入ったら病む?


閉鎖病棟覚書

ひいらぎ

ープロローグー

夫が死んだ。いつものように透析に連れて行く為に夫の部屋に行った。
いつも寝ているのと同じような姿勢で寝ていた。

「いつまで寝てるの?」と、声をかけながら揺り動かした。

冷たい。

慌てて鼻と口に手をかざしたら息をしていない。すぐに救急車を呼んだ。
蘇生しながら救急車を待った。

すでに亡くなってから数時間経っていたという事から警察と病院から
医師が来た。死亡診断書を書いてもらってから親族に連絡をして翌日に
お葬式になった。簡単な家族葬だった。骨になった夫をみて、諦めがついた。

その時夫は認知症から特別養護老人ホームに入所する予定だった。
食べた事を忘れて夜遅くにご飯を焚いておむすびを作ってやったりしていた。
ホームに入るので禁煙させようとヘビースモーカーの夫の喫煙を調整していた。

こんな事ならタバコを好きなだけ吸わしてあげれば良かったとかホームに
入所したら知らない人に囲まれて好きなタバコも吸えずおやつもなく不便な
生活を強いる事になる。認知症なので自分の身に何が起きたか理解も出来ずに
ただ生きてるだけの夫の環境を想像すると家で亡くなった方が幸せだったのかも
知れないと自分に言い聞かせてお葬式をした。

私は私でグループホームに入所する予定だった。猫を連れてグループホームで
寝起きするようになった。

口の悪い友人は私の事を「血統書付きの野良猫」と比喩していた。

猫風に言えば餌場(作業所)があって寝床(グループホーム)を提供された
地域猫の気分だった。ある夕方夫の遺体を見つけた時のフラッシュバックが
起こって冷静ではいられなくなった。泣きながら後見人に電話をして主治医に

「入院する?」

と言われうなずいてしまった。

地域猫が保護猫になった瞬間だった。

後見人に連れられ精神病院に行った。

新型コロナウィルスの感染を調べるのにPCR検査を受けた。他は説明もなく
当直していた医師に診断書を書いてもらい病棟に向かった。猫は預かって
もらう事にした。

愕然とした。

通された部屋は全面がステンレス製っぽい感じで薄明りが見えているだけだった。
紐や瀬戸物を渡し紐付きの寝巻等も取り上げられた。後でわかった事だが
コロナ待機で4日間個室と言うことだったが個室が開いていなかったので隔離部屋。
通称「独房」に初日は入院となったのだった。

説明を受けてなかった私はマリーアントワネットの最期の独房を思い描いた。
窓という窓もなくステンレス製のついたてにミシミシと音がするベッド便器錆びた床頭台。

水を2リットルと紙コップ。これだけが調度品だった。

こんな所に閉じ込められていたのでは囚人みたいだと思った。何故医師の
「入院する?」に返事してしまったのだろうと後悔した。薄暗い天井に丸い突起物赤い
ランプ。

「ああ、防犯カメラだ。」

と思った。

日長一日ベッドにいた。ミシミシという音だけが聞こえ孤独だった。食事を運ぶ
物々しいウィルス対策をした看護師や介護士に何か話しかけても首をふるだけで
何も答えてくれなかった。

これからどうなるのだろう?まさか数か月ここにいるのだろうか?ナースコールも、
もちろんなく自問自答していた。食事、水、薬、トイレ、それだけが刺激だった。

山盛りによそわれたご飯。山のようなおかず。ひたすら食べた。使い捨ての食器を
片付ける看護師が「快眠、快食、快便」と、歌うように口ずさんでいた。
その人のテンションなのかバカにされているのか理解も出来なかった。

ー独房からの移動、閉鎖病棟ー

時計は置いてあったが時間感覚のなくなってしまった私は何日経ったのかいつなのか
分からなかった。それだけ独房での生活は辛いものだった。

ある時に声をかけられ(この時点で、初めて看護師と会話らしい会話をした)部屋を
移動する事になった。コロナの待機すら知らなかった私は、独房を出た。

広い。

個室に通され窓のある部屋に感動した。太陽光線を浴びながら今日は何月何日なのか?
と、時計を見たらデジタル表示されていた。ドアは鍵はかけられていなかったが
代わりのように衝立が置いてあり時々通る患者らしきお揃いのパジャマを着た人に手を振った。

手を振り返され嬉しさで人見知りの自分には想像もつかない人懐っこい笑顔を振りまいた。
ずっと窓にへばりついていた。

時々ドアを勝手に開けて看護師に注意された。

コロナの待機を知らなかった事でずいぶんと心細い思いをしてしまった。誰かに手を振って
もらえると安心して今度はあまりミシミシいわないベッドで眠って過ごした。

担当医だという医師がやってきた。そこで初めてコロナの待機期間であると知った。
しかし医師は来週から出張だと言っていた。頼りない感じの、痩せた医師だった。

そこから2人部屋に移された。相部屋には私より少し若い暇があればヨガをやっている
女性がいた。何故入院になったのか分からないくらい健康そうな女性だった。

入院計画書をもらい、一日の予定を立てられるようになった。ホールには思ったより
たくさんの患者がいた。居心地が悪かったら嫌だなと思っていたので集団によく居る
いわゆる「ボス」を探す事にした。

ージャバザハットとETーそのⅠ

ボスはすぐに見つかった。周囲を笑顔の仲間が囲みジャバザハットのように座る席も
指差しで決めている女性がいた。髪の毛が半分くらい白髪で70歳くらいに見えたが
まだ63歳だと言う。席を決めてもらった。
ついでのようにブランド物のチョコレートを貰った。ボスは私の事が気に入ったようで
病院の近くに美味しいぜんざいが食べられる店があるから連れて行ってくれると言っていた。
背中が曲がり、お腹が出ていて歩行困難みたいだった。移動する時は手を引いてやった。
ティーパックもくれた。ありがたかった。

話を聞くともう7か月も入院しているとの事で施設と入院を繰り返して10年ほど家に帰って
いないとの事だった。住所を書いた紙をもらい芦屋の住所だったのでお金持ちなんだろうなぁ
と想像できた。実際パジャマは着ないで高そうでラフなスタイルでいた。

他の人の話で独房の謎とコロナ待機の事を聞いて納得した。

「個室が開いてなくて運が悪かったね」

と言われた。安心した。

2人部屋から大部屋の4人部屋に移された。一緒にいた健康そうな女性の姿が見えなかった。
健康そうだったのですでに退院したんだろうと想像した。

ジャバザハットの取り巻きのお陰で病院の事の色んな事が判った。私は保護入院では
なかったので院内散歩にもすぐに行けた。携帯を取り戻し(ただし、午前中の15分と、
午後の15分のみ使用可能)友人たちに入院の事をラインで伝えた。

OTの時間になると、塗り絵やミッキーマウスの紙細工、雑誌が自由に読めて、卓球、写経。
私は主に雑誌を読んでいた。音楽が限定4人で聞けた。CDを持ってきて良かった。

持っていたタバコの本数が少なくなり年末年始がかかっていたのでタバコの購入に一週間
かかると言われた。タバコが送られてくるまで禁煙をした。辛かった。服にタバコの臭いが
移っていたので服の臭いを嗅いだりしていた。

やがて同じ日に入院したらしいシュレックによく似た女性と知り合った。シュレックは
テンションが上がると麻薬をやったようになるらしかった。ご近所トラブルで警察に
保護されたらしい。彼女は昔夫婦喧嘩で夫に「包丁で刺すよ。」と脅して夫が
「刺してみろや。」と言われ、カーっとなって刺して警察に捕まったらしい。
その時も「お前ヤクやってるやろ?」と警察に捕まり尿検査を受け陰性だったが
拘置所で一泊したらしい。夫が警察に向かえにきてすぐに帰れたらしいが話を聞いて
その武勇伝に驚いた。

