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すばらしい日々《6》

時計を見る。時刻は十八時半。みどりの予約した新幹線は十九時発。ここから鷺沢高校までの距離は三キロほどある。今出発したら確実に間に合わないだろう。
席を立ったところで私たちがためらっていると、見透かしたように関さんが言った。

「私ん家泊っていったらええよ」
それからまた母親のように続ける。
「もう暗いし気いつけて。何かあったら連絡して」

そう言って朝と同じように送り出してくれた。私たちはふりだしに戻った。けれどゼロじゃない。抱えた荷物を半分こし、片方の手で互いの手をとりあっている。きっと総重量は増えているし、身動きもとりづらい。けれど、前よりもすごく楽だと思った。

四条から三条にかけてはどの通りも人が多いからいったん鴨川に出るといいという関さんの助言に従って、私たちは再び松原通を東へ進み鴨川の左岸へ降りた。
ひたすらに北へ進む。遥か向こうに見える比叡山はもう藍色と同化し、あたりは墨汁が滲むように薄暗くなっていく。鴨川の水面には木屋町通に面した料理屋たちの灯りがゆらゆらときらめいていて、私はその美しさを、みどりの後ろ姿を、瞬きすれば零れ落ちてしまいそうな数々を絶対に忘れるものかと右と左のペダルを交互に踏み出す。この旅が終わってほしくない。終わりたくない。けれども私は前へ漕ぐ。その速度は三月の風よりも速かった。

荒神橋の手前で鴨川沿いから公道へと上がった。静かなその通りには私たちしかいない。左手には小汚いラーメン屋が、右手には洒落たフランス料理店が、この夜から誰もはぐれてしまうことのないよう等しく優しい光を差し伸べている。その先を行ったところに、静かに佇む校舎があった。

「着いた」

みどりは見上げる。瞬間、頬に汗が伝った。
風格ある校舎は暗闇の中、重厚な雰囲気を纏っている。表に回ると御所風の木門がどんと構えていて、その隣には普段生徒たちが使っているであろう鉄製の門が隅から隅までぴちりと閉まっていた。
ぐるりとその周りをまわってみる。約半周行ったところで裏門を見つけた。手をかけてみたがそれはびくともしない。けれどその門は表門ほどの高さはない。私の背より少し高いぐらいだ。私たちは無言で見つめあう。みどりの考えていることが、私は手に取るように分かった。それは私の考えていることと同じだった。見つかったら間違いなく怒られる。鷺沢高校はもちろん、私たちの高校にも迷惑がかかることになるだろう。何らかの処分が下るかもしれない。それは正しくないことだったが、私たちが一緒にやらなくてはいけないことでもあった。

みどりは路肩に自転車を停める。私もそれに続く。みどりはギターをいったん地面に置いて軽々と裏門を飛び越えた。私はギターを取り上げ、門越しにみどりに手渡す。それから門に足をかける。冷たい風がスカートの裾をさらう。みどりは真っ直ぐな瞳で私を見上げ、すっと手を差し出した。淡々と、無言で。私はその手をとり構内に飛び込んだ。

「行こう」

みどりは声を潜める。私たちは手を繋いだまま、グラウンドの方へ駆けていく。砂を踏む二人分の足音だけがサクサクと聞こえた。
校庭の中心に辿り着いたところで、私たちは倒れるように寝転がった。春なのに空気は澄んでいて、星屑が砕けたようにきらめいている。夜の学校はシンと静まり返っていて、世界には私たちだけしかいないんじゃないかと勘違いしそうになった。

互いの息づかいが落ち着いてきた頃、みどりは起き上がりケースからギターを取りだして抱きしめるように身体に近づけた。

「なに歌うの?」
「決まってるじゃん。くるみが歌ってよ」

そう言って彼女が弾きはじめたのは「すばらしい日々」だった。
夕方五時のチャイムのようなイントロ。それは楽しい時間の終わりを意味すると思っていた。でもそれだけじゃない。「また明日」の合図でもあるのだ。
私は春の空気を肺いっぱいに吸い込む。
互いを忘れられない君と僕は、もう会えることはないだろう。でもいつか、何かの拍子で、偶然出会えるかもしれない。そしたらその時はまた手をとりあえるかもしれない。時はすべてを洗い流してくれる。私たちの大好きな別れの歌は、デルタで聴いたときとは違う意味を持って響いてきた。
民生から見た、客席の海に投げ出された阿部ちゃん。阿部ちゃんから見た、燦燦と輝くステージに立つ民生。歌いながら、想像する。きっと二人は互いが羨ましかったんだ。
一音一音を拾い上げるように私は歌う。いつのまにか風はやみ、首筋から胸元へ流れる汗が体を冷やしていった。
弾き終えると、みどりは白い歯を見せてダブルピースをした。

