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それでも思い出してしまうということ

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 時が経過するということに気づいたのは幼稚園年長組のおゆうぎ会のときで、体育館だったのか講堂だったのかはよく憶えていないのだけれど、舞台にむかうのに外の階段をのぼらないといけなくて、あたまの上で不安定に揺れる魔女役のとんがり帽子を手で押さえながら、たくさんの練習を経てこのあと本番がはじまるけれどあっという間におわってしまう・いまこの瞬間は過去になって消えてしまう、ということを強く意識したのだった。ませガキでした。つぎに時間を意識したのは大映通りの坂をのぼりきったところあたりで、広隆寺をバックに「1999年4月」というテロップをなぜだか想像して、こうやって西暦と月日が組み立てられていって歴史ができてゆくのだなと感心していた。こういうおもいでを書くとひどく達観した子どもだったかのようにみえるかもしれないけれど、地下という概念を知らなくて雑貨屋の地下一階から地上に出たときには新たな世界にやってきたのだと勘違いしていたし、公園の砂場の土をすべて堀りだせばつぎの世界の空が顔をみせるのだと信じて、どちらかというと抜けているところの多い子どもだったとじぶんではおもっている。
 忘れたい、という感情をあまり抱いたことがないのは、現在が過去になればとくべつな努力をしなくても忘れてしまうことにむかしから気づいていたからかもしれない。反対に、忘れたくない、と猛烈に願うほどに空回りをしていたのは、それが時の流れという絶対的な世界の理に抗う行為だったからなのだろう。

30-DAY SONG CHALLENGE EX ver.

DAY4 何もかも忘れたいときに聴く曲

わす・れる【忘れる】
①おのずと記憶がなくなる。
②思い出さないでいる。心にのぼせないでいる。
③うっかりして物を置いたままにする。
④うっかりしてすべきことをしないままにする。
⑤他に心が移り、それが意識されなくなる。
(『広辞苑 第六版』岩波書店・二〇〇八年)

あの青と青と青/パスピエ

 忘れたい、に、無心になる、とか、深く考えない、が含まれているのなら、パスピエの「あの青と青と青」が該当する。パスピエの楽曲はアニメ『境界のRINNE』が放映されていた時期にアルバムを借りてきてウォークマンに入れたのだけれど、この曲の存在に気づいたのはきょねんの初夏だった。シャッフル再生で音楽を聴いていたら流れてきて、すごく綺麗な曲だなと純粋に感じた。Bメロまでのペンタトニックとおもわれる中国風の装飾の音があしらわれている音楽は、サビで雰囲気が一変し、一気に開放感を醸しだす。歌詞も己の目に見える範囲のものから概念的で広いものへと変化していく。〈マザー 聞こえるわ あの青と青と青〉/〈マザー 祈ったわ あの青と青と青〉/〈マザー 愛したわ あの青と青と青〉と何度も繰り返されるセンテンスとメロディーが心地よくって、ずっと聴いていたくなる。この曲については歌詞の意味を深く考えたことがあまりなくて、なんとなく、祈りの歌だなと認識している。
 個人的なはなしになってしまうのだけれど、青は無で、死の色とおもっている。それは小学四年生のころに黒板に取りつけられていた日直カードに青いクレパスで死ねと書かれたことがあって、たしかにひとは死んだら空にゆくとされているし、生命の源は海だといわれているから、無の状態になれといったことを青色で書くのは正しいなと納得したのだった。忘れたい、のはなしでおもいだしてばかりだけれど、わたしはあのころから思考とそのためのことばに守られて生きてきたのだとおもう。死ねと書かれた日直カードは処分して、担任にもらった新しいカードにマジックで名前を書いて青のクレパスで塗りつぶしたらすごく見づらくなった。

忘れ物/メレンゲ

 メレンゲのアルバム『初恋サンセット』に収録されている「忘れ物」は、ギターのアルペジオによるイントロと〈ほらまた考えてる〉ではじまるクボケンジの歌声にどきっとさせられる。メレンゲの音楽はメンバーが担当する楽器の音だけでなく、必要であれば鍵盤やシンセサイザーの音も取り入れてアレンジに幅をきかせているところが魅力だとわたしは感じているのだけれど、「忘れ物」は余計な音を加えずにバンドの音だけで仕上げているところが、素直さや、歌詞がもつ物悲しさを表現している。皮膚を粟立たせる寒い冬の、しんとした冷たい空気が地上を覆っていく。
 歌詞のなかの主人公は「君」を失い、「君」についての記憶が徐々に薄れていくなかで、ことばのうやむやになってしまった声だけをずっと憶えている。人間が人間に対する記憶を失っていく順番は声が最初だと母校の句会で後輩が教えてくれたことがあって、それが正しいとすると主人公は「君」のことを案外忘れていないのかもしれない。きっと、この曲の痛みはもういない「君」を置いてきた過去を想起して、「君」の不在を強く認識するところにある。忘れたい、は、おもいだす、と紙一重のところにあって、だからあたまにこびりついてしまった記憶を振り払いたくなる衝動にかられるのだ。

悲しさは、たしかにぬぐいきれないもので、永遠にともにあり続けるのだけれど、「忘れられない」のではないと思う。何度だって「思い出してしまう」のだと思う。
(最果タヒ『百人一首という感情』――リトルモア・二〇一八年)

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