シュレックは頼れる人という感じだった。例えていうなればスナックのママっぽい所が
あるという表現がぴったりだろう。シュレックは個人的に相談される事が多かった。

ある日、ホールに出てみると大きなアタッシュケースを持って何枚も服を重ね着して
マフラーのようなショールを巻いた女性とジャバザハットが手を握り合って話をしていた。

眼鏡の感じもそうだったのだがETを美人にしたように見えた。

はじめはこんな所まで面会が出来るんだと思っていたがETは入院しにきたらしい。
いつも大きな紙バッグに雑誌や化粧水なんかを詰め込んだままホールに来ていた。

ETは元看護士らしかった。神戸高校を卒業したインテリで医大に進学するべきだった
らしいがナイチンゲールの存在に感動して看護学校に進学したらしい。
2回離婚して3回目の結婚には大手の会社勤めのエリートと結ばれた。どこか儚い感じが
娘と重なって私とシュレックがETの世話係になった。

もちろん入院している以上は何等かの精神疾患を持っているのだがシュレックは普通に
見えたがジャバザハットは腹違いの兄が舘ひろしと言うしETの手は大きく痙攣していた。

ETは看護師らしく薬の調整や看護師が患者の要望をあまり聞いてくれない事があると
意識がはっきりしていてキビキビした神戸弁で持論を繰り出していた。

専門用語を使いさすがに元看護士と思える場面が多々あった。口が良く回った。

シュレックは8年前に夫を突然死で亡くしたらしく一人息子と暮らしていた。
息子が荷物を持って来てくれなかった事から彼女はETの沢山の荷物からマスクやお菓子
コーヒーなどを調達していた。

ETは婚家の両親に可愛がれていて差し入れの量も半端ではなかった。痩せた体に似合わず
いつも大袋のポテトチップを広げて食べていた。席順で言えばジャバザハットの向かえにET。
隣にシュレック、ETの隣に私といった感じだった。

看護師が見ていない時はETの提供お菓子を広げ皆で色々と会話して過ごした。皆いい年
だがそれを「女子会」と言っていた。

ー時間割ー

朝はみんな大体6時頃に起きてきてETの提案でNHKのテレビ体操をしていた。簡単な運動と
ラジオ体操。それからおしゃべりをして7時50分に朝食。これがまた大盛のご飯ですごかった。
それでも強者は大盛を要求していた。パンと米飯のどちらかが選べたが私はパンにした。
市に表彰されていた病院だったので食事は美味しかった。

食事が終わるとまたおしゃべりやテレビ鑑賞。それから院内散歩。わずかな時間だったが
外に出れる大きな息抜きの時間だった。私は難聴の若い女性つぐみちゃん(仮名)と毎日
一緒にタバコを吸っていた。運よく看護師さんが内緒でスマホの充電をしてくれていたので
ラインで友人たちに毎日メッセージを送る事が出来た。他の人は中庭を歩いていた。
日の当たる所で固まっておしゃべりをしていた。

散歩から帰ると週に2回のお風呂タイム。その他は広くて長い廊下を歩きながらおしゃべりを
していた。そのうちに他の患者とも仲良くなっていっていた。

そして昼食。これもまたボリューム満点だった。痩せすぎで入院している老人などもいた。
その人たちは早く退院できるように大盛を頼んでいた。

ETとジャバザハットは、廊下の散歩には参加していなくて、新聞を読んだり、お菓子を
食べたりしていた。

それからOT。たまに大きな薬缶にコーヒーやココアを入れて配ってくれたので楽しみだった。
途中からまた院内散歩。

夕方まで女子会やら廊下散歩おしゃべり。午後6時には夕食。その後が長くて再び廊下散歩。
他人と距離を置く癖のあった私だったがおしゃべりに自主的に参加していた。情報が
飛び交うのと人恋しさと不安を忘れる為におしゃべりに夢中になった。

午後8時に眠前薬。そして午後9時に消灯。毎日がそんな感じだった。

ーシュレックの罪ー

面倒見の良いシュレックだったがその時その時で話を合わせる癖があった。

ある老婆がいた。

老婆は泣きながらシュレックに抱き着いて拝むようにする時もあった。シュレックも
もらい泣きをしている時もあったが老婆の話を聞いてるうちにシュレックが憎くなった。

その老婆は、夫を亡くしてから一人娘に嫌われつつあって娘婿が認知だと言って
老婆の貯金や年金を管理していた。老婆の思い違いかも知れないが娘婿が毎月
数万年金を着服していると言っていた。老婆の年齢を考えると娘婿は50代だと思うが
義母の少ない年金を着服するのは現実味がない。

通帳やハンコを取り戻す為に娘たちの家に行ったが入れてもらえず近くにあった大きな
石ころで窓ガラスを割り警察に保護されて入院して老人ホームと病院を往復している
との事だった。

その老婆をシュレックは引き取ってあげると言い自宅に和室が余っていると同居を
誘っていた。

「私はね、普通の生活がしたいの。普通にお買い物に行って、自分でお料理をして、
たまには外食に行って。」

と泣き崩れていた。

「この人だけが頼りなの。身元引受人になってくださるって言うから希望が持てたの。」

とシュレックを拝んでいた。

「え?」

と思った。

そんな大事な事を口約束で決めて良いのか?

人ひとりを、その命を預かる覚悟が短期間で決まるものなのか?

あまりにも無責任なシュレックの行為に許せなくなっていった。

やがて老婆は老人用の病棟に移された。シュレックは見送りにも来なかった。

ーシュレックの退院は突然にー

これといった精神疾病を抱えていなかったシュレックは運転免許の更新で
退院出来る事になった。

入院して2週間といった頃だったか。シュレックが退院すると報告してきた。
前記したがシュレックは過去、夫を刺して拘置所に一泊した。

「三針縫っただけで済んだのよ。」

と満面の笑みでシュレックが武勇伝を話すのをきいていた。しかしながら普通の
神経の人が夫を包丁で刺すか?と疑問が残った。もしかするとシュレックのような
ハイテンションになる人はこの世の中にうじゃうじゃいるのかも知れないと考えた。

そういえば私の実母も子供たちを𠮟りつける時に

「今度やったら、これだからね。」

と包丁を振りかざしていた。

普通という言葉は好きではないがいわゆる普通の一般市民が何か事件を犯す事は
ありえるという結論に落ち着いた。外には出ていない何の問題もなく生活を送る
人たちの中で信じられない行動が内包されているのだとしたら実際に逮捕されている
人というのは氷山の一角に過ぎないという事だ。

ーもろもろー

晴れてタバコが支給されてすぐの頃、中庭を散歩する時間に喫煙していた私にひとりの
女性が声をかけてきた。タバコがないので一本奢って欲しいとの事だった。
快諾して顔を見て驚いた。

ひょうたんのような輪郭に目だけパタリロみたいな顔だった。髪は長く首元で縛っていたが
腰よりも長かった。

パタリロは感謝してタバコを受け取った。

人の顔を見つめるのは失礼だと思い目をそらしながらタバコを吸った。

心臓がドキドキした。顔の輪郭が人間のものとは到底思えなかった。野菜で規格外の
歪んだ形はあるが人間でもあったのだと思った。そういえば娘がいた施設にも後頭部が
ほぼ無い人や体が90度くらいねじれている人。顔の形が不自然な人。
背中が極端に曲がっている人たちがいた。

