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確かに就活はしんどい

就活中、「多分わたしは社会不適合者なのかもしれない」と思えたら何もかも気楽になった。生き方なんて無限にある、生意気にもそんなことを思ってしまった。

卒業研究の調査で、就活中のメンタル状態に関する論文や記事を読んだ時、就職活動が原因で自死を選んでしまう人もいるということを知った。

目の前が真っ暗になった。
それと同時に、気づいた事がいくつかあった。

結局人間はそれぞれの自己満足の中を生きている

人の役に立ちたい、というのは立派な事だと思うし、「社会で生きる」とはきっとこの事なのだと思う。
だけど、「人の役に立ちたい」って、自分のやりたいことの範囲の中でしかなくて、一番外にあるのは「自分」になる気がする。

人間が起こす行動って自己満足の外を出ることがあるのかな…と思う。

結局「給料がよくて福利厚生が充実している会社で働きたい」というのと「自分の専門分野・長所を生かして人の役に立ちたい」というのは本質的には同じレベルにいると思う。

選考に落ちた=人格否定ではない

選考に落ちるとやはり凹む。凹むことに関してはなんらおかしいことではく、ごく当たり前の反応だと思う。だけど、

落ちたからと言って「私の全てを否定された」って思う必要は全く無くて

ただ、その会社に合わなかっただけ、私の持っているものと会社が求めるものが合わなかっただけ。それだけだと思う。

就活って、恋愛に例えられたりいろいろするけど、わたしは噛み合う歯車を探すような感じがした。

無理やり合わない歯車を切削して合わせるなんて、お互い良い事ないじゃん。削った分だけボロボロになるし、切削だけじゃなくて曲げ加工も必要ってなって、何度も加工したら金属疲労で折れてしまうかもしれないし、きっと私たち側が問答無用で削られたり、加工されてしまう事が多いと思う。
だから、お互いきちんと噛み合う歯車を探し求めようって。


合わせる前から歯車が合わない気がするときはだいたい合わない

なんとなく直感でそういうのが分かることってあるよね。
ネジ穴だって、なんとなく合いそうな直径のネジを選んでからはめてみるじゃん。

とある企業の最終面接前に「あ、ここで働いている自分を想像したら嫌になってきた」って思ったら、私が答えたことに関して、面接官に鼻で笑われ小馬鹿にされた。
直感に頼り過ぎるのもよくないけれど、情報をある程度理解した上での直感は真理を突いている率が高い。(あくまでわたしの話だけど)


就活失敗したら死ぬの?

新卒で入社できなかったからって、生活が大変かもしれないけど死ぬわけじゃない、何もかも失うわけじゃないって考えるようになった。

少し年上の知り合いを見ると新卒で就職してない人は思ったよりいるし、会社勤めを経験した事ない人も多い。
新卒で就職が「普通」って思っていたら多分、普通の基準を狭くしすぎているかもしれない。(その「普通」って何?って思うけど)

こういう考え方が「社会不適合」なのかもしれない。と思わなくもない。
だけど、こういう考え方をする後輩が増えてくれたら嬉しいかもしれない。


きっと仕事をする上で、他の人との関わりは避けられないけど、自分を抑圧して萎縮する必要なんてどこにも無い気がする

調和を大切にする気持ちは理解できるし、大切だとは思う。その気持ちがあることで、人間関係が上手くいく。

だけど、自分を偽ってまで調和する必要を感じない。

もちろん、自分の本音で相手を傷つけるのは違うし、良くない事。相手を大切にする気持ちは持っていなきゃいけないと思う。

働き始めて感じたこと

きっと私は「社会不適合者」なのかもしれない。そう思う場面が多い。
だけど、「社会不適合者」という言葉に甘えて仕事をしなくなってしまう自分が怖くて、「自分は社会不適合者です!」とは言わないと決めている。(いつか言ってしまうかもしれないが)

だからと言って、自分自身について否定する必要はないとは思う。

仕事がうまくいかなかったりした時はとことん反省する癖がついている。少しでも次に生かしたいと思っているから。
だけどその反省の方向を少し間違えると自己否定が始まってしまう。これは良くない。

「選考に落ちた=人格否定ではない」という気づきは、仕事を始めてからもこういう時に救われている。

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