「憧れ」と「自分」を切り分けつつ、融合させる
人は誰しも生きていれば、「こんなふうになりたい」と憧れる人物に出会うことがある。その人物とはつまり「ロールモデル」だ。
ロールモデルは、テレビの中の人や歴史上の人物でもそれとなりうるが、それがもしも自分の身近な人であれば、ロールモデルを実際に観察することを通して理想のイメージを膨らませることができる。
しかし一方で、「憧れのロールモデル」と「現実の自分」をピッタリ一致させることを目指そうとすると、どこかでしんどくなってしまう恐れもあり、ロールモデルからはプラスの影響だけでなくマイナスな影響を受ける可能性もある。
それがきっと、ロールモデルをもつことの落とし穴だ。
「憧れのロールモデル」と「現実の自分」を切り分ける
そこで大切なのが、「憧れのロールモデル」と「現実の自分」を切り分けることなのだと、最近になって思うようになった。
「憧れのロールモデル」は間違いなく自分が目指すべき理想だし、お手本は常に目の前にいてくれているのだから、そこに向かって一直線に努力していけばいいのは確かなんだけど、
その時にちゃんと「自分」を消さずに残しつつ、「ロールモデル」を目指していくことが大切なのだと思うのだ。
抽象的な話でわかりにくいかもしれないが、言いたいことはともかく
「憧れ」=「理想」なのではなくて、
「憧れ」+「自分」=「理想」あるいは
「憧れ」×「自分」=「理想」なのだということである(足し算なのかかけ算なのかはわからないが)。
「自分」が100%「自分以外の誰か」になることは不可能だ(と書くと当たり前のことを言っているようだが、実際これを常に意識しておくことって難しい)。
だけど60%くらいなら、憧れの人のようになれるかもしれない。そして残りの40%は、大切にしたい自分の要素を消さずに残しておけばいい。
ロールモデルに憧れている「自分」だって、側から見ればもしかすると「憧れ」かもしれないのだ。
これは、私のロールモデルがロールモデルを見てつぶやいていた言葉だ(ややこしい)。
そもそも「憧れ」という感情って、その感情を抱く対象が自分にはない力を持っているからこそ生まれるものだといえる。
だったらロールモデルに近づくことなんか、難しいに決まっている。「こうはなれないな」と思えるからこそ、「すごいな」と憧れることができるのだから。
だからこそ、まるでコピーのように「憧れのロールモデル」とそっくりそのまま同じようになることを「理想」とする必要なんてきっとなくて、
「憧れ」と「自分」は切り分けつつ、でも「憧れ」には近づきたいから「融合」くらいはさせておく。
それがきっと、目指すべき理想の自己像なのだと私は思う。
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