身体障碍と同じように、むしろ障碍があるから知能などに影響している。そういう人が
多く存在している事実が私の気持ちを重くした。街を歩いていてもそういう人には
ほぼ出会えないが施設や病院には多くいる。そんな考えが頭の中を駆け巡った。

コロナ待機の個室からドンドンと大きな音と叫び声が聞こえた。衝立からそっと見ると
顔の半分が紫色に変色して首がほとんどない老婆が靴を片手にドアを叩きながら叫んでいた。
おそらく看護師を呼んでいるのだろうが

「お兄ちゃん、お兄ちゃんっ」

「お姉ちゃん、お姉ちゃんっ。うんこや、うんこさせてっ」

毎日何時間でも叫んでいる。あまりの大声に「えらいのが入院してきたな」と思った。
その老婆には残りの3週間も苦しめられる事になる。リアル砂かけ婆みたいな人だった。

その他にもダウン症の娘さんもいた。言葉はほとんど話せず動物のような唸り声を立てて
ETの私物のタオルなどを奪っていた。取り返さそうとすると「ぎゃあ」と叫んでタオルを
胸の前で抑えていた。私も娘を引き取る事は出来なかったが親は何をしているんだろうと
考えた。黒目が片方目じりにすっぽりと入ってしまっていて遠目で見ると片目に見えた。

家で介護できなかったのだろうか?ダウン症の娘のいる知人がいた。施設入所はさせて
いるものの可愛いからと週末は家族で過ごしていた。そういえばダウン症の若い男の子が
本を出しているのをきいた事がある。同じダウン症でもいろいろなんだなぁと考えた。

しかし機嫌の良い時に手を引くと大人しくついてきて歌を歌ってやると音階をまねてきた。

意識がもどったばかりの娘を思い出しその子の面倒も私はみていた。

いつも歌をか細い声で歌っている若い娘さんがいた。ジャバザハットの取り巻きから
聞いたのだが川に飛び込んで命を助けてもらったが両親が身元引受人を拒絶しているので
閉鎖病棟の最長期間90日後施設に送られるとの事だった。可愛い娘で時々歌をリクエストした。
廊下散歩にはもれなく参加していた。桃ちゃんと言った(仮名)。

シュレックが退院する一週間くらい前に、私はひとりの女性がいるのを発見した。

ーバブリィとの出会いー

前髪が80年代の女性がいる。と思った。バブル時代に流行った、長めの前髪をくるっと
カールしていた。体格も普通で、精神疾患に多い肥満や痩せすぎでもなかった。時々

「お父さん~」

と泣いていた。シュレックには身の上話はしているようだった。シュレックがよく抱きしめて
宥めていた。断片的にその人のバックグラウンドがはっきりしてきた。

ユーミンを思い出すような顔立ちをしていた。眉も整えてあり明らかに他の入院患者とは違う
雰囲気を漂わせていた。化粧をすればきっと美しい女性なのだろうなぁと思った。

親しみを込めてその女性の事をバブリィと呼ぶようになった。

薬も朝昼晩と精神安定剤を1錠飲むだけだった。ごくごく当たり前の市民に見えた。
思い切って話を聞くとこうだった。

年は50歳。家は芦屋で夫と娘と実母の4人暮らし。夫は、ばついち。何とその別れた元妻と
不倫をしていた。証拠はある。不倫相手の元妻から慰謝料400万近くを自分の口座に
振り込ませてある。

DVの癖のある夫に20年以上苦しめられている。娘は22歳の今年就職。結婚式を行った
オーストラリアから成田離婚になるはずだったが夫の謝罪で離婚には至らず。
結婚後家には一切の生活費を入れることはせず、妊娠したバブリィは働きづめで
妊娠中毒症になり退社。家の名義は夫とバブリィ。

娘の事は可愛がって育てたが、信頼していたので娘に銀行の通帳カードを預けていたが、
娘がネットの投資にハマり、2千百万円を使い込みしていた。

素行が悪くなってきた娘に耐えかね、泥棒が入ったのを機会に家じゅうに防犯カメラを
設置していたが娘の使い込みに前後不覚になったバブリィが娘の髪の毛を引っ張りまわし、
殴ったり蹴ったりしたのを録画した夫によって警察に通報され入院になったとの事。

しかし、バブリィにも体に無数の青あざがあった。夫と娘によってたかって殴ったり
蹴られたりしたとの事。実母が認知になりつつあるのでそれをいいことに夫が実母にも
暴力をふるっている。実の姉は知能障碍があり施設から病院に入院している。

自分が実母と姉を守るのだ。

そうバブリィは泣いていた。

私は自分の離婚の頃を思い出した。元夫からの酒乱による暴力。不倫。娘への暴力。
体重が35キロまで痩せ衰え多額の慰謝料と養育費で離婚したのを思い出した。

バブリィに離婚は勧めなかった。ケースバイケースというのと自分自身元夫と離婚しなければ
経済的に困窮する事はなかった事。今でも離婚が正しかったのか20年以上経っても正解は
見つからない事。そういう事を考えると気楽に離婚を勧める事は出来なかった。

私は深くバブリィに同情した。

バブリィは孤軍奮闘していた。過去の自分とその姿を重なり合わせていた。よし、微力
ながら助けてやろうと僭越ながら決心したのだ。

夫にスマホを取り上げられたバブリィに代わって法テラスの電話番号を調べその他バブリィが
希望する公共機関の電話番号を調べてやった。

バブリィは社交的で、すぐにリーダー格になった。ジャバザハットが解放病棟に移った頃には
彼女が席順を決めるようになった。

バブリィは鼻がきいて、お菓子を家族からたくさん送って貰っていて持て余している人をみつけ
私も同行してお菓子やコーヒーを貰っていた。

シュレックとバブリィは仲良くなり退院したらカニとフグを食べに行こうと約束していた。

つぐみちゃんから手話を習い「愛している」をよく二人でやっていた。

ージャバザハットとETーその2

ジャバザハットは長年入退院を繰り返しているだけあり写経を暗記していた。端正な筆で
書かれた般若心経をみて感心した。しかし舘ひろしと腹違いの兄妹だという線は
譲らなかった。ETはOTでも自分が持ち込んだ雑誌を読んでいた。ETはプラスチックの
ポットを持ってきていて、紅茶を入れていた。
その紅茶だが、毎日お湯とティーパックを足していき、ティーパックが7~8袋入っていた。

ある日その「何だかわからない紅茶もどき」に朝食の牛乳を入れていた。「げっ」と思った。

その「紅茶もどき」を他人に飲むように勧めるのだ。私もコップに入れてもらったが
飲むふりをして捨てた。牛乳が凝固してフワフワと浮いていた。シュレックは
「飲めるよ。」と毎日貰っていた。

私は後見人が送ってくれたウェッジウッドのアールグレイを元手にお菓子やコーヒーを
入手していた。バブリィが上手くお菓子やコーヒーをゲットしてくれるのでそれにも肖っていた。

ある日ジャバザハットがETの顔に彼女が持ってきた化粧品で化粧をしてやっていた。
ジャバザハットの顔を見ると彼女も白粉を顔中に塗りたくりチークで頬を真っ赤にしていた。

さすがにウケた。

ETも何年も入退院を繰り返しているようでちょっとした有名人だった。看護師たちの名前を
完璧に覚えていた。可愛らしい声で専門用語をならべ流暢な神戸弁で時には看護師をまくし
立てていた。しかし薬を毎日30錠以上飲んでいて結局何の病気かは分からなかったが
食事をする時にも手が大きく痙攣していた。

