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卒業制作-message-ができるまで

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死生観をテーマに大学4年間制作を続けてきたカドカワ。 その4年間の集大成である卒業制作-message-が出来るまでを綴ります。
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#死生観

episode7.大学最後の年、卒業制作-message-への到達

episode7.大学最後の年、卒業制作-message-への到達

4年生になる前の春休み。
大学から「卒業制作で何を制作するか計画しておくように」とのお達しかあったこともあり、私はウンウンと頭を捻っていた。

卒業制作というと、これまでの制作とはまた一味も二味も違う。
4年間の集大成を制作せねばならない、という意気込む気持ちもあり、同時に何を作ったらいいのか悩んでいた。

実を言うと、3年生の1年間は絵を描くことがままならず「表現方法を広げるための実験期間」と言

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episode6.大学生活のはじまり、ひとつのお別れ。

episode6.大学生活のはじまり、ひとつのお別れ。

大学に入学してからの日々は本当に濃く、そして今に至るまではあっという間だった。

2014年の3月に、愛知県から大学のある関東地方へ引っ越してきた。実家を離れ、初めて親元を離れての生活。不安はとても大きかったけれど、すぐに慣れた。それよりも大学で勉強したり制作できることの喜びの方が大きくなっていった。

私はそれまで自分の身に降りかかった命のやりとりを心に留め、人の生き死にについて想いながら制作を

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episode5.心の限界と本物の死の淵。

episode5.心の限界と本物の死の淵。

高校を卒業し、浪人生となって予備校へ通う生活となった私だったが、常にプレッシャーを抱え続けることになる浪人生活で、それまでもギリギリのバランスを保ち続けていた心の状態は悪化の一途を辿っていた。

急激なうつ状態に見舞われて何にも集中出来ない状態になったり、
ある日突然、電車のホームアナウンスやイヤホンから流れる音楽など、日常的に聞き慣れているあらゆる音が、全て半音ほど下がって聞こえるようになったり

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episode4.身近な人の死

episode4.身近な人の死

高校1年の時に祖父と祖母が立て続けに亡くなった。
私の物心ついてから初めての身近な人の死だった。

祖父母とは、私が高校に進学すると同時に同居を始めた。
二人とも90歳前後と高齢で、祖母はアルツハイマー病を発症していて物忘れが激しくなっていたため、二人暮らしをするのに限界があるという父たちの判断だった。

祖父は私が小さな頃から何度も入退院と手術を繰り返していたものの元気だったので、幼少期の私は無

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episode3.「生きていること」=プレッシャー

episode3.「生きていること」=プレッシャー

さて、12歳にして人間が生きている意味を見失ってしまったカドカワ。そのまま13歳・中学生になったカドカワは、別の壁にぶつかる事となった。

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中学生になると小学校までとは違い、定期テストの成績に明確な順位がつくようになり、通知表は5段階評価の総合計で内申点というものがつけられるようになった。
つまり「あなたはこのテストで◯番目の成績で、あなたの学校での勉強の様子に対する評価は◯点です。」と

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episode2.「人間が生きている意味」の消失。

episode2.「人間が生きている意味」の消失。

さて、人間が生きていることに対して興味をもった9歳のカドカワ。
その興味は、時の偶然の重なりと共に奇妙な成長を遂げていく事となった。

年月が経ち、小学5年生だか6年生の頃。
総合の学習の時間を使って「環境問題」について調べ学習をした。
主には地球温暖化についてだ。
この頃学校の社会科の授業では、ちょうど高度経済成長期の日本と、それに伴って発生した汚染や公害について学んでいたし、塾の代わりに利用し

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episode1.人間存在の意義や意味への興味(カドカワ、小学3年生)

episode1.人間存在の意義や意味への興味(カドカワ、小学3年生)

私はこれまでの大学4年間、自身の経験から構築された死生観を元に制作を続けてきました。

「死生観」と一口に言っても、あまりに茫洋とし過ぎていてピンとこないかもしれません。
今回は、私の24年の人生の中で「死生観」、すなわち、「人の生き死にについて」考えるきっかけとなった出来事について一つずつ書いてみようと思います。
(書き出してみたら一つあたりの文量がトンデモナイことになったので、各エントリ一つず

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