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ストレスはまるで雲のようで掴めないから一緒に生きていくことにした

ストレスって目に見えない。当たり前のことだけど、人生で何度もそのことについて考えてきた。

過敏性腸症候群でトイレが血だらけになった時も、メニエールで聴力が落ちた時も、蕁麻疹が出て体中の痒みに襲われた時も、ひと月生理が止まらなくて貧血になった時も全部全部、原因は“ストレス”だったから。

「ストレス」と告げる医者に力無い声で「どうしたらいいですか……?」と聞くと、気の抜けた様子で「ストレスの原因となることを考えてください」と言った。その度においおいストレスってなんなんだよ。何をどうしたらいいんだよと頭を悩ませた。
目に見えないストレスについて考えても、雲を掴むようだった。まるで実体がない。ふわふわと私の体をすり抜けていく。

私はストレスを感じやすく、ストレスに弱い。おまけに自分が何にストレスを感じているのか判断する能力も低い。だから精神に限界がくる前に(もしかしたら既に精神は限界に達しているのかもしれないが)、体がストップをかけるらしい。

ハードワークで体を壊してからもうすぐ3年。それから私はずっと体が弱い。子供の頃から人より体は弱かったけれど、人並みになりたくてずっとがんばってきた人生だった。ウォーキングもランニングも水泳も出来ることは全部した。大学生の時は大学にバイトに大忙しの生活をこなせるくらい体力があった。

仕事に夢中になって何もかも捧げたつもりだった。
今となって目に見えて残ったものは、ボロボロの体と精神。

それでもあの時の自分の行動が間違っていたと思えない。人並みどころか優秀になりたくてもがいた私のことを私は恨むことができない。

自分に対して、「甘えるな」とずっと言い続けてこんなことになってしまったけれど、あの時の私の精一杯を否定したら過去の私も今の私もぺっちゃんこになってしまう気がする。

“がんばったね”って言ってあげたい。

それが許すことなら、私はきっと過去の私を許したいんだと思う。少しでいいから私のことを大事にしてあげたい。だってかけがえのない私だし(そんなこと思ってもいないのに、言葉にしてみる)。

ねぇ、聞いて。今日、500円玉のハゲができていたの。後ろ髪かきわけたら広範囲に地肌が見えてる。

ストレスは見えない。けれど、思い当たった。

仕事に行けなくて苦しんでいたら扁桃炎になって高熱を出した。溶連菌だった。布団の中でうめいていた時、見えないはずのストレスが見える気がした。

ハゲちゃった。あぁ、ハゲだよ。かわいい服を着ても、髪を巻いてもハゲてるんだよ。悲しくなっちゃう。悲しい悲しいと思うと、またストレスが大きくなる。私はもう自分をいじめない。
悩んだ末に適職を見つけて、働けるようになったから。

これからもストレスは私を苦しめるだろう。それでもいい。それでもいいから、前を向いて生きていきたい。雲みたいに掴めないストレスを抱いて、私は一歩ずつ前に進んでいきたい。

ストレスとうまく付き合えるようになったら、新しい笑い方ができるような気がする。

でも、ちょっとは思う。ストレス、すこしだけ小さくなりますように。なりますように。どうか、どうか。

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