「時間だけしか解決できないこともあるんだね。もつれてどうしようもなくてそのままにしてても、いつかどこかでつながって、ほどけていく糸だってある。今日先輩たちに出会えたみたいに」
みどりは何かを確かめるように、ゆっくり、はっきりとしゃべる。
「それにそのままにしてたおかげでくるみともっと仲良くなれた。どうしようもないことを抱えていることも悪くないのかもしれない。もしも辛くて仕方がなくなったら、何もせず眠っていればいい」
私が頷くと、すう、と息を吸う音が隣から聞こえた。みどりは真剣な眼差しで言った。
「私、くるみと一緒ならどこへでも行けると思ったよ」
「うん。私もみどりとならどこへでも行けると思った」
みどりはふふっと笑った。つられて笑う。
「みどり、これからもいろんなこと一緒にしよう。それでさ、楽しいときは楽しいって言えばいい。悲しいときは悲しいって言えばいい。腹立ったら、腹立ったって。喧嘩しちゃうかもしれないけど……。私たち、何があってもそのままでいよう」
「うん」

私たちはただただ、憧れていた。今だって憧れている。その気持ちさえあれば、どこへでも行ける。この素直な心で、互いを認めあえば、二人でも行ける。
空を見上げると、散り散りになった星が冴えた光を放っていた。

私はみどりに向かってダブルピースした時のことを思い出す。みどりの人生から切り取られた私のダブルピース。でもそのままでいいと思った。あの日あの時、私がみどりの真似を、民生の真似をしたことに意味がある。そしていつか、時がきたら、みどりにこの話をしようと思った。

***

民生になれなかった私たちはそれからも明るく、楽しく、飄々と、どうしようもないことは「しょうがないのだ」と諦めて、一緒に毎日を過ごした。それはすばらしい日々だった。思い煩うことなんて何もなかった。
卒業後、みどりは民生と同じ空気を吸って暮らしたいと言って広島の大学へ進学した。みどりらしいと思った。私はみどりと一緒に旅した京都に残った。下宿先の簡素なアパートを出て東へ行くとデルタが、西へ行くと鷺沢高校がある。私はいつでもみどりとの思い出に触れることができる。忘れることはないだろう。でも私はいつでも、すぐに、みどりに会いに行けるのだ。

***

『くるみ、大変なことが起こったよ。ニュースをみて』

みどりからのメールを見て、私は急いでポータルサイトを開く。そのトップには「ユニコーン復活」の見出しが躍っていた。

二〇〇九年一月。ユニコーンは活動を再開した。それは大変な話題を呼び、主要都市では号外も配られたという。

見出しをクリックし記事を隅々まで読む。翌二月にはシングルとアルバムをリリースし、三月から全国ツアーが始まるとのことだった。
みどりから新たなメールが届く。

『ねえ一緒に行こうよ』

もちろんだよ。

『一緒に行こう』

私はメッセージを送信した後、パチンとケータイを閉じた。初めてユニコーンを観れるのだ。みどりと一緒に。こんな日がくるとは思わなかった。昂る気持ちを抑えてカーテンを開けると、大粒の雪が真っ白な空から降り注いでいた。私たちの町に雪が降っている。降っているよ、みどり。心で呼びながら、私はいつもと同じ白い雪がベランダの手すりに降り積もっていくのを見つめていた。

***

四月。「広島で観よう。ついでに案内するよ」というみどりの誘いにのり、私は広島のツアーに参加することにした。
広島駅の新幹線のホームに降り立つと、やわらかい風が頬を撫でた。そこに降る陽光はやさしく、海の気配を感じさせた。私はこの光を知っている。ここに来るのは初めてなのにどこか懐かしさを感じながら私は階段を下った。
すでにみどりは待ち合わせの改札前に到着していて、瞬きもせずにまっすぐ前を見つめていた。それはこの光を、風を、空気をすべて心に焼きつけようとしているように見えた。少し高い背に、肩につきそうでつかない真っ黒な髪の毛。ジーンズに爽やかな空色をした縦縞のワークシャツという明らかに民生を意識した出で立ちに、私はふっと笑ってしまう。変わらないなあ。そのときふとみどりが私の方を振り向いた。私は彼女に見えるよう、満面の笑みで両手を高く上げダブルピースをした。

*「すばらしい日々」おまけのコラム

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※この作品はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。

※引用資料
阿部義晴,奥田民生."すばらしい日々".ケダモノの嵐.UNICORN.1995年.ソニー・ミュージックレコーズ,1995年

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