見出し画像

すきな人、残暑、それから花火

すきな人ができた。一目惚れのような情熱はないけれど、ひたむきに努力している姿をそっと見守っていたくなるような、支えたくなるような、そんな人。

会うたび何かと声を掛けられて、出会った頃は鬱陶しく感じていたのに、気付いたときにはその声が、私の生活にすっと違和感なく馴染んでいた。

今となっては遠い夏の日に特別なひとときをくれた、懐かしい人のことを綴ろうと思う。

初めて誘われたデートの日は、まぶしく晴れていた。残暑だというのにじりじりと容赦なく陽射しが降り注いでいて、屋外にいるだけで汗が滲んだ。

今日のためにと慎重に巻いた髪と、背伸びして買った、きゅっとウエストの絞られた華奢な白いワンピース、身に纏うものですらも、いつもより少しそわそわとして落ち着かない。

待ち合わせは、目的地であるチームラボプラネッツに近い豊洲駅だった。駅の改札口で待つ彼は、雰囲気がやけに大人びてみえて、目を合わせるだけでどきどきする。近づくたびに、さっぱりと爽快感あふれる柑橘系の香水がふわりと香った。

休日で賑わう中、隣を並んで歩くには少しよそよそしい距離感を埋めながら、きらびやかな現代アート空間をゆっくりと巡った。

いくつもの鏡が並べられた異空間、闇の中で寝転がりながらぼうっと眺めた、鮮やかな花びらが次々と流れていく映像作品、吊り下げられた造花に囲まれる、心ときめく一瞬間。

「暗いから気をつけて」
「水、つめたいね」
「ずっとみていられるよね」

短い言葉を交わすうちに、夢見るような時間はあっという間に過ぎた。指先に触れるたびに、視線を合わせるたびに、少しずつ縮まっていく距離感を肌で感じて、胸をひそかに弾ませながら。私の声のトーンも心なしか高くなっていた気がする。

カフェに立ち寄って、ひとしきり街を巡り終えた頃には、すっかり日が暮れていた。

暑さは和らいだものの、しっとりと湿った空気が肌に纏わりつく。遠く響く蝉の声をききながら、お互いに別れが名残惜しいといったふうに帰りの駅へと向かって歩いた。

石造りの風情ある橋の上に差し掛かると、ふいに彼が立ち止まった。戸惑いながら「どうしたの?」と、顔を覗き込むように声を掛けると「誕生日に」と白い小さな箱を渡された。そして「彼女になってください」と唐突に告げられた。

笑ってしまうくらいありふれていて、捻りがなくて、遊戯みたいに滑稽な響きだった。それなのにその言葉が耳に届いた瞬間、滲む汗も、蒸し暑さも、何もかもがどうでもよくなってしまうくらい幸せだった。

受け取った箱をそっと開けてみると、華奢なシルバーのネックレスが丁寧に収められている。きらりと光を反射して、いつまでも静かに輝いていた。

何処にでも転がっていそうな、取るに足らないエピソードだろうと思う。それでも私は、そんな日々ばかり抱きしめて生きていきたい。

1週間後に控えている花火の約束が、私の気持ちを弾ませる。





もうきっと二度と会わないであろう貴方へ。
いかがお過ごしですか。私はもうすぐ、新しい夏を迎えそうです。

この記事が参加している募集

#夏の思い出

26,717件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?