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できそうにない、その壁は何度も立ちはだかる

お久しぶりです。
紗(さら)と言います。

どんな入りで書いていたのかさえ忘れてしまうほど、
この場所を大事に出来ていなかったんだなと、じわじわ実感しています。

大学生の時は毎日noteをしていてフォロワーさんとコメント欄でお話ししたり、他の人のnoteを見に行って感動したり、あのときの自分にとっては現実世界とはまた別の生きた場所として確実に息をしていました。

社会人になっても同じく言葉を紡ぐことを楽しめる人でありたい、と
思っていたのは変わらずでしたが、前みたいにnoteを開けようとしなくなっていました。そんな自分に気づいたとき、楽しんでいた自分に戻りたいと思いと、今はまだ戻れないという心音がせめぎ合っていたのだと思います。

今の自分を認めたくなくて

就活を通じて私は自分の言葉を忘れた。
自分がいいたいこと、見た世界を伝える方法も忘れてしまっていたのか、
なにも言葉が出てこなかった。
ううん、なにも出てこないというより、言葉は話せるのだけど
それは誰もが使っているような公用語で、
自分だから話せた話も、その表現も、すべてが溶けてしまったという感覚。

だから、昔は当たり前のようにできたことが
今の自分になぜできないのか不思議で、その状況から逃げ出したくて。

ここ(note)に来たい気持ちはあっても、そこへ行こうとすると足がすくむのだ。

逃げる理由を探して正当化する

逃げる、ことが悪ではないのに、立ち向かわないとどうしようもないと思っているから、自分の気持ちがどんどん真っ黒くなっていく。
逃げれば逃げるほど、どんどん戻りづらくなっていく。
この小さな世界でさえそう感じてしまうのだから、学校で不登校になってしまう子どもたちも同じ気持ちを抱えているのだろうか、と想像した。

やがてnoteにログインしていた状態をきってしまい、
完全にこの世界から逃げた。

もう逃げない、向き合うと決めた理由

先日、大学生時代をずっと過ごした友達に久しぶりにあった。
その友達は、絵が好きでSNSでお仕事募集したり、カフェとのコラボを実現させたり、夢のために自分の好きと向き合うために行動できる、そんな人だ。

その友達と昔話に花を咲かせる中で、私が当時書いていたnoteの話になった。
noteで活動していることを秘密にしていた私は、大学時代の親友8人だけに、卒業前に思い切ってnoteについて打ち明けた。
皆は読みたいと言ってくれたけど、どこか恥ずかしくごまかして、結局見せずにここまで来た。

そして、そのタイミングは昨日、前触れもなく訪れた。
「あのとき言ってたnote読みたいな」と友達が言ったのだ。
紗の書く言葉が好きだったよ、とも。

ー私は、友達のLINEにマイページのリンクを送ったー

もう一度立ちあがる勇気をもって

書くことから逃げる理由を探してきたが、誰か一人でも好きと言ってくれるなら、を今は信じて始めてみることにした。

こうして約1年ほど凍結していたnoteを始めるに至った。
今こうして書いてはいるが、昔のように自由にはかけている気がしないし、
なんだかもっと伝わる方法があるのではと思ってしまう。
それでも、書けないからを隠したくて忙しさを理由に逃げるよりかは、
まだ上手く書ける気がしなくても、もう一度やってみる勇気だけをもって
始めるんだと小さく決めた


きっと大好きな言葉とは縁を切れないのだから、
なにかで戻れるきっかけを探していたのかもしれない。

過去の私の言葉たちはどこかへ溶けてしまったような気がします。
だけど、本や皆のnoteを読んで、
私がわたしらしく使える言葉をここからかき集めていきたいと思います。

ここまで読んでくださった、
はじめましてのあなた、二度目ましてのあなた、
ありがとうございます。
もう少しだけ見守って私のnoteにお付き合いいただけたら嬉しいです。




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