散歩に行く時もETはアイスクリームとジュースを自動販売機で購入して時間以内に
食べきれずに震える手でドアの外に座り込んで食べていた。

ー別れと出会いー

ジャバザハットとつぐみちゃんが開放病棟に移動する日が来た。人徳があり20名近くが
見送りに出た。私はジャバザハットの代わりにバブリィがボスになりつつあったので彼女に
感謝の言葉を述べ、自分のスマホの番号を紙に書いて渡した。つぐみちゃんは唯一の
タバコ友達だったので寂しかった。

代わりに砂かけ婆が個室に移った。相変わらず「お兄ちゃん、お姉ちゃん」と、
叫び続けている。そしてご近所トラブルで入院したタマチャン(仮名)が入ってきた。

タマチャンは美しい女性で年は50歳だと言っていた。富士額でホリの深い端正な顔立ちを
していた。

ご近所でいがみ合っていた人に自分が書いたとわからないように左手で悪口を書いている
うちに右手で手紙を書いて5通ポストに入れたとの事だった。被害を受けたご近所さんが
警察に届け被害届を出したので警察に保護されたらしい。「左手で書いたのに。」
などと言って皆を笑わせていた。

若くして結婚したらしく、すでに孫もいるらしかった。孫が送ってくれたヘアアクセサリーを
つけていた。離婚はしているが働いていないらしい。なのに私服がものすごく高価な物を
持っていた。お兄さんが身元引受人で沢山お菓子やコーヒーを送ってもらっていたので
皆に配っていた。助かった。

謎の多い女性で高級住宅地に一人で暮らしているとの事。病気らしい病気は持って
いなかったのでバブリィと一緒に仲良くさせてもらった。

そして空の巣症候群で入院してきた松さん(仮名)と、親を殴って入院してきた
チエちゃん(仮名)朝ゴミを捨てに行こうとして階段から落ちて背骨と骨盤を骨折した
やべっち(仮名)がメンタルも持っていたので他の病院からやってきた。やべっちとは
タバコ友達になった。

バブリィがこれらの女性たちをまとめ、食事の時の席順を決めた。

ーお婆ちゃんたちー

砂かけ婆も含め、認知の老人たちも多かった。子供たちに見捨てられ老人ホームと
精神病院を往復しているお婆ちゃんたちである。

中でも手のかかる迷惑は「電話して欲しい」と訴えるお婆ちゃんズである。
大抵が電話をかけても留守電になっている。自分が何故入院しているのか?いや入院の
自覚もないらしい。家に帰らないといけないと思い込んでいる。

可哀そうだったので始めは電話をかけてやったが私だけではなく数名がそうしていた。

それでも留守電である。留守電であきらめたかと思ったら5分もしないうちにまた
電話をかけてくれと言うのである。断ると何度も電話をしてあげたのに

「あなたって薄情ね、年寄りが頼んでいるのに。」

とあからさまに敵意を持った顔で言う。もう関わるのはやめておこうと思った。

また騒音系で言うと、砂かけ婆と同じくらい迷惑だったのが食事をした事を忘れて
食事直後に

「ご飯食べてません。ここは誰もご飯を食べないのでしょうか?」と大声で
主張するお婆ちゃん。

「ご飯食べてません。」と何度も大声で言い「ご飯食べて」「ご飯」と少しずつ文章が短く
なっていくが大声で繰り返していく。気が狂いそうだった。

車いすの老人は食後小一時間は座った姿勢にさせないと吐いてしまうらしい。部屋に
連れて帰ってくれてもよさそうなものだが閉鎖病棟はどこか他人行儀で正直無責任に見えた。
騒音は我慢しろといった感じでぎゃあぎゃあ叫ぶ老人たちをホールに置いたままだった。

ナースステーションの向かって右側が多く騒音老人たちがいて左側が警察関係で入院している
人に別れていた。

それと迷惑だったのが他人の物を勝手に触る佐藤さん(仮名)。私の部屋にも毎日やって
きて洗濯物をぶちまけていた。

「やめてくださいっ」

と怒鳴っても「佐藤といいます。」と何度も言い洗濯物を病室中にぶちまける。ETは石鹸を
食べられていた。佐藤さんは一週間くらいでいなくなったが迷惑だった。

ー芦屋マダムー

社交的なバブリィが入院してから他の人の情報が沢山入るようになってきた。個室にいる
厚化粧の女性がいた。髪を綺麗に結って眉毛と目の周りにくっきりと厚化粧をしている。
ホールの談笑には混じってこない。同じく芦屋マダムのバブリィが
「あの女性、芦屋の臭いがする」と話しかけ入院のきっかけを聞き出してきた。
ご近所トラブルで、やはり警察絡みだった。どこまでが真実かは分からないのだが
犬を盗まれたと言っているらしい。それで敷地に乱入して暴れたらしい。

夫と息子は身元引受人になってくれないみたいだった。

毎朝トイレの歪んだステンレスの精度のわるい鏡を見ながら睫毛をブラシしている。
そして着々と厚化粧を完成させていく。

そういえばバブリィもタマチャンも芦屋マダムだ。タマチャンは独身なので正確には
マダムではないのだけど関東生活が長かった私にとっては芦屋と聞くだけで白金なんか
を想像する。

マダムではないがジャバザハットも芦屋だ。障碍者でない場合は入院費用が月に30万
程かかる。
一般市民には高い入院費だ。私のような保険が障碍向けの人は費用は格安だが普通の
場合はそうはいかない。しかるべき人が集まっているのだろうと思った。

誰がどうなのか?謎には包まれているが精神病院という所は不思議な病院だなと思った。

ーやべっちー

やべっちは私と同じく格安入院の一人だった。生活保護らしい。最初の結婚で娘が産まれ、
その後離婚をして、次の結婚は家電などのトレードをするサイトで知り合ったヤクザ
だったらしい。

知り合った頃が冬だったので気が付かなかったが体中入れ墨を入れているとの事だった。
好きになったので獄中結婚をしたらしい。相手はただ単に身元引受人が欲しかっただけと
分かったのは離婚を言われた時だったらしい。

結婚生活の中でも夫が覚せい剤等で捕まる事が多かったらしい。老人ホームの介護士を
していたやべっちが生活の面倒をみていたらしい。

「お巡りさんって、運転上手いよね。」

とやべっちは笑っていた。ホールのテレビで警察24時なんか放映している時にやべっちが
言っていた。

やがて離婚後メンタルの調子の悪くなったやべっちは生活保護になった。

やべっちは娘さんが身元引受人だが骨折した事で危ないと施設入所が退院の条件に
なっていた。彼女はまだ50歳。私も施設に入るのには若すぎるという事でリハビリ目的で
ないのなら生活保護に戻った方が良いと思っていたがやべっちは保護猫をもらう約束で
生活保護だとは言っていなかったので猫を返してもらえるかどうか心配ばかりしていた。
ほがらかな性格でバブリィみたいに意気投合した。

やべっちはタバコを買うほどのお金を持っていなかったので毎日のタバコを奢って
あげていた。

コーヒーも奢ってやっていた。退院したらタバコが吸えるカフェでおしゃべりしようね。
と約束していた。

常に前向きで、歩行器がないと長時間歩けなかったが悲観はしていなかった。
そういう所が好きな部分でもあった。

ー夫からの手紙ー

日常からいきなり入院に突き落とされた感のあるバブリィだったが全身の痣や泣いて
いない時の彼女の言動を見ていると話しを信じるようになった。ある日バブリィに
小声で呼ばれその時はバブリィと同じ病室になったので行ってみると手紙を持っていた。

