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”日本人は雑談力が弱いから英語力が伸びない” の一節から思う事


*英語という言語を使ってコミュニケーションをする事、またその能力を以下では英語力と呼んでいます。

前置き

表題の一節から日頃思う事を書き残しておこうと思います。

ちなみに、私の英語力は、
・TOEICは900台前半をうろうろ、ビジネスレベルは読み書き聴き話す問題無く
・仕事で発生するコミュニケーションの30~80%は英語(日によってだいぶ差があり)
・1年のうち3か月は集中的に英語をやると決め(今はTOEIC950オーバー 英検準1級を目指し) 
・毎日30分~1時間は仕事以外の英語の読み聴きを(海外主要メディアやTEDを見たり)
・日本国以外で留学・駐在経験なし。5年間で海外出張は15回くらい(インドとシンガポールのみ)
といった程度です。
なので、人より少しは英語力を身につけるために時間投下をしてきた者の小言程度に捉えていただければ嬉しいです。


英語を使って仕事をしていると、英語力を身につけようとその途上にある方や、これから学習を始めようとする方からよく質問を受けます。
「英語学習で何が大切か」、「何からやればいいか」、「どうやったらしゃべれるようになるのか」、「リスニングからやればいいのか」、「発音は気にしなくていいのか」等々、、。
特に、私の様に帰国子女でもなく、留学、長期駐在経験も無く、超ドメ企業に居た様な分際がいつの間にグローバル企業で英語を主言語として生存できているのか興味がある様で、割と頻繁に聞かれます。私はそんな時にいつも“全部大事”という身も蓋も無い回答をします。、、、「これさえやっておけば大丈夫さ!」とシャープに答えたいところですが、実体感からそういう答えはどうしても出てこないのです。
全部大事とは言っても「何からやればいいのか」とその順番を聞かれたら、まぁあえていうとリスニングファーストだと私は考えます。人は耳で捕捉できないものは喋れないと思います。圧倒的リスニング量でスピーキング力もリーディング力も多少勝手に上がります。その逆は実感湧かないです。
第二言語習得ノウハウみたいなものは、PROGRITさんのようなプロフェッショナルサービスが確かな理論をお持ちでしょうし、その辺の体系立った話を私が触れても二番煎じの薄目の味しか出せないので、過去英語習得奮闘の最中で、そして現在進行形で仕事柄様々な国の人とコミュニケーションをする中で得た気づきを中心に書いてみたいと思います。
日本人の英語力の伸び悩みを考えた時に、この日本にまたは日本人に決定的に足りないものや、ちょっと違うんじゃないかな~と日頃感じる小さな違和感を書き出したいと思います。

使う場が無い

英語は筋トレと一緒だと強く感じます。やれば絶対できます。やった分だけ筋肉つきます。上述の、英語学習において何をやればよいかのHowへの答えは自信はありませんが、英語学習=筋トレの原理は、両方経験してきた者のほぼ間違いのない実感です。
得た筋力は、それを使って何か競技なりパフォーマンスする事が前提であるはずですが、英語の場合、そのパフォーマンスの場=競技場が少な過ぎるという事です。”読み書き聴き話す”を通じた知覚刺激によって英語をツールとして使う“力”がはじめて身につくと思います。身につけたからといって、まさか明日の朝から同じマンションの隣人にHow are you doing?と挨拶するわけにもいかず、ましてやこれだけ成熟した独自の言語:日本語を持ち、”場の空気”という第二言語を持つこの国では、英語を代替言語としなければいけない意味も大儀もないと思います。
では、どうするか、、もうここは力技です。つまり無理やり触れるものすべてを英語にしていくという事です。スマフォ、PCの言語設定は英語に、見ているメディアもBBC,CNN,Nikkeiの英語版に、気づいた事思った事のメモは英語で、ここがもし米国ならと妄想して英語で暮らす英語喋っている人たちを友達にする、英語使う場ならどこでも行く、、使う場が無ければ自分で作るしかないと思います。幸いな事にコロナ明けてインバウンド復活のせいか、銀座や新宿、渋谷当たりに外国人急増の様ですので、”競技場”は多少増えたかもしれません。

もちろん海外移住、語学留学できればそれに越した事は無いと思います。ただ語学留学についてもあえて言えば、個人的にはあまり効果が無い気がします。あくまで英語は“筋トレ”程度の事なのであえて海外でしかできない筋トレは無いのと一緒で、英語も確かに日本より触れる機会は増えるでしょうが、何かトレーニングのためのトレーニング感があって投下時間対効果については疑わしいです。コロナ明けインバウンド外国人急増の銀座や新宿、渋谷辺りに1日中彼ら彼女らに声をかけまくって道案内をしてあげるのと、フィリピン語学留学なんとかプランに差は無い気がします。
英語が付随的についてくるような環境に身を置き学習せざる得ない切迫感を作るという意味で海外に身を置くは良いと思います。日本人の野球選手は大リーグで自分のパフォーマンスを最大化させるために、チームとのコミュニケーション力を上げようと必死に英語を勉強するわけで、主の何かがあってその場に身を置く=海外に行くのには賛成ですが、英語を勉強するためだけに海外に行くというのは強くは賛成できません。
という事でまず、iphoneの設定画面→Language→Englishに変えるところから始めてみましょう。

