見出し画像

人生に変化を起こすライティング: 私は自分で自分の価値を承認する✨


タイトルの言葉は、私が尊敬してやまない方が
私に教えてくれた「言葉」です。

「私は自分で自分の価値を承認する」

この言葉について、私が感じていた本音と
葛藤を書きます✍️🌱


というのも、別に書かなくてもいいんだけど
私は今この気持ちを、言葉にしたくて
したくてしたくて、たまらないんだ!!笑

今まで「これ」に恐れを感じていたけど
その恐れすらも言葉にしたくて
たまらないんだ!!笑
だから、書こうと思います😉❣️



「私は自分で自分の価値を承認する」
この言葉は、私がとあることを
相談させていただいた時に
アドバイスでもらった言葉。

私はこの言葉を「言ってみてね」と
アドバイスしてもらったとき
私に今必要なことを、そっとギフト🎁として
与えてもらっている様な感覚がしました。


それは「こうしないとダメだ!」という様な
強いものではなく、そっと私に寄り添って
「必要なものはこれだよ」と優しく
言われているような気持ちになった。


私は、「ああ、やっぱりか…」
「ああ、もうこれを認める以外に道がないかも」
と、ギクっ…となり。

ああもう逃げずにここに向き合おう
葛藤や、罪悪感、抵抗感覚を受け入れ様と
決めて、それらを少しずつ感じてた😌




私は本当の本当は
自分が何者なのか、ということを
知っていてわかっていました。


この表現が合ってるかわからないけど
「私は、わたしだ」というような
“私は、ずっとここにいる”という感覚を
知っていて、わかっている感覚が
もうずっとずっとあった。




でも今まで怖くて怖くて
そんなことを自分にも認めることは
嫌で、できなかったし

こうして自分以外の世界へ言葉にする事も
不安で怖くて、できませんでした。
何を言ってるんだろう、と

不思議な目で(笑)観られることが
すごく不安で怖かった。



「大した事ないくせに!!」
「何もかも普通のくせに!!」
「何もできないくせに!!」と

そんな言葉を言わそうで
傷つきたくなくて、怖くて怖くて
私は自ら、不幸を演じていた。




そう、私は自分から他者に対して
自分に対して「不幸(ない)」を
演じていました。
↑
これすらも自覚があって
そうしている自分のことも薄々
わかっている時とありました。


私はずっと、ずっと

「私はこんなにすごいのに、素晴らしいのに
 誰も共感してくれない」
「誰もそれを喜んでくれない、歓迎しない」
「みんな、私以外の何かを観ていて全然
 私は承認されない😡😭🤯」

そんな気持ちを長らく感じてました。
(自分で素晴らしいとかいう、あたい!笑)



でもね、最近、
自分はすごく、ちっぽけだということを
すごく、すごく感じることがあって
ああ、本当は自分に力なんてなく
大したこともなく、全然素晴らしさなんて
ないのかもしれない…と


本当の「私には、何もない」という感覚に
素直になる、そんなタイミングがありました。


自分では、私は素晴らしいのに!✨なんて
思っているけれど、それはみんなには
伝わらないのかもしれない。

もしかしたら、私は大したことなくて
1人で浮かれて、
自分を美化しているだけかも、と。


・
だって、ふと外を観れば
私より「長けている人」や世界なんて
たっっくさんあって。


私より美人で可愛い人はたくさんいる
私より認められている人もたくさんいる
私よりお金持ちもたくさんいるし
私より楽しそうに生きてる人だって
たくさん、たくさん、いる。


私は、できないことも苦手なことも
本当にたくさんあって。
教わってきた「正しさ」が、ただの正しさ
であり、それは全てではないことも
知っている、理解している。


でもそれでも、私は愛されていて、
私の喜びや、自分に対しての嬉しさが
誰かを幸せにしている事すらも
なぜか、どこか知っていました。


だからすごく葛藤していた
その葛藤が、すごく苦しかった。

でも、「ああ、私はちっぽけなんだ」と。
私は実は何も持っていなくて、



誰かに認められることも、
気づいてもらえることも、なく
それを褒めてもらえたり、評価して貰えたり
喜んでもらえることも、実はないのかも…と

そんな苦しい葛藤を受け入れたら、

張り詰めていたものが、ふわっと消えて
張り詰めていたものが、なくなって
弱くて小さくて、ただ寂しくて
不安で…そんな私がいました。


・
そして同時に私から湧いた言葉は

「私は自分のことを、大切にしたい」
「信じてあげたい」「愛したい」
「そんなに責めなくても、大丈夫だよ」

と、そんな言葉たちで
涙がたくさん、たくさん出ました。



強がっていた、怖がっていた
受け入れることから逃げていた
気持ちや葛藤を、はじめて感じて
その存在を認めてあげられた気がして
それと同時に、ものすごい寂しさと
それ自体に、安心する感覚がした。


今まで他者(自分以外)に求めていた
許されること、認めてもらうこと
届かなかったときの気持ち。

届いた時の喜び,,全てを
本当に全部を、全てを
自分のものにするのは
こんなにも葛藤と罪悪感で
いっぱいになるんだと思った。



・
でももう私は、過去の自分を越えたい。
 

今の私は、今まで逃げてきた
怖かったこの葛藤を受け入れ、
進める自分を
自分の中に強く感じるんです。

今まで他者を、責めて
理解しない(されない)ことを
悪く感じていたのは
私の弱さだったと思う。

そして、「理解されない」ネガティブな方
をたくさん拾っては、不安と恐怖から
それらにパワーを与えていたのも
私だったと思うんです。


きっと、今までも私が気づいてないだけで
それでも、私に対して優しさや
フラットに接してくれる機会や
ご縁はたくさんあったと思う
気づけなかったのは、紛れもなく
私だったと思うのです。



・
ハードルがたっっかくて
越えられない😭と思ってた
自分自身の葛藤や
過去の経験から引っ張っている
感情や罪悪感は、実は

そんなに怖くないのかもしれないと
今はなんだか、そう感じていて、
↑
これを理解して、葛藤を感じる瞬間も
自覚している部分もあるから
今の私は、過去の自分を感じた上で
さらにそれらを越えて行けると思う。



だから、越えていきます!
越えるための一つが、この記事です✍️⭐️

・
私は、自分が自分の全てを
受け入れ、感じ、次に進んでいける
そんなエネルギーを、許します
認めていきます

そして今まで「何もしていなかった」
そんな弱さや足元を認め、
今ここからさらに、進んでいきます
決めていきます



※年明け前、もう一つのブログに書いた
この記事をこちらにも書きます!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?