ワープロソフトで書かれた手紙だった。バブリィの主治医が言うにはバブリィは入院するに
あたって夫と主治医との言い合いがあったらしい。

「この人はメンタルは病んでないので入院出来ません。」

「娘を殴ったんです。入院させてください。」

と2時間程の言い合いの元「数日なら彼女が落ち着くまで」と主治医は不承不承ながら
入院を承諾したらしい。

入院時のバブリィはひどく興奮していて血圧が200を軽く超えていたらしい。

主治医が言うには夫が了承したらいつでも退院出来るとの事だった。

「あたし騙されたの。」

と、バブリィは涙を流した。そして手紙を私に見せた。

要約すると、療養の方法家族との今後の暮らし方そして最も重要だったのが箇条書き
してある項目について何が原因なのかこれからその項目別に手紙を書きなさい。
との事だった。娘が傷つきメンタルを病んだので精神科に連れて行こうと思っている
との事と返事を出さないと4月には自分と娘が働きに行くので実母を施設に預けるとの
事だった。

驚いたのが箇条書きになっていた文章だった。

「殴らないでください。蹴らないでください。」など綴ってあり読み進めていくと

「証拠もなく男性関係の事を疑わないでください。」
「万引きをしないでください。」
「あちこちのお店にクレームを入れないでください。」

などなど

「男性関係?旦那さんホモなの?」

と思ったがバブリィ曰く娘の事らしかった。何気なく娘のラインが出たままのスマホが
家のテーブルに置いてあったらしい。ラインには数名の男性とのやりとりが残されていた。

「今日ホテル行く?」
「今日は辞めておく。」

そういう内容が別の男性ともやりとりがあったらしい。

娘から「ママ生理が来ない。」など、相談を受けていたらしい。まぁもう成人しているのだから
男女交際はあるだろうが色んな男性と関係を持っていると思われる娘をバブリィは叱ったらしい。

「これ娘が言っているんだと思う。」

とバブリィは泣きながら言ってきた。

万引きやクレーマーは、ありえないだろうと思った。それに、病院では拘束90日のはずである。
4月の予定を言うのはおかしい。申し訳ないがその手紙は狂った人が書いていると思わざるを
得なかった。

「どうしよう?」

と泣きながら言うバブリィに私は無言の圧力をかけた方が良いと助言した。した覚えのない事に
どこをどう押したら返事が書けるのか?と言った。

手紙を受け取った連絡だけ電話したらいいと伝えた。バブリィはその通りにした。
そうするとまた手紙が届いた。わずか二日後だった。バブリィは手紙を読むと真っ赤になり
震えながら泣き出した。

手紙には娘はバイトに行っていたので電話の事は知りません。返事を書かないと退院を
了承する事は出来ません。と脅迫じみた内容が綴ってあった。

精神的ダメージを受けて精神科に連れていくはずの娘がアルバイトに行っている。これは
大ウソつきだなと思った。バブリィは震えていたが冷静になって欲しかったので
落ち着いてもらう事にした。

大手の企業に勤めているエリートサラリーマンには見えなかった。バブリィは
使い込みをした娘の幼稚さを知っていたので娘の言い分をきいた父親がそういう手紙を
書いたんだと思っていた。それなら事情は分かるが娘も有名な偏差値の高い大学に通っている。
バブリィの夫と娘は狂っていると思った。

バブリィが言うには頑張って家庭を守ってきた事。娘を可愛がって育てた事。夫の不倫は
許せないが今は我慢している事。そして実母がどんな目に遭っているのかが分からない事。
正気を保つのが精いっぱいらしかった。

大事なはずの家族を病院に放り込んで何て人たちだろうと思った。

無言の圧力をかけていたがバブリィの主治医が

「あなたの夫はかなりな意固地だ。手紙を書きなさい。」

と言うので遂にバブリィは返事を書いた。

ー女子会にてー

消灯の時間を過ぎると「女子会」と称してお菓子を広げておしゃべりをした。
その時にタバコのお礼と目だけパタリロがドーナツを持ってきた。

「スポーツの事なら何でも聞いて」

と言うのでメジャーリーグやJリーグの話をするのだと思っていたら突然

「野球は9人でひとチームなの。」

と野球の説明をはじめた。

「え?」

となりパタリロを放置していたが朗々と野球の説明をしている。誰もパタリロの
話をきいていない。言わせておこうという結論になった。散歩に来ていたパタリロ
だったがその時だけで翌日からは看護師に「保護の人は散歩行けないの」と叱られていた。

ーおてもやん降臨ー

コロナの待機を知っていたのだろう。おてもやんが入院したことは誰も知らなかった。
個室に移されたおてもやん(可愛いと勘違いしているが、顔はおてもやんである)は
皆の名前を聞いて下の名前を呼び捨てにしていた。彼女もまた入院と退院を繰り返して
いる常連だったみたいだ。

名前を覚えるのが得意なのはおてもやんが看護助手をしていたからみたいだった。
最新版の看護師の資格の教科書を持っていた。頭は悪くはなさそうだった。

おてもやんは看護師の無視にいたく激怒していて病院ごと司法に訴える予定を立てていた。
それはそれでまともな頭を持ってはいないのだろうと思っていたので私は相手にして
いなかった。皆を部屋に集め早口の大声で
「こいつら(看護師と医師たち)は、もう終わりやからな。」と自信満々だった。

「無視も虐待やからな」と公衆電話のある所に貼ってある市役所の福祉課にも電話を
しているようだった。もちろん相手にしてもらえるわけもなくおてもやんは
ヒートアップしていっていた。

フランクな性格から人気はあったのでおてもやんが入院してから「女子会」が徹夜に
なったりしていた。私は早寝早起きをモットーとしているので徹夜には付き合わなかったが
朝起きると数名顔色の悪い人がいた。おてもやんの話術にすっかりハマっているようだった。

彼女は保護入院ではなかったので散歩にも行けたが、いつも親に電話をしていた。

おてもやん曰く

「うちはネグレクトからの過保護やから。」

で差し入れも半端ではなかった。公衆電話からもよく電話をしていてテレホンカードも
差し入れして貰っているようだった。

おてもやんもパジャマは着ていなかった。毎日のように高そうなカーディガンにスエットを
着ていた。

頭はよく回り口もよく回っていた。知り合いを増やしおてもやんがボスになるのかなぁ?
と思っていたがバブリィに対して

「入院している以上、お前も患者やからな。」

と言ったのがしこりになりバブリィは彼女を嫌うようになっていった。

食堂の職員が音を食器等の音をたてても

「お前、お前やっ。騒音も虐待やからなっ」

と怒鳴り散らすようになりスピーキングハイというか自分がしゃべっている時間に
ハイテンションになりある日ぎゃーっと叫んだ後後ろに倒れた。失神していた。

すぐに目を覚まし

「死ぬっ。死ぬっ。救急車呼んでっ。ここの病院はあかんねん。」

と大騒ぎして暴れた。ナースステーションのドアを叩いたり蹴とばしたりはじめたので
看護師たちに抑えられて独房入りになった。

独房からもおてもやんの叫び声が聞こえていた。
それを境におてもやんのボス就任はなくなった。

ー主治医ー

私の担当医は頼りがいのない感じの痩せた医師だったが本当に頼りがいがなかった。
出張の後の診察で砂かけ婆の騒音の話をしても

「それは大変ですね。開放病棟に行きますか?」

と呑気そうにカルテに書き込みをしていた。ワールドカップの頃だったので夜中や
明け方までテレビ観戦をしているみたいで目は充血をしていた。たまたまやべっちと
同じ担当医だったのでやべっちと文句を言いあっていた。

何を言ってもカルテに丁寧に書き込むだけで助言してくれるでもなく退院したいと言っても

「そうなんですね。」

とまた「退院したい」と、カルテに丁寧に書き込んでいた。後でわかったのだが私は新しく
グループホームが決まるまでの入院だったのである。病院のケースワーカーさんが決まるまで
いつ退院出来るのだろうか?と心細かった。

