独りからはじまる文化研究

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  • 文化を探る、考える 京都/スペイン

    スペイン・京都での実体験から、文化=人間の営みを文化人類学のやり方で考えています。 文化とは、紐解いてみるとこんなに面白い!

  • 中国の色、日本の文化

    日本大陸の文化の多くは、中国大陸から渡ってきた。でもまったく同じというわけではない。では、日本の文化の独自性はどこからはじまるんだろうか?そんなことを考えています。

最近の記事

動物と文化

文:Rin Tsuchiya こんにちは、今日はこの村の人々と動物との距離感の話をしたいと思います。あくまで個人的な印象を書いておりますので、そのことを踏まえて一歩引いていただけたら幸いです。 ここはとある民族誌に「農牧地域」と称されているように、市街地を出れば牧場が広がっています。飼われているのはウシ、ヒツジ、ヤギ、ウマ、それにこの地域特産のブタです。マドリード周辺の地域や南部アンダルシアでは、見渡す限りのオリーブ畑が広がっていますが、ここエストゥレマドゥーラという場所

    • ウマのいる生活

      文:Rin Tsuchiya お久しぶりです。今日は裏庭のウマの話です。 スペインの村ではご好意に甘えて空き家に住まわせてもらっています。スペインの家には、田舎だからかほとんどの家にパティオと言われる中庭があり、私の住んでいる家にもパティオがあります。オレンジの木やバラ植わっていて、ネコが勝手に出入りしています。パティオと塀を隔てて、少し開けた土地があります。お隣さんの土地です。 前回来たのは5月で、その時はここに三頭のヒツジがいたのでよく追いかけ回して遊んでいました。

      • 言説の中の餅文化

        文:Rin Tsuchiya こんにちは。今日はスペインでも京都でもなく、とある大分県の町の話です。 正月ぶりに帰省し、今回こそは羽を伸ばそうと海に行ったり山に行ったり川に行ったり釣りをしたり、かつては日常的にやっていたことを物珍しげに再体験しています。 かつては日常だったのに、いざ客観的になってみると再発見することがたくさんあります。水道水がやたらうまいとか、植生が違うとか、おばあちゃんが発する方言の中に知らない単語を見つけたりとか、いろんなレベルの再発見があります。

        • スペイン語のペルソナ

          文:Rin Tsuchiya 私は自他共に認めるように感情の起伏が言葉にも顔にも出にくい人間だと常々思います。 ブリキの人形のように血も涙もない冷徹な人間とまではいかないしよく笑いもするけど、いわゆる「テンションが高い」状態があまりありません。 特に表に出ないのが「ありがとう」の感情で、こちらとしてはめちゃくちゃ嬉しいけど顔にも言葉にもうまく表現できない。なんと褒め甲斐、祝い甲斐のない人間でしょう。 それもあってか誕生日のお祝いだったりプレゼントだったりはあまり受け取った覚

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        • 文化を探る、考える 京都/スペイン
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        • 中国の色、日本の文化
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        記事

          強すぎる機械たち

          文:Rin Tsuchiya 人間はもはやサイボーグだと論じた人類学者がいる*。読者諸賢におかれては、これを全て額面通りに受け取る必要はない。ご存知のようにあなたの身体は人工知能で動いているわけでもなければ奥歯に加速スイッチも仕込まれていないので、わざわざ確認しなくても大丈夫だ。ただしこの奥歯の仕組みが分かる方は特定の年齢層以上であるという事実を突きつけられる**。 人間がサイボーグだというのは、我々の生活に科学技術が大きく関与してきている状況を指摘した考えだ。我々の身体

          「派手すぎる」宗教施設と信仰

          文:Rin Tsuchiya こんにちは。Rinです。今回私はYK2さんの記事「赤い!黄色い!派手すぎる!」(https://note.mu/_bunka/n/n25b11f888c42)についてコメントしてみたいと思います。 中国で、仏像が金色に輝き、寺が七色にライトアップされているとのこと。確かに中国は何かとカラフルなイメージがありますし、その固定観念に反しない、「いかにも」中国という感じが伝わりますね。おそらく日本でこれをやったら、各方面から批判や意見を畳み込まれる

          「派手すぎる」宗教施設と信仰

          Feed back 文化

          文YK2(Yukako Horikiri) 今回は、他のメンバーの記事について思ったことを書く記事です。 それぞれの国のそれぞれの文化について情報を垂れ流すだけでなく、お互いにフィーッドバックさせてはどうか? ということで試みました。 取り上げるのは Rin Tsuchiyaさんの『布施と科学』です。 スペインの人々は週末ミサに出かける。 そのため、街はお休みモード。なんだか羨ましい。 人々の生活と宗教が身近な地域では、信仰の方法も進化しているようです。 日本だと

          挨拶の「間」

          文:Rin Tsuchiya 以前、スペインで挨拶する際に身体接触が多くてあっけにとられたという記事を書かせてもらった(https://note.mu/_bunka/n/ncfbc16735964)が、今回もスペインの挨拶で戸惑ったことについて書きたい。 私の滞在する村は大きくも小さくもない、人口でいうと3000人の村だ。一歩住宅地を抜けるとヒツジがメエメエ鳴き、ブタがぶぅぶぅ鳴いている平和な村だ。ウシもモゥモゥ鳴いている。たまにディスコで若者がウェイウェイと騒いでいる。

