承認欲求の履き違え
誰にでもあるだろう承認欲求について
自分的に気づいたことがあった。
①【自発的他者貢献から得られる承認欲求】
②【異性からの性欲から得られる承認欲求】
この違いに気づくまでには
まあ色々あったものだ。
言語化難しいのだけど、ハッと気づかされた感覚があった。
何も、愛の置き場は異性や家族でなくても良い。
私は、恋愛をしているよりも
仕事に没頭して頬をピカピカさせている方が
ずっとずっとイキイキしている。
それに気づいたときに、
愛の置き場を異性に求めていた
自分が本当にくだらなかったと思った。
結局、世の中の男女が一緒にいる(形は問わず)理由が
性欲でしかない気がしてしまって。
「性欲由来の優しさ」なんて言葉がトレンド入りするように
男からの言葉や態度も、全て性欲でしかなくて。
それに嬉しくときめいちゃうこと全てが
くだらなく感じるようになってしまった。
そう気づけたので数々の経験やお金や時間は無駄ではなかったし
過去に恋したあいつにもあいつにも
「お陰様で強くなったもんだ。
ありがとな、お前も精々(色んな意味で)楽しくやれよ。」
とめちゃくちゃ上から目線で思っている。
これを読んで、この人は本当に愛されたことがないんだろうなと思う人もいるかも知れないが別に対象が異性じゃなくて良いじゃんと思ったのだ。
見返りを求めない
貢献したい気持ちから生まれる行動や
相手に向ける優しいまなざしは
気づけばお花畑の中にいるような
言葉にできないぐらいの愛に包まれるようにして
いずれは自分に返ってくる。
自分が大切にしたいなと思う人を大切にすれば良い。
愛深さは、その対象を間違えなければ
人を豊かにすると思う。