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晴天、その前に抱きしめてくれ

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 愛がうさんくさいのではない、状態動詞としての「愛する」をさも自らの動作動詞のように、じぶんが一方的に与えているかのように相手に口にするから信用できないんである。愛(愛する)を毛嫌いするひとを見るたびに、そこちゃうし、発信者の問題やし、と怒りそうになる。いや、怒っている。反省してほしい。
 わたしがそうやって怒りをおぼえることができるのは、フランツ・リストの「愛の夢 第3番」という愛の権化のような曲を知っているからだ。音楽のなかでも構造性のつよいクラシック音楽はどこかしらで暗い響きの短調への転調が行われることが多いのだけれど、「愛の夢 第3番」はどこまでも明るく堂々と、そのひとのことを愛しうるかぎり愛そうとする姿勢をみせていて、譜読みをしながらほんとうにすごい音楽だと感じた。ときどき不安になることもある、でも、愛するという状態を完璧に知っているわけではないから相手に伝わるように努力をするのだ。そうおもってわたしはこの曲を弾いている。
 けれど、「好き」の上位互換として「愛してる」を使う素直なひとがいるということも忘れてはいけない。たとえばわたしの夫とか。

30-DAY SONG CHALLENGE EX ver.

DAY2 タイトルに「愛」が入っている曲

あい【愛】
①親兄弟のいつくしみ合う心。広く、人間や生物への思いやり。
②男女間の、相手を慕う情。恋。
③かわいがること。大切にすること。
④このむこと。めでること。
⑤愛敬。愛想。
⑥愛欲。愛着。渇愛。強い欲望。十二因縁では第8支に位置づけられ、迷いの根源として否定的にみられる。
⑦キリスト教で、神が、自らを犠牲にして、人間をあまねく限りなくいつくしむこと。
⑧愛蘭(アイルランド)の略。
(『広辞苑 第六版』岩波書店・二〇〇八年)

愛のテーマ/Ennio Morricone

 ジュゼッペ・トルナトーレ監督の映画『ニュー・シネマ・パラダイス』の音楽は主に「ニュー・シネマ・パラダイス」「過去と現在」「愛のテーマ」の三曲で構成されており、アレンジをすこしずつ変えながら繰り返し使用されている。そんなわけでわたしのウォークマンには「愛のテーマ」がよっつも入っている。
 少年トトは映写技師のアルフレードが失明したことをきっかけに、新パラダイス座(ニュー・シネマ・パラダイス/Nuovo Cinema Paradiso)で幼いながらも映写技師として働きはじめる。その後青年となり、じぶんでも映像を撮るようになったトトはエレナと恋に落ちる。
 野外上映の日、会場は豪雨に見舞われる。ようやく落ちあうことができたトトとエレナはその場に倒れこみ、雨の降りしきるなかでくちづけを交わす。「愛のテーマ」が流れて、長くて深いキスが美しい映像になる。
 このときわたしは結末を知らなかったはずなのに、ふたりの別れを予期してひどく泣いた。「愛のテーマ」のせいだ。募りゆく熱が最高点に達して静かに引いていくこの音楽が、ふたりの愛が完全のものにならないことを、永劫のものではないと教えてくるから。

愛に似てる/GARNET CROW

 GARNET CROWのシングル曲のなかでトップ3を選ぶとすれば、ひとつは30thシングルの「花は咲いて ただ揺れて」を入れたい。生命というものの途切れることのない運命をダイナミックに歌いあげているこの曲について、ライブのMCで作詞のAZUKI七さんが「エロみたいな……」となにかを言いかけてやめた場面が印象的でよく憶えている。主張には至らなかったあの一言を聞いて以来この曲については、花はおしべとめしべさえ揃っていれば繁殖することができる・逆にそこから逃れることができない・それは至極エロティックなのではないか、と解釈している。
 「花は咲いて ただ揺れて」のカップリングとしてともに収録されているのが「愛に似てる」だ。主人公と「君」のあいだには〈愛に似てる時〉が流れている。愛に似てる、であって、愛、ではない。だからふたりは〈混乱に似てる関係〉にある。サビ以降に施された分厚いバックコーラスとシンセサイザーはふたりの困惑するこころの内部へと聴き手を誘う。

愛に似てる時よ終わらないで
その切なさに騙されていたい
降り出す雪 身を守るように二人
そっと肩寄せて歩いた
(GARNET CROW「愛に似てる」)

 花のようにただ生命をつなぐだけの、ドライな運命のもとにあるふたりなら、ともに過ごす関係/時間の終焉を悲しむこともなかったかもしれない。けれどふたりは人間で、愛が必要だった。ひとがだれかを永遠に大事にしようとおもったとき、武器になるのは愛であって、愛によってつくられた・あるいは愛を守るための制度だから。
 愛のことを考えたとき、そのことだけがただ淋しい。

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