“ぎすの復讐” ,“土蜘蛛の怨霊” kuro

“ぎすの復讐”
私の田舎では、昆虫のキリギリスの事を「ぎす」と言います。祖母が言うには、“ぎす”は咬みついたら首を切られても咬みついたまま離なれないそうです。
私が子供だったころ、和歌山の山奥にある田舎の畑で手伝いをしていた時に祖母が何かの大きな虫を捕まえて、私に手渡そうとしました。
祖母は私を喜ばそうとして虫を捕まえたのですが、祖母に捕まえられているその虫は明らかに異様な姿をしていました。
私の田舎にいる生き物は普通の大きさよりも大きなものが多いのですが、その虫は黒豆の蜜煮ぐらいの大きさの黒い頭をした体が茶褐色の大きなキリギリスでした。
祖母はその虫のとげとげがついた黒い後ろ脚をつかんでいたのですが、その虫の顔は凶暴で明らかに怒っていて、虫とは思えないような禍々しい気を放っていました。
私は今まで無脊椎動物の昆虫からこの様な恐ろしい気を感じた事がなかったので、このキリギリスはこの土地の主なのではないかと本気で思いました。
怖くなった私が祖母にその虫が欲しくない事を伝えると、祖母の一瞬の隙をついてキリギリスは祖母の指を咬み、右の後ろ脚だけを残して叢の中に消えてしまいました。
そして、顔をしかめて痛がる祖母の指からは血が流れていました。
野菜の収穫を終えて、山の中にある畑から帰った後に、脚を失ったキリギリスが仕返しに来るのではないかと不安になった私は畑に持って行った道具の中にあの虫が隠れていないか確認しましたがどこにもいませんでした。
家から畑までは歩いて行ける距離ですがそれなりに離れていますし、そもそも相手は虫なので追いかけてくるはずは無いと考えたのですが、どうしても不安がぬぐえませんでした。
その日の夕方、空に気味の悪い黒い雲に覆われ気味の悪い音をだしながら風が吹いていました。
私の田舎の家ではお手洗いは家の外にあります。
家の中の洗面所の横にドアがあって、ドアを開けると階段の三段分ぐらい低い場所に地面があります。
ドアの外には階段の一段分ぐらいの高さの踏み台があって、踏み台の前には外を歩くための下駄が置いてありました。
ドアから出て下に降りると、左側に家の壁があり右側にステンレス製の流し台があって、流し台の後ろ側は壁になっています。
ドアから真っすぐに数メートル先に進むと外につながる出入り口があって、その右隣にお手洗いがあります。
お手洗いにつながっている細長い空間は、屋根と壁に覆われていて薄暗い場所でした。
畑に行った日の夕方、お手洗いに行こうと思った私が洗面所の隣りのドアを開けると、外は暗く気味の悪い音をたてながら強い風が吹いていました。
お手洗いにつながる通路の電気をつけて外の踏み台の上に降りようとした時にふと左側の壁を見ると踏み台から数十センチ先の壁際の地面の所に何か黒い塊がある事に気がつきました。
私が踏み台の上に降りると、壁によりっかかて外の方を向いていた黒い塊がよろよろと動きだして私の方に向きを変えたのですが、それは昼間に畑で出会ったあのキリギリスでした。
いいしれぬ不安と恐怖のなか、『もしこのキリギリスが普通の虫ならば、私が下駄を履いた時に驚いて必ず逃げるはずだ』と考えたのですが、私が勇気をだして下駄をはくとキリギリスは私の方を向いたまま五本の脚を曲げて体制を低くして身構えました。
その瞬間私は、このキリギリスが私に後ろ脚を失った事で復讐しにきたのだという事が分かりました。
キリギリスは私が右足を一歩踏み出した瞬間に、昼間畑で祖母の指に咬みついたように私の右足に咬みつくつもりで、咬みついた傷口から腐らせていって私の右足を奪うつもりだという事がわかりました。
右足を前に出した瞬間に必ずキリギリスが飛んでくる事はわかっていたのですが、後ろ脚一本でどうやって飛んでくるのかは分かりませんでした。
意を決した私が足を踏み出してすぐに両足をそろえて上にジャンプをすると、羽をはばたかせて飛んできたキリギリスが下駄の真下をまるで弾丸のようにものすごい速さで通り過ぎました。
下駄の下を通り過ぎたキリギリスはものすごい勢いで通路の右側にある流し台に音をたててぶつかりました。
もし私がジャンプせずに普通に走っていたら、右足のふくらはぎの辺りにキリギリスが突き刺さっていたと思います。
流し台に頭からぶつかったキリギリスは、ぶつかった衝撃が強かったようで、ふらふらしながらその場から逃げようとしていましたが、足がよろけて上手く歩けないようでした。
その後、私がお手洗いから戻って来た時にはキリギリスの姿はどこにもなく、いろいろと探したのですがキリギリスはどこにもいませんでした。
キリギリスは姿を消してから二度と私のもとに現れませんでした。
妖怪変化の類は正体がばれてしまったとたんに力を失うと言われています。
あのキリギリスは山に住む神や精霊がこの世で活動する時に使う仮の体だったようです。
よく山から人の住む町にイノシシやクマが降りてきて暴れ回る事がありますが、それらの動物にも山の神が宿っているそうで、山の神はイノシシやクマを使って人間に対する不満を伝えようとしているそうです。
山には山の女神の“片足女郎”をはじめ一本足の精霊や妖怪がたくさんいます。

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