見出し画像

コトバ考 in スペイン

文:Rin Tsuchiya

世の中にはなんと一人走りした日本語の多いことか、と私は時折考えることがある。日本の若者言葉だけではない。例えば海外の人のTシャツやタトゥーについてもそうだ。「その言葉でいいのか?」とつっこまざるを得ない、むしろつっこまねばならないという責任感すら感じることがある。ただし義務ではないので常につっこみは心の中で抑える。

あるとき、スペイン人の友人がこんな写真を送ってきた。アイロンで貼るタイプのアップリケのようだ。

ご覧の通り全く意味がわからない。上から順に見ていけば、使われてるイメージはなんとなく理解できる、と思うのもつかの間、謎パッケージのラーメンのものらしき箱でつまずく。少なくとも私が知っているラーメンではない。
「これ日本語だよね?」ということで私に訪ねてきたらしいが、何を持ってこれを日本語と説明すれば良いのかわからない。ましてやイメージとのつながりなんて皆無だ。鶴にならまだわからんでもないが、ラーメンに「夢見る人」をあてがうのは腑に落ちない・・・というかよく思い返せば鶴にわざわざ反転させた「夢見る人」が書かれているのも腑に落ちない。鯉のぼりに至っては送り仮名でしかない。

さて、一通りつっこんで気が済んだので本題に入ろう。
日本語ひいては彼/彼女らにとってアルファベット以外の文字は「エキゾチックな記号」でしかないのだろうか。少なくとも語の意味は全く無視されていると見ていいだろう。

なんだ変なところで日本語を使って・・・と思っている方々、街ゆく人のシャツに印字されているアルファベットを見て欲しい。筆記体の英語がオシャレっぽいからといってむやみやたらに意味のない外国語が使われている。何人の人が'traditional'(伝統的)と書かれたシャツを着ていることか。

実はバモス(ホンダ)、エスパーダ(ランボルギーニ)など車などの名前になっているスペイン語もある。だがそれらも結局は言葉の持つ意味は重要ではない。いちいち名前の由来を調べる人も少ないだろう。重要なのは、異国風であること。これに尽きる。こういう文脈ではコトバは記号であることすらやめてしまう。それは一種の象徴、つまり上記のアップリケのことについて言えば「日本という国の印象」を表しているにすぎない。まさにrepresentation(表象、代表)である。

※ちなみにバモス(vamos)は「さあ行こう」の意味。日常会話でもよく使うので、スペイン人がこの車を見たらさぞかし出かけたくなるような車なのだろうなと思うかもしれない。エスパーダ(espada)は刀剣。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?