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episode3.「生きていること」=プレッシャー

さて、12歳にして人間が生きている意味を見失ってしまったカドカワ。そのまま13歳・中学生になったカドカワは、別の壁にぶつかる事となった。

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中学生になると小学校までとは違い、定期テストの成績に明確な順位がつくようになり、通知表は5段階評価の総合計で内申点というものがつけられるようになった。
つまり「あなたはこのテストで◯番目の成績で、あなたの学校での勉強の様子に対する評価は◯点です。」というのが定期的に言い渡されるということ。

勉強は嫌いじゃなかったけれど、この点数がつけられていくシステムが大嫌いだった。

点数が高ければ高いほど良い。
順位が上であればあるほど良い。
逆に点数や順位が低いと先生は「もっと頑張れ」と尻を叩く。

私はとかく、プレッシャーに弱かった。
やるからには全力で、という完璧主義な性格も災いしていたかもしれない。
テストや成績表が配布される度にのし掛かるプレッシャーは年々大きくなっていき、押し潰されて...否、すり潰されてしまいそうだった。

点数が低くなれば私の価値は下がる。

当時の私にとって、成績によって出される点数こそが私の価値を決めているのだと思っている節があった。思春期を迎えるにつれ、対人関係の築き方に悩むようになった私の頭には時折、

「先生という大人から、『優等生』とレッテルを貼られている『カドカワ』だから、友人たちは私と友人でいてくれるのではないだろうか。」

という考えがかすめるようになった。

「『優等生』でい続けなければ、周りの人たちが離れていってしまうかもしれない。」

そんな焦燥感に駆られて、勉強や学校での態度にはとても気を張るようになった。
いつの間にか、自分の為に勉強するというより、自分の社会(=学校)における価値を保ち続けるために、自分の価値を上げるために必死に勉強しているかのようだった。

今考えると、《アイデンティティの危機》に瀕していたのだと思う。

いつしか「私は一体何のために辛くなるほど勉強しているのか」が分からなくなってしまった。今となっては努力の分だけ報われる勉強はやって無駄ではなかったと思うし、思い返せば達成感もきちんとあった。
でもその時は、ただ見えもしない「未来の私」の為に「今の私」をすり潰し続けていることの意味が分からなくなって、「今を生きる」ことが未来の為に消耗されてゆく感覚に耐えられなかった。

そう、消耗されている、という感覚だったのだ。

勉強する目的や目標は、目の前の、(通い始めた塾の講師に流されるように決めた)志望校に受かることしかなく、
その先を、将来を、どう生きたいのかを考える余裕もなく自分を消耗し続けていた。
結局、努力の甲斐あって第1志望の高校に受かることが出来たけれど、そこでプツンと、私の糸は切れてしまった。

当時の私にとって、既に「生きること」は果てしなく純度の高い「プレッシャー」になっていた。

当たり前だけれど、良い高校に入れたからといってその先の保障は何もない。入った先でまた頑張り続けられなければ、今をすり潰し続けられなければ、明るい未来はない。

いつしか「生きること」は10代の私にとって、ただの苦痛にしかならなくなっていた。

入った先の高校では、思うように勉強が出来なくなって、面白いくらい転がり落ちるように落ちこぼれていった。

《勉強が出来ないコンプレックス》はどんどん自己肯定感を下げてゆき、遂には「こんな勉強もロクに出来ない低価値の私と付き合ってくれる人などいるわけない」と性格を完全にひん曲げてしまって、同級生との関係を築くのが下手くそになっていった。

これは断じて同級生が悪いわけじゃない。落ちこぼれだからといって友達になってくれない人たちなんかじゃなかったし、単に私の思考が捻くれていただけなのだ。
さらに幸運なことに、そのことについて真っ向から指摘してくれる友人もいた。

でも私はそのとき既に
「死ねば、このあらゆる苦痛を終わらせることが出来るのではないか」
という極論に達していて、精神状態はどん底。
真っ暗などん底に落ちて、すっかり盲目的になり、次第に「死」に取り憑かれるようになっていった。

10代後半の私にとって、「死」は、全ての生きる苦しみから解放してくれる唯一の「救い」として位置付けられてしまっていたのだった。

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