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わかった気になるくらいならわからないふりをして

突然、友達から「俺のことわかる?」と聞かれた。
なんだ唐突にと思いつつ、そうえばふいにこういうことを聞いてくる友達だった。
一瞬の間。
「わからない?」と答えを急かす友達に、私は「わかるって答えたくないな」と答える。
ふしぎそうな顔をする友達に「わかった気になりたくないからだよ」と告げると、更にふしぎそうな顔をした。

私は人のことをわかった気になるのが好きじゃない。自分の思い込みでその人を決めつけたり、勝手に定義づけることで本質的なその人の要素が失われてしまう気がする。
それに“この人はこういう人”と決めつけてしまったら、自分の予想を裏切るようないい意味でのサプライズは訪れないだろうし、人付き合いをする上でもったいない気がする。
決めつけないことで、その人に対する見方も自由になる。そんな気がしている。


それに
私のことをわかった気になってほしくないから、人のことをわかった気になりたくないんだと思う。
昔から“気難しい”と言われる性格だから、心を許した人たちでわかった気になって接してくる人はいなかった。
でも学校やバイト先や会社では、私のことをわかった気になって干渉してくる人たちが沢山いた。

持ち前の社交力で人と関わり、交流を深めた。この社交力は見せかけだから、命というエネルギーを消耗する。大して仲良くない人と関われば関わるだけ、くたびれる自分がいた。



ある時、会社の同僚に「明るい鴨居さんにはうつ病の人の気持ちなんてわからない」と断言された。
彼は暗い雰囲気を持つ人で、周囲にネガティブを振り撒くところがあった。私には暗い城に閉じ籠ることで、自分自身を安心させようとしているように見えた。

20代前半の私は、断言されたことに驚いてしまってうまく答えることができず、「私も家では暗かったりするよ」としか言えなかった。
本当は11歳からうつ病を繰り返して、社会生活を何度もできなくなっていたのに。
私の回答に対して彼は、「絶対わからないですよ」と鼻で笑った。

わかった気になっているのはどっちだよーー私は強くそう思ったけれど、言葉を飲み込んで、「そうかもしれないね」と笑って答えた。

私が彼のことをわからない以上に、彼は私のことを全くわかっていなかった。ただ、見てくれだけでわかった気になっていることだけが、理解できた。

人をわかった気になるのって滑稽だ。相手がどんなものを隠し持っているかも知れずに。

だから私は、わかった気になりたくない。
あなたが教えてくれたことを基にあなたを想像することはあっても、決して決めつけたりもしない。



ふしぎそうな顔をしている友達に、「とはいえ、あなたが仲良くしている友達のなかでは、私けっこうわかってるほうかもしれないね」と言うと、友達はうれしそうに笑った。

ちょっとくらいなら、わかったふりも悪くないかもしれない。

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