“〈前編〉私はクリエイターとして生きていく!”
この記事を書きたくて5:50に起きました!笑
私はクリエイターとして
生きていく🪄✨
決断の気持ちを意図し、この言葉にエネルギーを込めて。
自分に対して「もう迷わない」「これでいくんだ🏃♀️」と決意を込めたくて、書きます!
私が幸せを感じる在りたい姿
子供の頃から「将来何か自分で創ったものや仕事で生きていくんだ✨」という気持ちを持っていた。
「それはなぜか?」理由や根拠を聞かれたらわからないけれど、答えでしかないそれを今も感じています。
“私は自分のことを知っている。”
私は人前に立って自分を自分で輝やかせることで、自然と誰かを輝かせることができる。
私は持っている容姿、賢さ、感受性の良さ、感覚の鋭さ。その資質全てを生かすことが、私自身の喜びであり、誰かの喜びに繋がること。
私は、自分にはなにが在って、他者とどう違い、そんな自分を最高に愛していて、そんな自分をすごく好いている。
だからクリエイターとして生きる。それが私の喜びであり、私の生きる道✨
今でこそこうして言葉にして書くことができるのだけど、決め切るまでに本当にたくさんの葛藤があった。
私自身に感じていた可能性と葛藤
「自分には何か奥底に眠るものすごい強いエネルギーを感じる」と、ずっと思ってた。
ただ、それを感じれば感じるほど、いつも恐れや罪悪感、葛藤が湧いていました。
心のどこかで「私の中では、私が1番だ!」と感じつつも、そこに素直になれず抵抗感をいつも感じていたんだよね。
そんな自分の葛藤や悩みを書きたくて、そういう記事を何度かnoteに書いていたと思います😌
私自身はそれをいつも「悩み」と捉えて、感じて、それをどうにかしたくて本当にたくさんの情報に触れて、色んなものを理解することに一生懸命でした。
そこにいつも「恐れや抵抗感」が湧いて、苦しかったから。それをどうにかするヒントが欲しかったんだ。
でも実は、表題にあるような自分へのエネルギーや可能性をいつも感じていて、だからいつもアクセルとブレーキを一緒に踏んでいるような、そんな状態でした。
きっと今までの私はそれを受け入れる準備ができていなかったし、器も小さかったんだね。
そんな自分に責任を持ちたくなくて、だから他者に認めてもらったり許してもらったりをして欲しかったんだと思う。
進むほど感じる葛藤の正体
私が自分から湧いてくる「生命力のような強いエネルギー」を感じたとき、特に最大の葛藤になっていたのが
“私がわたしらしくいることは、誰かを悲しませる。私が私の書きたいことを発信することは、誰かをコントロールし、嫌な気持ちにさせる”
実はこんな気持ちがあったんです。
この最大の葛藤に気づいたのは、私はクリエイターとして生きていく✨と決断し切りたい気持ちと向き合ったとき。
そこに素直になってしまったら、ほんとは「やりたい」と感じているあらゆる事に対して、我慢していた気持ちが溢れてしまう。
と、色んなアイデアや気持ちが湧いていた。
そうした時に同時に、いつも感じている、罪悪感のような恐れのような感覚と一緒にこんな言葉が頭の中にあった。
決断して、例えばnoteをたくさん書いたり、Instagramに載せたい写真や作りたい世界観を作っても、もしかしたら「誰も見ないかもしれない」「思うような反応が来ないかもしれない」。
そういう葛藤も前まであったけれど、今回はそれとはまた違ったネガティブな気持ちだった。
でもこれは「事実」ではなく、私が向き合った方がいいネガティブな感情であり、もう越えていける葛藤であることもわかってた。
だからさらに踏み込んだ葛藤まで、向き合おう!と決めてさらに自分の奥に潜りました。
私は”愛されたい”し”愛したい”
今でこそこうして言葉にできるんだけど、私は「愛されたい」気持ちでいっぱいでした。多少拗らせていた部分も在ったと思う。
それは冒頭に書いたように、自分のやることなす事、気持ちすらも誰かに許してもらったり、評価してもらったりして、自分に責任を持ちたくなかったし、寂しい気持ちに素直になれなかったから。
今まで「人に嫌われてしまったかも」と感じる体験を、何度もして来ました。
でもそれは今振り返ると、きっと私の幼さ故に起こしていたこともあれば、今考えても理由がわからないこともある。
私が記憶の中で、自分に都合よく解釈してる部分もあると思う😌
弁明したい時もあったし、省かれたかも…と感じたときの寂しさや、悲しみをぶつけたいが故「わかって欲しい」と感じていたことも、沢山ありました。
だからずっと私の願いは「みんなから愛されること」だと思っていて、愛されたら解決するのに!と、ものすごく愛されることに価値を置いていました。
でもじゃあどうして「愛されたいのか?」と考えたとき、それは「私も愛したい」という答えが出てきたんだ。
仲間はずれ(にされたと感じたとき)どうして悲しいのか?と言うと、一緒に喜びや楽しいことを分かち合いたいという願いがあったから。
そう、私は強がって他者に「理解されない😡」と怒ったり「どうせ伝わらない」と批判的な目で観ていたけれど、それは全て、私が人を愛したい気持ちがあったからだと思った。
それは、私自身からの「愛」の気持ちであり、そんな人への自分の気持ちを私自身はすごく大切に感じていたんじゃないかと。
それが腑に落ちたとき、そんな「大好き」な人たちを、自分が自分らしくいるだけで傷つけていたり、嫌な思いにさせている…そんな自分を、すごく責めていることに気づいた。
私の最大の敵とは?
そう、私自身の最大の敵だと思っていたものは、自分自身でした😌
私が1番私自身のことを責めて、そんな気持ちや意識を他者に投影し、「この人は責めてくる!」「この人はわかってくれない」と遠ざけていたんじゃないか?と思った。
自分が幸せであることや、そんな自分を祝福していなかったのは、私自身だったんだ。
🌷長くなってしまうので、後編に続きます!
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