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きみのためなら踊れる
高校二年生の夏休みがはじまってすぐのこと、放送部の全国大会で東京にいるあいだに配役決めはなされていて、わたしは妖精役になっていた。
母校の文化祭は学年ごとに出し物のジャンルが決まっていて、二年生は中庭で約十分間のダンスパフォーマンスをすることになっている。わたしのクラスはロボットが少女との出会いからこころを手に入れるといったストーリーに肉付けをするように振り付けや衣装や台詞を考えていったの
それでも思い出してしまうということ
時が経過するということに気づいたのは幼稚園年長組のおゆうぎ会のときで、体育館だったのか講堂だったのかはよく憶えていないのだけれど、舞台にむかうのに外の階段をのぼらないといけなくて、あたまの上で不安定に揺れる魔女役のとんがり帽子を手で押さえながら、たくさんの練習を経てこのあと本番がはじまるけれどあっという間におわってしまう・いまこの瞬間は過去になって消えてしまう、ということを強く意識したのだっ
晴天、その前に抱きしめてくれ
愛がうさんくさいのではない、状態動詞としての「愛する」をさも自らの動作動詞のように、じぶんが一方的に与えているかのように相手に口にするから信用できないんである。愛(愛する)を毛嫌いするひとを見るたびに、そこちゃうし、発信者の問題やし、と怒りそうになる。いや、怒っている。反省してほしい。
わたしがそうやって怒りをおぼえることができるのは、フランツ・リストの「愛の夢 第3番」という愛の権化のよ
この別離に手は伸ばさない
「私が死んでも世界はありつづけるわ」と言って死んでいった亜紀のことを、ことばとしてずっと憶えている。片山恭一さんの『世界の中心で、愛をさけぶ』は小学六年生のころに読んでいけすかない小説として記憶していたのだけれど、大人になってから再読してみると若い恋人たちの救いの選択肢は〈私が死んでも〉というほとんど諦念でできた前向きさや朔太郎が亜紀の遺骨を風に流して前進する、それ以外にはなかったのだと気づ