せっかく診察があっても言った事をカルテに書き込むだけで数分の診察だった。
開放病棟の部屋が空いていなかったので閉鎖病棟に居たのだった。

やべっちも退院したいと訴えていたがやはり「退院したい」とカルテに丁寧に書き込む
だけだったのである。病院や医師や看護師の事に詳しい人に聞いたのだが精神鑑定の仕事も
バイトでしているようだった。どっちが本業か分からないがお世辞にも仕事熱心には見えなかった。

医師免許を持っている以上は偏差値が高いのだろうがこんなに患者の事を真剣に考えない医師に
出会ったのは初めてだった。

ー散歩ー

午前中15分午後15分散歩は出来たがナースステーションのノートに必要な物と時間と氏名を書いたら
ドアを開けてもらい外では自由だった。付き添いはなくやべっちと二人で灰皿を囲むように座って
タバコを吸っていた。

ところが看護師が散歩の事を忘れる事が多くよく忘れられていた。冬だったので雪が降り積もる事も
あったが締め出され最長30分以上忘れられていたりした。

そういう時は私だけスマホを持っていたので病院に電話をかけ締め出されている事を伝え
ナースステーションに連絡を入れて貰っていた。

大まかな感想は精神病院はいい加減に思えた。

それでも散歩は楽しみなイベントだった。中庭だったので建物で区切られて四角い青空だった
が唯一自由になる時間だった。

ーテレビー

ホールにはテレビが2台設置されていた。リモコンには「音声は25まで」とシールが貼って
あった。私はニュースやアニメ音楽番組は観るもののテレビは基本的に観ない方だったので
テレビを観ていると「テレビ浦島」になった気分だった。

タモリやさんまが老けたのを10年ほどろくにテレビを観ていなかったので驚きがあった。

とはいえ好きな番組が観れるわけではなく2台のテレビは別番組が映っていた。音も
広いホールでは聞き取りにくく文字放送で辛うじて内容が分かるくらいだった。

ある日カエルのような顔の女性が入院してきて開放病棟から来たらしかったがテレビの音を
マックスにしていたのでバブリィが「25メモリまでですよ」と注意をしたら貼ってある
シールをべりっとはがしてしまった。

その人はタバコを吸いに行く散歩でも唾を吐きまくり灰皿のない所で吸っていて吸い殻も
庭に捨てていた。看護師さんに相談しても「基本は禁煙やからね」と話にならなかった。

カエル顔がいる時はテレビの音が騒音だった。

ー目だけパタリロの野望ー

パタリロとは出来るだけ距離をおいていたがある日「署名して欲しい」と誘われ暇だったので
ついていったら

「パタリロ退院についての嘆願書署名」

という紙を見せられた。そんなもので退院は無理だろうと思いながら偽名を書いてその場を
おさめた。すでに7~8名の署名を集めていた。バブリィに相談をしたら

「そんなのに名前書いたらダメじゃない」

と叱られたので名前を消しておいた。他の人にもバブリィが名前を消すようにと言っていたので
結局全員の名前を消す事になった。

その後にもパタリロは服を着替え荷物をまとめて病棟の入り口でストライキをするようになった。

ナースステーションにもたびたび退院を訴えに行き断られていた。どういう経緯で入院になった
のかは分からないが野球の話も含めて少なくともパタリロは一般庶民には見えなかった。
保護入院だったので何かやらかしたのだろうとは想像がつく。

それでも入院最長90日後にはとりあえず閉鎖病棟は出られる。彼女も入院を繰り返して
いるのだろうと、考えた。

ーなのだー

バブリィが夜騒いだ。何があったんだろうと聞いてみたら、新しく入院した人が

「ここは腰のツボなのだ。」

と部屋に入りバブリィの腰をもみはじめたらしい。

誰からも相手にされていなかったが、認知症の比較的元気な老人を付きっ切りで面倒を
見ていた。ただ、語尾に必ず

「なのだ」

が付いていた。バカボンのパパか?と思ったがある日私のお茶を横から取り

「飲み干すがよろしなのだ」

と言い指のツボを押してくれたがツボではなかった。「なのだ」を振り切り自分のベッドに
戻った。OTの時もなのだは何か謎な文字で一心不乱に紙に書いていた。

「やべっ。本物だ。」

と、思った。

バブリィはさすがになのだが近づいてくると

「私。あなたはダメなの。あっちに行ってっ。」

と大声で言っていたのでバブリィには近づかなくなった。認知症の老人の面倒は見ていたが
その人が何かやったら胸当たりをバシバシ叩いていたので看護師がやってきてなのだを
どこかに連れて行った。やがてなのだは3病棟に移動していった。

ーETの夢ー

ETはバンドを組むのと手芸サークル「マジョリッカ」という会社を作る夢を持っていた。
作詞を便箋にしていて意味不明な歌詞だったが感想をきいてくるので「この部分が良い」
とか言ってお茶を濁していたが、話を合わせるためにライブハウスの場所なんかを書いて
あげていた。

ETの担当医は、前の医院長の息子の40代の医師でイケメンだった。皆に

「ライブの予定とか医院長には言わない方がいいよ」

と言われていた。バンドのメンバーは主に看護師たちだったのでありえない夢ではあったが。

実際彼女は毛糸を使って作った可愛らしいヘアバンドをしていた。働く夢を持っていたが
博報堂や宝島コマーシャル等を作りたいとも話していて入院中に就職活動をするとも言っていた。

散歩の時も私しかスマホを持っていなかったので、ETにスマホを貸してあげたりしていた。

全部ダメだったら看護師に戻ると言っていたが手が大きく痙攣していたのと謎な紅茶もどきを
作るのとおそらく入退院を今後も繰り返すのだろうと思う。

元々頭が良いので具体的な計画ではあったが肝心の本管の部分が大きく欠落していた。

ーおてもやん再びー

独房に入れられたおてもやんだったがマイペースさとハイテンションから独房生活も
楽しんでいるようだった。ただ裁判を起こす事は本気のようでしょっちゅう看護師に
付き添われて電話をかけていた。

保護入院になってしまったので散歩等には行けなくなってしまった。やがて個室に移された。

後でわかった事だがおてもやんは前の入院の時に「死んでやる」と叫び、首にタオルをかけて
自分の首を絞めて失神を何度もしていたらしい。なのでタオル類は取り上げられていたが
布団の上に寝転んで(鍵はかけられていた)お菓子を広げて食べていた。

誰かが通るとおてもやんは声をかけ看護師のお気に入りがいるやら「あいつはあかん」など
しゃべくっていた。彼女の頭の中ではすでに病院が有罪になりお金をもらう自分を想像していた。

時々「うちのツレはまじヤンキーやからなっ あいつら(病院や看護師たち)日本全国指名手配と
一緒や殺さない程度にしめたるけどな」などと地金が出ていた。

自分が看護助手をしていた時は無視はしなかったと何度も言っていた。しかし、数名の声をきいて
ホールに出ている時は最後には混乱をしてまた「ぎゃー」と叫んで失神していた。

「殺してっ 殺してっ」と叫ぶ時もあった。「こいつは本物だな」と思った。

独房と個室を何度か繰り返していた時、食事の時にバブリィの隣に座ろうとしてバブリィに
断られたので「わっ 仲間外れっ」と叫んでいた。嫌な予感がした。

予感は的中しておてもやんはバブリィを突き飛ばして殴ろうとしていた。また独房に
入れられた彼女はバブリィの名前を叫び続けていた。

ある日若い男の子が閉鎖病棟のコロナ待機に移された。以前も男性はいたが男性専用の
開放病棟に移動していて久しぶりの男性だった。若さから病棟のアイドルになっていた。
彼もまた長年入院していたらしく落ち着いていた。

