想像より高くて怖くなった先に見つけたのは、「書くことが好き」という原点

自分が思っていたよりも、少し高いところに来てしまったみたい。だから、ちょっと怖くもなるんだ。


私がnoteをお休みしてから、1週間が経った。できるだけ毎日なにかを書きたいと思い、今まで続けてきたことの息を少しだけ止める。その時点で、時は止まったと思っていた。次、再開するときは同じ位置から、また一歩ずつ歩くんだと。

でも、止まったはずの世界は動き出していて、息を止めた私は気づいたらずいぶん上の方に来てしまったみたい。


今日はどんな思いと出会えるかな、そう思いながら画面を引っ張る。更新されたページには、新たな出会いとともに、私を呼ぶ声があった。チャイムが赤く光っている。

扉を開けると、noteを更新していないのに訪ねてくださるみなさんがいる。とてもありがたい。どういう経路で来てくれたか分からないけど、そこにはハートや手紙も持って、待ってくれている人がいる。


始めは私がよく知っている人だけだった。だけど、いつの間にか元々知っている人よりも、はじめましての人のほうが多くなった。

そんな状態になって、私の書いたnoteは多くの人の元へ旅していることを知った。


率直に言うと、「こんなにたくさんの人に届くと思っていなかった」


だから、嬉しいのだけど少し怖いんだ。


私のnoteのなかでハートを一番受け取ったのは、『真剣な人がこぼれ落ちない世界でいてね』という話。この話を書いて約3週間が経った。そして今、ハートを投げてくれた人は80人を越えた。


こんなつもりじゃなかった。その言葉があうかどうかは分からないけど、たくさんの人に届くことを願いながらも、想像以上の人のもとへ届いたことに怖くなってる自分がいる。

ゆっくり、1段ずつ上がろうと思っていたのに、気づけば50階まで来てしまったみたい。階段でもエスカレーターでもなく、エレベーターで。そこには開閉、階のボタンがなくて、周りが見渡せる、いわゆる透明のエレベーターの中に立っているような感覚。止まらずに上がっていく、どんどんと。


たくさんの人が読んで、共感してくれるのは本当にありがたい。たくさんの書き手がいる世界で、辿りついてくれたのだから。この気持ちは嘘じゃなくて、私の本心です。

前に書いた気がするけど、「ハート」の意味は私には分からない。それは人それぞれ押す基準が違うから。だけど、その数が増えていくたび、私のなかで風船が大きく膨らんでいく。そこに詰まった想いや共感、期待に少しだけ追いつめられそうになる。


「もっとうまくやらなきゃ」「もっといい表現をしなくちゃいけないのに」


そんな想いが同じように膨らんでいく。私が書いた言葉が多くの人に届く経験を今までしてたことなかったから、そう思ったのだと今は思う。

そんなことが心を占めていった先にたどり着いたのは、「なぜnoteを始めたのか」ということ。


いま、私が分かることは「書くことが好き」だということ。


SNSに自分の言葉を塗ることはなかったけど、小さいころからずっとそうだった。手紙を書くことが好きで、感動するのも傷つくのも言葉で、今でも自分の考えや学びをキャンパスに書き込んでいる。


もっと多彩な言葉と表現ができるようになりたい。その想いは変わらないけど、「ただ書くことが好き」という気持ちを思いだしたら、心が楽になった。
なにかをすることでプレッシャーを感じても、自分の好きという気持ちは見失っちゃだめなんだ。


できるなら、ゆるくながくこのnoteを続けたい。私のnoteを読んでくださる方がいなくなるその日まで。


お久しぶりです。そして、はじめましての方も。
少しだけ、ただいまです。




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