          布施と科学

          文:Rin Tsuchiya スペインは一般的にカトリックの国である。今でも熱心な信者も多いし、安息日とされる日曜日は皆仕事をしない。大手のスーパーだって日曜日は閉店しているところもある。 初めの頃は「今日なに食べよっかな〜」なんて能天気な気持ちでいたら、日曜であることをすっかり忘れていて困ったものだ。しぶしぶ鮮度の低い食品を扱っていることで有名なスーパーに駆け込んだこともあった。あの時買ったスイカは半分腐っていた。 日曜に働く人はもちろんいる。ただし、日曜というと教会で

          Remix 文化

          文 yk2(Yukako Horikiri) 先週、あるアーティストの個展を見にいった。 Kour Pour イラン系イギリス人の父を持ち、現在ロサンゼルスを拠点に活動しているアーティストである。 このように多国籍なフィールドで活動している彼の絵は不思議な印象を受けた。 ** 文化のリミックス** 彼の絵画には絵画史における様々なイメージの参照が見られる。 (解説引用)ペルシャのミニチュア絵画や浮世絵、アメリカの抽象表現主義、東洋の山水画 それらがリミックスされてひとつ

          身体が近い!!

          文: Rin Tsuchiya スペインでは日本同様に挨拶をする。朝起きた時、その日初めてあった人に、しばしお別れする時、その日別れる時、などなど。毎日のように挨拶をし、1日のうち何回挨拶するかわからない。 日本でいう「おはよう」「こんにちは」「またね」などに当たる挨拶をするのだ。私の村では、友人や知人ならもちろん、すれ違った見知らぬ人でもすることがある。 ソンナコトイワレンデモアタリマエヤンと言われて当然だが、これが最初の頃はなかなか戸惑った。まず男性と女性で挨拶のやり

          赤い!黄色い!派手すぎる!

          文:ワイケーツー(Yukako Horikiri) 中国、杭州にて、 香積寺というお寺に訪れた時、衝撃があった。 仏像が黄金にかがやき、しかも巨大で、七色にライトアップされている。 古くからのお寺に無理やり照明器具を突っ込んでいるから、仏像と照明の距離もあり得ないほど近い。 なんだか繁華街に訪れた気分になるんだけれど、周りの人は熱心に祈りつ、お経を唱えつしているし、面白がっている人はいないみたいだ。 境内を見回して見ると、お寺がなんとなく若々しい。 もちろん長い

          赤い!黄色い!派手すぎる!

          コトバ考 in スペイン

          文:Rin Tsuchiya 世の中にはなんと一人走りした日本語の多いことか、と私は時折考えることがある。日本の若者言葉だけではない。例えば海外の人のTシャツやタトゥーについてもそうだ。「その言葉でいいのか?」とつっこまざるを得ない、むしろつっこまねばならないという責任感すら感じることがある。ただし義務ではないので常につっこみは心の中で抑える。 あるとき、スペイン人の友人がこんな写真を送ってきた。アイロンで貼るタイプのアップリケのようだ。 ご覧の通り全く意味がわからない

          美しき景色、どこから来るのか?

          文ワイケーツー(Yukako Horikiri) こんにちは、その国のらしさはどこから来るのかを考えているワイケーツーです。 色彩を尊いと思った瞬間はありますか? 今年の4月、少しばかり旅に出ていました。その道中で1つ、忘れがたい風景に出会いました。 マレーシアのチャイナタウンのカフェでみた赤提灯です。長屋の箱庭に中くらいの赤い提灯が3つ吊るされていました。 壁一面に植物が茂り、湿気った空気をぼんやりと照らす赤い光。 なぜそのような美しい光

          美しき景色、どこから来るのか?

          「#文化」について話しましょう。

           赤城侑真(せきじょう ゆうま)と申します。一人更新が遅れてしまいましたが、これから随時更新していきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。 @1  「文化」の定義。 さて、「文化」について話しましょう。「文化」の言葉の定義については、何となく骨格は摑めるけれど、フワフワしていて、それとなく曖昧なものですよね。そして多くの先人たちが「文化」について言及し、あるいは研究に取り入れてきました。一方で「文化」とは物事を俯瞰してみている言葉でもありますよね。それゆえに、

          「#文化」について話しましょう。

          「アタリマエ」幻想

          文:Rin Tsuchiya アタリマエとはなんだろうか。ひとまずは「我々にとってそれをするのに疑問を持たずに行える何か」とでも言えようか。国の数だけ、もしかしたら人の数だけアタリマエというのは存在しているかもしれない。 普段はそれが我々の骨身にまで浸透しているため、アタリマエが当たり前に存在していることには気づかない。歩く時には足を動かすし、仏壇の前では手を合わせるし、食べる前には「いただきます」と言う。 アタリマエがいくつもあるということに気づくのは、別のアタリマエ