アイドルをおてもやんがほっておく事はなかった。独房から出ていた時にその子の名前を
聞き出して

「何でも教えてやるからな」

と背中をバンバン叩いていた。おてもやんのマシンガントークに目を眩しそうにして顔は
引きつり

「助けて、助けて」

と呟いていた。おてもやんがそんな事聞くとは思っていなかったが彼女がホールに出て
いる時間はほとんど付きまとっていた。アーメン。

開放病棟覚書

ジャバザハットやつぐみちゃんの時もそうだったが私も開放病棟に移る日が来た。いつもだが
突然「今日の午後3時に移動ね。」と、看護師に言われた。バブリィが心細いと泣いていた。
退院したら一緒にランチでもしようよ。と慰めた。実のところ私はバブリィが何の精神疾患も
持ってない事夫に手紙の返事を出した事からバブリィの方が私よりも早く退院するものだと
思っていた。

荷物はグループホームから持ってきた小さなトランクとETがくれたスヌーピーのエコバッグに
収まった。部屋は12病棟だという。それでここには12病棟まであるのだと想像した。

ージャバザハットとの再会ー

開放病棟に移動して感じた事は

「湿っぽい」

だった。何のことはない後で気が付いたのだが加湿器が廊下の隅々に置かれていた。
閉鎖病棟には設置していなかった。運良くジャバザハットと同じ部屋になった。
つぐみちゃんもいた。

「甘い物持ってない?」

と、ジャバザハットに言われて飴を沢山あげた。代わりのようにまたブランドものの
チョコをくれた。

つぐみちゃんもジャバザハットも退院が決まっていた。仕方ないのでボスを探す事にしたのと
病棟を歩き回って情報を集めた。本棚があり漫画や小説が置いてあった。ありがたい。
週刊誌と何故か理解は出来なかったが結婚情報誌も数冊置いてあった。

あちこちに張り紙がしてあっていかにも軽い精神疾患の人向けなんだなーと思った。しかしその考えは
甘かった。

知り合いにラインすると「開放病棟になったら気楽になるよね良かったね。」と返事が来たがその考えも
甘かった。

ジャバザハットは「ちゃん付け」で呼ばれていた。常連はみんな「〇〇ちゃん」と呼ばれていた。

閉鎖病棟と違う所は普段はパジャマを着ていないとの事。約束事が多い事。

そして

何年も何十年も入院している人がほとんどを占めている事だった。閉鎖の比ではなく衣装ケースを
何個も重ねて衣類はハンガーにかけてカバンも沢山置いている人。最長90日の縛りのない病棟
だったのである。

ジャバザハットも数年開放で暮らしていた。とにかく「入院」ではなく「暮らし」と言った方が
しっくり来る。老人も多い。ほぼ認知症だった。大声で独り言を言う人もいる。正直、閉鎖に戻り
たかった。

しかし、喧嘩が始まると

「3病棟に行けっ」

と怒鳴り合っている人もいたので「まだ上があるのか。マジかよ?」となっていた。

ジャバザハットに女性向けの高価な雑誌を数冊貰った。はじめはそればかり時間のある時は読んでいた。

何故ならば

「ボスがいなかった」

からである。つぐみちゃんとジャバザハットが退院してしまった。暇になった私は小説を読む事にした。

ーリンダマンー

高橋ヒロシの痛快不良漫画でクローズという作品がある。そこに出てくる謎の多い最強の高校生の
リンダマンというキャラがいる。それと出会ってしまった。

体格や髪型がそっくりである。ただ寡黙なリンダマンと違う所は彼女が騒音系だった事である。
声がとにかくでかかった。よく言う大きな独り言が

「あっはん、うっふん、ばっこんばっこん。」

だった。

開放病棟では散歩に看護助手が付き添ってくるので自由はきかなかった。リンダマンはマイペースで
灰皿の前に座り込んでよく注意されていた。タバコを吸うとクックロビン音頭を歌っていた。

OTの時にも、スタッフに

「先生あれしてこれしてーっ。」

と大声で怒鳴っていた。開放病棟の常連のようで皆が習性や癖をよく知っていた。

初詣に行く時も(私は行かなかった)

「今年こそ退院できますようにって願うねん。」

と言っていた。何年入院しているのか聞くのも諦めていた。というかなるべくリンダマンには
近寄らないようにしていた。

ーやべっちとの再会ー

開放病棟で心細い生活が続くのかな?と思っていた時にやべっちが移動してきた。

「わーい。」「おーい。」

と再会を喜んでいた。開放病棟ではこれといった情報収集が出来ていなかったのでやべっちと一緒に
情報を集めた。タバコは普通はカートンで買うのだけど看護師がタバコを奢るのをダメだと言ったので
やべっちはひと箱ずつ買える銘柄を選んでタバコを買う事になった。

散歩が楽しみになったが以前のように内緒でスマホを充電してもらえなくなってしまったのでスマホ
は充電切れですぐに使えなくなった。乾電池式充電で十分充電出来ている人もいたが私の充電器は
無理そうだった。

リンダマンには気を付けるようにと伝えたが顔を見たとたん

「あの人は無理そうやね。」

と、なった。

自由時間にオセロゲームやトランプをしている人がいたので仲間に入れて貰えるようになってきた。
皆何年もオセロゲームをしているらしく強者だらけだった。とにかく強いのである。私も割合
オセロゲームには自信があったのだがその比ではなかった。

ー喧嘩と独り言ー

精神疾患だらけの精神病院では喧嘩や大声の独り言が多かった。衝撃が起こったのが

「日本から出ていけっ 朝鮮人っ」
「お前部落だろう?家に帰れっ、エタ、ヒニンっ」

だった。記憶が50年近く過去に飛んでしまった。小学校の道徳の時間と親の言いつけだ。

私は鶴橋のコリアンタウンで生まれたので同じクラスの人は日本名と韓国の名前のついた子供が
多かった。両親はそういう時代で育っていたので朝鮮人の子供や被部落出身の子供と遊ぶ事を
禁止していた。コリアンタウンにある小学校だったので差別をしないように毎日教育を受けていた。

成長した私はごく普通の感覚で差別などとは無縁の生活をしていた。外国人の友人もいたし特に
部落という単語はすっかり忘れていた。

それが蘇ったのである。

横浜に住んでいた時もそういう単語はきいた事がなかった。もしかしたら関西独特の風習なのかも
知れない。韓国ブームだが「朝鮮人」という言葉は普通に生活していたら出て来ないと思う。

世間では差別され易い精神疾患の世界にそういう差別的な言葉があるというのはとても残念な事で
ある。

弱い者はより弱い者を探すという事なのだろうか?

