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淡々文庫

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京都を舞台にした女の子たちの短編小説。
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すばらしい日々《6》

すばらしい日々《6》

時計を見る。時刻は十八時半。みどりの予約した新幹線は十九時発。ここから鷺沢高校までの距離は三キロほどある。今出発したら確実に間に合わないだろう。
席を立ったところで私たちがためらっていると、見透かしたように関さんが言った。

「私ん家泊っていったらええよ」
それからまた母親のように続ける。
「もう暗いし気いつけて。何かあったら連絡して」

そう言って朝と同じように送り出してくれた。私たちはふりだし

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すばらしい日々《5》

すばらしい日々《5》

喫茶セキのドアノブにはクローズの札がかけてあった。店内は暗く、明かりの灯ったカウンターが劇場の舞台のようだった。そこで関さんがまるでなにかの役割を演じるように静かにカップを拭いている。彼女は私たちの姿を認めると「おかえり」と微笑んだ。私たちの表情から察したのか、旅がどうだったかは訊かれなかった。
「関さん、ちょっとだけ休ませてほしい。くるみと話したいんだ」
みどりの一言に心臓が跳ね上がる。

「え

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すばらしい日々《4》

すばらしい日々《4》

私たちは南に下り出町柳駅近くのパン屋に立ち寄った。そこはいかにも街のパン屋という質素な佇まいで、パン自体も素朴なものが多かった。種類は豊富、しかもどれも安価で、あさひがお気に入りだというのもよく分かった。
ふとたっぷりのクリームにみかんが埋め込まれたフルーツサンドが目に留まる。瑞々しいみかんに惹かれて手を伸ばそうとすると

「くるみパンだって! くるみのパンだよ」
みどりがそう言って、焦げ茶のぽっ

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すばらしい日々《3》

すばらしい日々《3》

私たちはただ右と左の脚を交互に出して漕いでいく。それは単純だけれど気持ちの良いことだった。
松原通を東へ進み鴨川を越える。松原橋を吹き抜ける風は冷たいけれど、どこかに春の気配を隠していた。ユニコーン後期の民生を真似たのだという、みどりの毛先がたっぷりとしたボブが揺れている。あと一週間が過ぎ四月になれば、京都は人で溢れる。静かな街はやがてくるその日を待ち望んでいるようだった。

「そろそろ左に曲がら

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すばらしい日々《2》

すばらしい日々《2》

パタパタとリノリウムの廊下を打つ足音が聞こえる。これはみどりの足音だ。みんなより少し速めなのに、せかせかした印象を受けないのが不思議だ。名は体を表すとはいうけれど、足音もその人の性質を表すと私は思う。足音が部屋の前で止まる。古ぼけた木戸がトントンと鳴り、返事をする間もなく開かれた。

「こんにちは、みかんだよ」

みかんを二つ、目元にあてたみどりがひょっこり顔を出した。

「なんかもっとひねったこ

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すばらしい日々《1》

すばらしい日々《1》

二〇〇九年一月五日。
寒い、寒い、寒い。京都の冬はどうしてこんなにも寒いのだろう。盆地だから、市内を鴨川が走っているから、琵琶湖ほどの水を地下に湛えているから。いろんな理由を聞いてきたけれど、私は思う。年頃なのに恋人の一人もいない学生たちのそこはかとない寂しさがこの街を覆っているからではないかと。葵橋西詰をさらに西へ入ったところにぽつねんと佇む簡素な学生アパートの一室で、私はそのような答えに至った

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花と小鳥【3】

花と小鳥【3】

《3》
花はさっそく鳩居堂の包装紙でつくった花と鳥のブックカバーを文庫本にかけてきた。ページをめくる彼女の肩にやわらかな陽射しが落ちている。今はもうこの世にいない吉田さんの奥さんと同じことを、花がしている。二人は互いのことを全く知らないのに。不思議な感じだ。

「花は、なんで私のこと好きになったん」
あかりちゃんに言われてからずっと気になっていたことだった。
「それは」
「それは?」
「一言ではい

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花と小鳥【2】

花と小鳥【2】

《2》
文庫箱には手紙をいれた。ふとそれが包まれていた紙をみる。捨てるのがもったいなくて、ブックカバーをつくってみた。吉田さんの奥さんがそうしていたのだ。
吉田さんの奥さんは、店にくるたび違うブックカバーをかけていた。お友だちにお土産をもらったの、といっていろんな土地のお菓子の包装紙で文庫本を包んでいた。私はそれを見るのが楽しみだった。けれど吉田さんの奥さんはもうお店に来てくれない。彼女は、孫の顔

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花と小鳥【1】

花と小鳥【1】

《0》
放課後のチャイムがなると図書室へ向かうのが私の決まりごとだった。渡り廊下をひとつ越え、ふたつ越える頃には生徒たちの喧騒も遠くなって、階段をくだる自分の足音だけが耳に響くようになる。

タン、タン、と上履きが床を打つ。

クラスメイトと話しているときよりも、鏡をみつめているときよりも、テストの結果が返ってきたときよりも。自分の足音を聞いているとき、私は確かな自分を感じられた。見た目とか立ち位

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坂をくだる

坂をくだる

 坂を下るとき、いつだって私は一人だった。

 職員室の明かりを背に校門を出るとそこは夜の海のようで、街灯が灯台みたいに坂道を照らしている。映す影は濃く、あたりには人ひとりいない。そうしたらもう世界は消えてしまって、私は暗闇にたった一人になってしまったのではないかと思う。そして決まって叫びたくなる。「誰か」と。
 イヤフォンを耳にさす。ピアノの音に自分の足音を重ねる。そうやって私は坂を下る。下った

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