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自閉症と生きるということ
ひいらぎ
38歳の時に私は自閉症の確定診断を受けた。ショックだった。まさか
喋る自閉症がいるとは思わなかったのである。きっかけは娘の幻覚だった。
「ママ、お風呂場に生首がある。」
と怯えていたので、児童精神科に連れて行った時だった。
娘は自閉症の二次障害で統合失調症になっていた。私の言動がおかしいと
娘の主治医に言われ知能検査を受けたところ私もまた自閉症の二次障害の
統合失調症と診断された
「ゆきよと、とらじゃと、ひいらぎと」 ひいらぎ
それでも生き残った私
ひいらぎ
恐怖を感じたのは三歳くらいの時だった。兄がガムを盗んだらしく両親が折檻していた。
裸にして殴る蹴るの暴力をふるっていた。私は恐ろしくてただ震えていた。
最後はどうなったのか覚えていない。
私が育った家庭では親は絶対の力をもっていた。夕食の間はテレビがついていたが
テレビに気をとられて食事が遅いと箸の裏側で殴られた。
三歳の頃は母親は働きに出かけていて私は一人
さらば、ダメ夫 ひいらぎ
ひいらぎ
ダメ夫:だめおと読む、人としてどうかなという男の事。私の夫の愛称である。
ダメ夫と知り合ったのは新宿のオフ会だった。当時、離婚した人を中心にネットサークルがあった。カラオケやボーリング、飲み会等をして和気あいあいとするサークルであった。私は離婚したばかりの時で、ダメ夫は離婚調停中だった。
天然パーマで前髪を下ろし、ジョンレノンのような丸い眼鏡をしていた。迷彩のベストを着て、紙袋。カ
「海を渡った猫」 ひいらぎ
~コノとの10年間~
ひいらぎ
娘と散歩していた時に、子猫の鳴き声が聞こえた。当時、娘は3歳だった。電柱の下に、目やにで目が開かない子猫がいた。
子猫を持ち上げた途端、自転車が猛スピードで去って行くのが見えた。中学生くらいの男の子が自転車の後ろに箱をつけて
去って行った。捨てたんだと直感した。
子猫が弱っていた事から、すぐにタオルでくるんで獣医さんの所に連れて行った。目やにを取って貰い、体を
“黒い鬼” ,“生霊” kuro
“黒い鬼”
私が二十代のころ、夢の中で私が黒い鬼になって、天井に向かって何度も飛び跳ねて必死になって自分の部屋から抜け出そうとしていました。
鬼は天井を睨みながら、小さな緑色の炎を吐いていました。
夢を見ていた私がふと我に返ると、布団で寝ている私の上で黒い鬼が上に向かって飛び跳ねていました。
鬼は頭が異様に大きくて短い角が二本生えていて、手と足が長く鋭い爪が生えていました。
私は、その様子を離れた
“神の通り道”,“天狗の御明” kuro
“神の通り道”
神様は道の真ん中を通ると言われています。
特に神社などの神様の祀られている場所の道の真ん中を歩いてはいけないと言われています。
もし、道を通っている神様の進路をふさいで邪魔をしてしまうと死んでしまうそうです。
私が小学二年生のころの事です。そのころは、アパートの一階の一番奥の家に住んでいました。
秋のある日の夕方、なんとなく家の外に出てると、何となくいつもとちがう場所にいるような不
“ぎすの復讐” ,“土蜘蛛の怨霊” kuro
“ぎすの復讐”
私の田舎では、昆虫のキリギリスの事を「ぎす」と言います。祖母が言うには、“ぎす”は咬みついたら首を切られても咬みついたまま離なれないそうです。
私が子供だったころ、和歌山の山奥にある田舎の畑で手伝いをしていた時に祖母が何かの大きな虫を捕まえて、私に手渡そうとしました。
祖母は私を喜ばそうとして虫を捕まえたのですが、祖母に捕まえられているその虫は明らかに異様な姿をしていました。
私の