それにしても大声の独り言が多かったのには辟易とした。1時間も歯ブラシしながら朝鮮人を罵って
いる女性もいたしカエル顔の問題児はエロい下品な大声の独り言をずっと言っていた。

とにかく真面目に会話の通じる人を探す事にした。

クレーマーも多かった。看護師に文句を言っている間にスピーキングハイになるのだ。そういう人は
必ず

「お前らが給料もらえるのは私らがお金払ってるからや。」

と言うのだが日本に健康保険がある以上は税金やろ?と、心の中で突っ込んでいた。

ー本を読むー

私は本を読むのが早い。単行本の小説等は3時間くらいで読破してしまう。子供の頃、学生の頃は
純文学を主に本を読みまくっていた。ので本棚の漫画や小説はすぐに読み切ってしまっていた。

やべっちの娘さんが小説を沢山差し入れしてくれていたので、やべっちに小説を借りて読んでいた。

漫画で気に入った作品は何度も繰り返して読んでいた。小説はなるべく流行していた作品や賞を
取った作者の作品を読んでいた。やべっちも

「えっ?もう読んだん?」

と驚いていた。学生の頃のように斜めに読み飛ばしはしなかったが本を読んでいると入院の事
などを考えなくて良いので助かった。

そのうちに病院でのケースワーカーが決まりグループホームに見学に行った。選択肢はなかった。
グループホームに入居する事が退院の条件であった。

やべっちとは小説の事でも盛り上がった。本棚にあった星野源のエッセイが思いのほか面白かった。
私は星野源は音楽家を目指しながら俳優をしていると勘違いしていたが全部仕事としていたので
驚いた。世間の事をテレビを観る習慣がなかった事から知らなかったんだなーっと自覚した。

作業所の近くに図書館がありウォーキングがてら本を借りに通っていたのだがもっと本を読みたい
と思うようになった。

ーOTにてー

OTには特別参加したいとは思っていなかったが薬缶のコーヒーやココア目当てで参加していた。
参加するとスタンプを押して貰える。スタンプが集まるとステッカーをもらえるのだがそんな事に
興味はなかった。ステッカーを喜んで貰っている人もいたが子供だましみたいで楽しくはなかった。
ただ、OTの人が患者の為に知恵を絞ってイベントをしてくれるので半分申し訳ないと思いながら
参加していた。

毎日あるのが「リハビリ体操」という椅子に座ったまま出来る体操だったのだが、それのBGMが子供の
頃にやっていたコマーシャルの乗り物酔いの薬の音楽だった。

ノリクラだったけ?うろ覚えだがフレーズが頭の中をぐるぐる回った。

クイズ等もあり大抵リンダマンの大声で邪魔されるのだが頑張って考えてくれるので楽しいふり
をしていた。

ー老害ー

開放病棟にも認知症のお婆ちゃんズがいた。荷物を沢山持ちテーブルの上に広げている人まるで
マルチーズのような白髪をゴムで結っている人入れ歯の人も多く歯磨きの時に口からパカッと
入れ歯を出すのを眺めていた。

入れ歯は消毒してもらうようだった。大きな入れ歯入れを夜に看護師から渡される。

ほとんどのお婆ちゃんズは同じテーブルだった。開放病棟では席順は名前シールがテーブルに貼って
あった。大きな風呂敷とリュックサックをもったお婆ちゃんが看護師の言うことをきかずに
荷物をテーブルに広げていた。注意されても一応荷物をまとめるのだが

「うるさいわっ」

とまたテーブルに広げる。

また注意される。

また荷物をまとめる。

「うるさいゆーてるねんっ」

と、またテーブルに広げる。

食事の順番を守らない。並んでいる列の間に割り入ってくる。注意をするお婆ちゃん。しかし注意が
飛び火して他の人の攻撃に変わる。そこで始まるのが

「うるさいわっ。この朝鮮人がっ」

などなど

正義の味方みたいなお婆ちゃんズもいたが大抵はやりすぎて迷惑になる。

特別養護老人ホームの職員は大変だなぁと思った。そういう老人たちを一括で抱え込んでいるのだ。

ー手芸ー

長く入院している人たちは何等かの手芸をしている人が多かった。編み物が主流だが目の焦点が
合ってない人もいた。ゆかちゃん(仮名)といった。

彼女は他のリンダマンたちとは違う感じがした。ニットのベストにポケットをつけたりマフラーを
編んだりしていた。気が付いたのが他の人のニットにも、ゆかちゃんが作り付けたと思われる
ポケットが目立った。

面倒見の良い娘さんで巨漢だが器用で頭が良かった。開放病棟ではよくジブリのアニメのDVDを
放映してくれていた。

早耳で

「明日ジブリがあるよ。」

とか、担当医の出勤日もよく覚えていて

「〇〇先生が明日くるよ。」

と、情報を伝えてくれていた。

他の人の話を合わせてみるとクリスマスの飾りも彼女を中心に作ったらしい。新年の飾りも彼女が
中心になって作っていた。

何年も入院しているらしくオセロではゲームマスターだった。

開放病棟にはゆかちゃんのような人がチラホラいた。

ーせめて、女らしくー

閉鎖病棟から私はある事を続けていた。トイレの掃除をしたという印の所謂「三角織り」である。
どのトイレもペーパーがビリビリになっていたので汚いなぁと考えてたが三角織りにすれば皆自分が
女性だという事を自覚するのではないだろうか?と思いついてはじめたのである。

閉鎖病棟では効き目があった。きっちりした三角織りではないものの織ってあるペーパーが増えた。

しかし開放病棟では効き目がなかった。流していなかったりトイレットペーパーそのものが便器に
突っ込んであったり鍵を閉めずに用をたす人。たまらなかった。

ホールにある結婚情報誌はどういう目的で置いてあったのか最後まで分からなかったがもしかすると
何年も入院しているうちにカップルが成立する事もあるんじゃないか?と想像した。

タバコを吸いに(コロナの括りが終わった為に二人ずつ中庭に行けた)行っても仲良しのカップルが
日向で談笑していた。

リンダマンは上半身裸でホールを闊歩していたが(もちろん看護師に叱られていた)同じ女性だというのが恥ずかしくなるような行為を続けていた。

ある夜テレビを観ているとリンダマンが近づいてきて

「おねーさん。背中掻いて。」

と言ってきた。

「え?」

と、思った。断る理由を探したが理由は「気持ち悪い」しか浮かばなかったので大人しく背中を
かいてやった。本当に気持ち悪かった。

ー隙間からー

病棟から病棟への手紙も切手が必要だった。バブリィが気になっていたので手紙を書いた。切手を買い
「心配している」との内容を綴った。返事は来なかったが次の週にもう一度手紙を書いた。返事が
なかったので一応バブリィのスマホに電話をかけてみたら電源が入っていないとアナウンスがあった。

驚いた。

まだ退院していなかったのだ。

心配になった。

バブリィがいる「1病棟」の部屋は中庭に面しており窓を叩けば顔を出すかな?とも思ったが散歩の
時に大声を出しては注意されている患者がいたので出来なかった。コロナの括りが終わった頃に別に
散歩行っていたやべっちが私のベッドにやってきて窓の隙間からバブリィが手を振っていて私に
会いたがっているとの事だった。

慌てて中庭に出た。

窓の隙間から懐かしい顔が見えた。弁護士を雇ったらしい。顔を真っ赤にして泣いていた。

「誰も守ってくれへん」

と、バブリィは泣いていた。手を差し出し早口で今の現状を小声で話していた。離婚を決意したらしい。
保護入院のまま開放病棟にも入れてもらえず閉鎖病棟の最長拘束期間90日入院させられると言っていた。

ーエピローグー

私にとっての精神病院入院は大きな事だった割には収穫はほぼなかった。心身ともに疲れ果てていたのが
正常に戻れたのかどうかも分からない。確かに夫を亡くした直後は精神は正常ではなかった。それほど
夫を愛していたのか?と言うと分らない。

ただ入院前と退院後に少しばかり心の変化があり毎日お風呂に入れる毎日白いお米が食べられる
コーヒーが飲めるという小さな日常は平凡でありながら実はとてもありがたく幸せだという事が判った。

友人はそんなありがたみはすぐに忘れるよ。と言っていたが私は忘れないだろう。

退院したら世間に放り出される事にはなるが少なくても再び入院はしたくない。

ラインを通じてだが、自分のような者を心配してくれる友人がいるという事実は励みになった。

今現在はグループホームで過ごしているのだがいずれは自分のお城というかワンルームで良いので
自分だけのスペースが欲しいと考えている。

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