強すぎる機械たち
文:Rin Tsuchiya
人間はもはやサイボーグだと論じた人類学者がいる*。読者諸賢におかれては、これを全て額面通りに受け取る必要はない。ご存知のようにあなたの身体は人工知能で動いているわけでもなければ奥歯に加速スイッチも仕込まれていないので、わざわざ確認しなくても大丈夫だ。ただしこの奥歯の仕組みが分かる方は特定の年齢層以上であるという事実を突きつけられる**。
人間がサイボーグだというのは、我々の生活に科学技術が大きく関与してきている状況を指摘した考えだ。我々の身体の昨日の一部は機械によって支えられているし、多くの機能が機械に代替されている。
足の代わりに電車が体を運ぶし、雲行きを見なくても天気予報が天気を教えてくれる。マシン(=機械)でトレーニングした体を使っている。空を見るより先に雨雲レーダーや天気予報を見る。今や機械なしには我々の生活は立ち行かない。
ところで私はスペインの家電が好きだ。それは、出力が人間のことを考えていない、と言うか人間の側が律して使わざるを得ない構造になっているからだ。
例えばドライヤーや電子レンジ。ドライヤーは気をつけて使わないと火傷をするほどの熱風をごうごうと吐き出す。日本のドライヤーを「ブォー」と言う効果音で表すと、スペインのドライヤーは「ゴォォォォオオオオオオオオ!!!ゴオオオオオオォォォ!」くらいの違い(体感)がある。ハチャメチャに乾くのが早いので、私のような無精者にはありがたい。
電子レンジも素晴らしい出力だ。日本にいる時と同じ要領でスープを加熱して何度上顎の口蓋粘膜を火傷したかわからない。
何れにせよ、私が使う家電達は否応無くその威力を発揮してくる。もちろん、私が使っていた家電が特にそうだったのか、一昔前のものだった可能性もある。
だが、日本の家電のように、無心で使っていても安全第一な作りではない。使う側がコントロールしてやって、それで上手に結果を引き出してやらなければならない。
色々な小手先の作業を挟んで使うので、「使っている」という感覚がひしひしと伝わってくる。スペインの家電が好きなのは、この感覚が好きだからだ。
さて、スペインの私が滞在する村では「機械」全般をmaquina(マキナ)と表現する。家電もマキナと言われることがあるし、スポーツジムのマシンもマキナだ。更に言えば、大昔にロバに引かせ小麦を収穫するための農耕器具もマキナだし、100%鉄製のそれ自体を加熱して使うアイロンもマキナだ。「使用を通して人間の働きを補助する道具」と捉えるのが適切だろう。
今や我々の生活に機械は必要不可欠だ。だが、それらが「使用を通して人間の働きを補助るもの」であるという観念は、いかほど残っているのだろうか。今や人間の都合も考慮して働く機械が主流となっている世の中だ。
しっかり使って、しっかり協働する。それが機械との付き合い方だと考えるし、機械に「使われない」ことは現代を生きる人間の矜持の1つだと考えながら、私は今日も機械とともに生きている。
*ダナ・ハラウェイ
**「サイボーグ009」
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