発音を軽んじ過ぎ

「日本人は発音を気にしすぎ」、「そもそも綺麗な英語をしゃべっている外国人なんかいない」、といった事をよく聞きます。結論それは事実だと思います。職柄アジア圏の方々とコミュニケーションする事が多いですが、よくそんな発音で堂々と話せるなと思ってしまうほど皆気にせず話しています。とはいえインドリッシュもシングリッシュも、、最初は少しタフですが慣れの問題で段々発音は気にならなくなります。
ただやはり言葉≒口語なので、正しく伝わる”音”自分はこの言語を喋る事ができるよと思わせる最低限の発音は必要だと感じます。特にビジネスの場ではちゃんと発音できる方が得をすると思います。同じ言語を使って会話できるなと思わせれば自然と会話をする機会も増えますし、自ずと自分の英語力も伸びます。あまりにたどたどしく聞きづらい発音だと、無理して頑張っているな感があえて出てしまい、英語ネイティブは会話しづらそうにしているシーンをよく見ます。ゼロひゃくの話ではなく、発音未熟だからといって全くしゃべらないとか、徹底的に発音を鍛えるという様式美極める的な努力は当然不要です。
発音汚くても良いというのは、あくまで初心者が致し方なくという状況に置かれた場合、精神論として“臆せず行け”と言われている様な事で、それを是とし過ぎる風潮はいけない気がしているというまでです。
発音は、リスニング&シャドーイングを圧倒的な量(=1日2時間×3か月程度は最低やらないと)、をこなすことで自然と身につくと思います。シャドーイングはカラオケと同じでしょうか。真似しているとそれぽくなってくるという感覚に近いのかと思います。という事で、この”カラオケ理論”からすれば、まず真似したくなる好きな曲ならぬ、感動する英語ネイティブさんのスピーチ10分程度を見つけて、それを200回くらいはみましょう。100回くらい真似っこでしゃべってみましょう。301回目にはあたかも自分のスピーチになっています。好きな曲(スピーチ)10曲(10人)見つけて、同じ事繰り返していると、不思議と今まで見ていた話し手と同じ音感で無理なくしゃべっている自分がいるはずです。
私の好きな”曲”の一つは、べたですが,, Steve JobsのStanfordの卒業式のやつです。

そもそも言いたい事が無い

これが日本人にとって最も難儀なポイントです。
我ら1.2億人前後もいるので“日本人は”と括ってはまずいかもしれませんので日本人ぽい習性を持つ我々は、とあえてぼかすと、我々は、
私はこう思う、なんでそうなるの?、こうしてみない?、という思いや考えが無い、またはそういった考えや思いを殺しながら生きている気がします。見たもの気づいた事を直感的に言葉にするとか、直情的に思いを発してみるという、あえて何も考えず思った事を言ってみるという事で、雑談力にもつながる様なちょっとした一言が出てこない(またはその一言を殺す)習性を持っていると思います。ただ、これは斎藤孝さんの著作の通り、ちょっとした意識を持って雑談力として鍛えれば矯正可能な習性だと思います。
問題は深いレベルで言いたい事が無いという事でして、これは有体に言えば教養の足りなさ的な事です。ビジネスの上で特定の話題を取り上げていれば、その話題から派生する違うドメインの話を乗して話の広角を作る様な事が必要になってくると思います。例えば私の場合IT(情報通信)界隈の仕事をしているので、互いの国のIT事情(デジタル化具合)なんかについて話し合います。その時にIT×自国の状況、IT×相手国の国民性、IT×自国の歴史、IT×相手国における軍事利用のニュース、IT×国際関係、、といった話を振られる事があります。この話の広がりを闊達に楽しめる人はなかなかいないのではと感じます。

結局、英語は国語力

Yes Noクイズの様に一問一答無機質なコミュニケーションであれば英語で会話できる人もそれなりにいますが、それは英語力とは言えない気がします。会話の中の脈略無い派生や、偶発的な知恵の発見・交換、それらを通じて人間関係作る事が会話の主たる目的であったりもするわけで、その会話を構成する骨組み(=言いたいことが無い)を持っていないという事は、英語力以前に致命的にコミュニケーション能力が痩せていると言わざる得ないのかと考えます。
そしてここで意識すべきは、”言いたい事は自然に湧いてくるというより育てるものだ”という事です。常に自分の専門領域に関する最新情報は得ておく、違う分野の話も乗したアナロジーを持つクセを身につける、自分の関心域外の話題も触れてみる、何より自分自身をもっと知ろうとする(=自分が自分である事の説明責任を果たせるか)、日本語で良いと思うのでとにかく情報に触れ本を読み考え話す事、これらを通じて言いたい事が醸成されていくと思います。
まずは自分が表現したいと内発的に思える何かを育て、思考と言葉を自ら母語で創る事、まさに国語力を豊かにする努めが英語力伸ばす大事な習慣だと考えます。
まずべたに私は、中高の教科書レベルの”日本の近現代史”を知る、からやってみようと思います。


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