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Nepalエベレスト街道を歩く CHO LA Pass (5420)
10/15~10/16
2度目の高度順応を終えてDingbocheを出発した。
空には明けの明星。
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富士山よりも高い場所にある村を、夜が明ける頃に出発。
朝6時ごろだったと記憶している。
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実は、ここから先の記憶が飛び飛びで本当にあっという間に目的地のCHO LA Passについたなと感じている。
特記することがあるとすれば、この日のルート(Dingboche以降)からEBC(Everest base camp)側とGokyo側とに分岐していくということ。
私たちは日程変更により3PassのうちCHO LA Passのみに挑む事としたため、Dingbocheを少し進んだところにあるKONGMA LA Passはショートカットして、そのままCHO LA Pass方面のルートへと向かった。
やはり王道ルートはEBC(KONGMA LA Passもある方面)なわけであり、分岐してからは行き交う人の数が明らかに激減した。「ほう…みんなEBCに向かったわけね…!」と。
覚えていることは、
・Dingbocheを出発しThoklaで昼食を摂った後、私がナルゲンを紛失したこと。(後日Nimaが別パーティとのトレックの際に回収してくれた。が、私はもう日本に戻った後だったので…Nimaが捨てていなければ今も持ってくれているはず。)
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・昼食後に”Great Himalaya Trek”と呼ばれる開けた道を通ったこと。
景色がすごく綺麗だった。
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1時間ほど歩いたところでナルゲンがないことに気づいた。
惜しかったが、往復2時間のロスは厳しいと判断してそのまま歩いた。
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道端には高山植物のNilo phil
そして歩き進めると、大きなポカリ(湖)が。ここで小休憩。
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ちなみに、物資を運ぶシェルパたちは、ヘアバンドのようにカゴの紐を頭に被せて歩いているのだが、疲れると持っている木の棒に身体とカゴを預けて休憩する。
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トレック中いつも感じたのは、朝は天気が良くても昼過ぎになるとほとんどの確率で曇っているということ。
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アップダウンしながら歩き続けて、
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歩いて歩いて、この日はDzonlha(4830)まで。部屋からの眺めもよく、本日もAma Dablamを望む展望。
もしこの旅の中で好きだった宿は?聞かれたら、私はこのDzonlhaでの宿か、Namcheの宿を挙げるだろう。
暗くて寒い宿の中、何日もシャワーを浴びていない汚れの積もった身体で思った。贅沢ってお洒落でお高いホテルに泊まったり、ディナーに行ったり、ブランドの服を着たりとか、そんなことだけじゃないよな、と。
頭ではわかっていた。でも、それを体で感じることができた。なんだかとても安心したのだ。それでいいんだよ、ありのままでいいんだよと言われている気がして。
着飾ることも時には大切だと思うけれど、上っ面でなくて自分の身体が、心が喜ぶ本物の幸せというものの基準が少し変わったように感じた。
それに伴って、これからの自分の人生において、お金の使い方、時間の使い方も変わっていくような気がしている。
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この宿は、Nimaのともだちが営む宿だった。そしてなんと、そのともだちの名前もNimaだった。
確かNimaは太陽という意味。
「Nimaってそんなに多い名前なの?」と尋ねると「ふたりとも日曜日に生まれたからNimaなんだよ」との返答。
「え!?じゃああなたの弟は月曜日に生まれたの?」と尋ねると、「もちろん」と。
衝撃の事実。
実は、Dingbocheに向かう途中、Nimaの弟とも偶然出会ったのだが、名前をDawaといって「月という意味なんだ」と教えてもらっていた。
太陽と月だなんて素敵、なんて思っていたが。
まさかシェルパ族は生まれた曜日で名前が決まるなんて…おおよそ7パターンの名前で構成されているらしい。
衝撃すぎて何かのファンタジー小説かと思った。
夜ご飯を食べて就寝。
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明日はいよいよCHO LA Passへ向かう。
この頃から私は早起きと朝のパッキングが少しずつ早くなってきた。
朝4時に起きて5時半には宿を出発した。
道は地の果てのようで、ただ広く、岩しか転がっていなかった。
ついに森林限界に突入したのか、道端の高山植物もまったく見かけなくなった。
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昨日からMayuの体調が思わしくなかった。いつも歩くのが遅いのは私だったが、この日はMayuの歩くペースがあがらずとてもきつそうだった。冷や汗もかいているように見えた。どうやら高山病を発症しているようだった。
私も高山病の症状は出ていないとはいえ、登山初心者のため身体はとてもきつかった。NimaとMonicaはすいすい歩いていく。追いつきたいが追いつけない。
そんな私たちを見かねてか、二人が私たちのザックを持ってくれた。
ひとりでひとつ担ぐのすらキツイのに、「全然大丈夫」と言いながら二つのザックを持って歩く二人。
どう言い表したらいいか分からないけれど、言葉を選ばずにそのままの気持ちを素直にいうと「すげぇ…かっこいい」と思った。
荷物を持っていただいてから20分ほど歩くとCHO LA Passの近くに到着した。
氷河のためここからはチェーンスパイクを履いて。
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少し休憩してから自身のザックを背負い直し、いざ峠を目指す。
ゆっくり歩いているだけなのに、息があがって本当にきつかった。正直あんまり記憶がない。長時間標高の高い場所にいることは、どんどん私たちの体力を奪い、伴って高山病のリスクも高まっていく。ただただ前に進まねば、と一生懸命歩いた。
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ストックに頼ると危ないと言われて、途中でNimaにストックを片付けられた。
文字通りヒーヒー言いながら歩いて、なんとかCHO LA Passに到着。
着いた時一番に目に入ったのは、まるで神様の子どものようにタルチョを纏って祭られた石。峠のど真ん中にあった。
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そして、そこから右に視線を移すと、私たちと同様に峠に辿り着き、しばし休憩しているトレッカーたち。
みんな頑張った。私も頑張った。みんな素晴らしい。よくここまできたよ。
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景色を楽しむのも束の間、高山病予防のため30分以内に反対側(Gokyo側)へ下山するとのこと。ここで昼食をとったのだけれど、強い風と寒さで「むしろ30分もこんな所におられんわ!」という感じたった。
Mayuの体調不良はピークに達し、ダイアモックスを服用していなかったMonicaも頭痛を感じ始めたとのこと。私は服薬のおかげもあってか高山病の症状を感じなかったが、そんなこと関係なく10日間も大荷物を背負って歩いていること自体に疲労していた。
そんなこんなで、私たちのこの旅の最高標高5420は、余韻に浸る余裕もなくあっという間に過ぎ去った。
私たちはとにかく自身の生命を守るために、次の目的地Gokyoを目指して峠を下った。
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