかと言ったら私はそうとは思わない。精神的な負荷はたしかにある。それは事実だ。だが、過去の記憶に向き合う行為は、どこかカウンセリングにも似てる。明日を歩くために必要なことだと私には思える。

書きたいことは相変わらずたくさんある。出来事もあれば、考えについてや色々。どのように書いたら面白いと思ってもらえるだろうか。切り口を考えて、これでいいのかな、もっとやりようないのかなと思う。
 

最近Twitterで仲良くしていただいている方に、私の文章のファンと言ってもらった上で、「(私の文章に)胸を打たれている人、まだ出会ってないけど求めてる人がいる」という言葉をいただいた。
私はそれがとても嬉しくて、書いていてよかったなと思った。私が書いたものが誰かに届いて、その方が何かを感じたり、何かを思ってくれたのなら書いた甲斐があると思う。
私は書くことが好きだし、自分が書くことに意味があると思っているけれど、書くことを通して自分の嫌なところにも自然と向き合っていると思っていて、それが少しだけ辛い。自分が独善的な人間に思えて、嫌悪感が湧くことがある。こんな独りよがりな文章を書いて何になるんだろうと思うこともある。だから私が書いたものに何かの言葉をくれる方に対して心からありがとう……と思います。

私は大事な場所であるnoteで、これからも書いていきたいと思っている。よりよい向き合い方を考えなくちゃいけない。何となくこうしたら上手くいくのかなと思うことがあるので(自分の感覚的な話)、試行錯誤したいと思う。襟を正して、これからも書いていくよ。

noteは気合いを入れなきゃ書けないのだけれど、もっとフランクに書く場所がほしいと思ったのでしずかなインターネットというものを始めました。
これは雑文書き散らかし処がテーマなので、note未満というか、思考の赤ちゃんみたいなものを書いています。クオリティは保証しないので、あしからず(笑)。
もし私の文章が好きだよという方がいたら、覗いてみてください。面白いかもしれません。
よろしくお願いします。


それでは。

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