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episode1.人間存在の意義や意味への興味(カドカワ、小学3年生)

私はこれまでの大学4年間、自身の経験から構築された死生観を元に制作を続けてきました。

「死生観」と一口に言っても、あまりに茫洋とし過ぎていてピンとこないかもしれません。
今回は、私の24年の人生の中で「死生観」、すなわち、「人の生き死にについて」考えるきっかけとなった出来事について一つずつ書いてみようと思います。
(書き出してみたら一つあたりの文量がトンデモナイことになったので、各エントリ一つずつエピソードをまとめていきます。)

episode1.人間存在の意義や意味への興味。
〜遡ること16年前、カドカワ9歳〜

記憶のある中で、はっきりと、「人間が生きていること」について考え始めたのは遡ること16年前、小学3年生のときでした。
小学3年生というのは、2002年。
ちょうどゆとり教育がスタートし「総合的な学習の時間」というものが段階的に導入されていた頃です。
私が通っていた小学校では「総合的な学習の時間」は主に《調べ学習》を行う時間でした。

・何について調べたいのか
・どのような手段で調べるのか
・どのように発表するのか

この3点について先生から配られたシートに書き出し、先生のチェックを受けた後、各々調べ学習を行い、発表会までの準備を行うという仕組み。今思い返すと研究計画の作り方にとてもよく似ていますね...

このときの調べるテーマというのはなんでもありでした。
(段階的に導入されていたので先生方も手探りだったかもしれません。)

同級生たちが書いていたテーマは、例えば「チョコレートの歴史について」とか「猫の生態について」とかそんなような感じだったと記憶しています。(なんせ16年前の記憶なので定かで無い。)
そんな中、私が書いたテーマがこちら。

こんなのを提示された先生、さすがに面食らっておりました。

「どうして人は生きているのか」

...テーマがあまりに大き過ぎます。
当時の私の思考回路がなぜそこへ行き着いたのかについては、実際よく覚えていないのです。
ただ、総合的な学習の時間は割と多く確保されていて、さらに学校にも自宅にもインターネットがある環境だったため、凡庸なテーマではすぐに調べ終わるし、時間を持て余してしまうから、調べるのに時間がかかるテーマを選ぼうと思っていたような気がします。
そうして行き着いたテーマ、「どうして人は生きているのか」。
これは後に私が高校生になったときに判明したことでしたが、小学3年生の私が「どうして人は生きているのか」という言葉をもって調べたかったことは、

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

ーby Paul Gauguin」

ということだったと思うのです。

(画家ポール・ゴーギャンの代表作のタイトルより。)

9歳のカドカワが何故、突然このテーマに行き着いたのかはよく覚えていません。
しかしテーマを巡って先生とやり取りした後、とても悔しい思いをしたが故にこのことについてよく覚えているのです。

こんな壮大なテーマ、いくら時間が多く確保されている総合的な学習とはいえ、小学3年生のアタマで結論と発表にまで行き着けるはずがないと先生は踏んだのでしょう。(今となっては全くその通りだと思います。)
結局先生がどのように私を丸め込んだかというと、人が人たる種として成立するまでの、つまり「ホモ・サピエンスが誕生するまでの人類の進化の過程」について調べるように誘導したのでした。

う〜ん、巧い。

先生、よくぞやってくれたなと今となっては思います。
しかし当時は泣くほど悔しかった。
私が本当に調べたいと思っていたのは、人間が存在していることの意味や意義についてだったのです。
なのにこれっぽっちも伝わらない。人に伝えるほどの言語能力が当時の私には無かった。
結果、別に調べたくもなんともなかった動物学的”人類の進化の過程”について図書館で調べ、ノートにまとめ、
「人間とは、ネズミのような小さな動物から派生し、4足歩行の猿のような形態から今の2足歩行の人間の形まで進化を遂げたのだ」という発表で締めくくり、事なきを得ることとなったのでした。

16年経った今でも、そのことを鮮明に覚えているくらい合点のいかなかった悔しい思い出です。しかし今となっては、その悔しい思いも含めて、今に至るまでの私の「死生観」への探究の始まりだったのだと思います。

悔しい思いをさせてくれてどうもありがとう、当時の担任I先生。

頂いたサポートは、かどかわの制作活動(絵画制作、展示、リサーチ、レポート)に活用させて頂きます。 ありがとうございます。