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刀鍛冶 工藤将成(マサシゲ)の思考と論考とつぶやき https://twitter.com/masashige910/ https://www.facebook.com/masashige.kudoh

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刀鍛冶の作業燃料「松炭」について

刀鍛冶が刀を製作するのに主要な原料に、「松炭」があります。 戦後、高度成長期以降は生活燃料のガス化、最近では電化に伴って木炭燃料の需要は非常に限定的になり、世間的にはバーベキューくらいでしか木炭に接する機会はないでしょう。 僅かながらの一般的な木炭の主流は楢(ナラ)、櫟(クヌギ)でありますが、鍛冶屋では主に「赤松(アカマツ)」の黒炭を使います。 「松炭」を使う理由は主に燃焼温度のコントロールのしやすさ、灰の少なさです。 現代では木炭の需要が非常に限定的なために全体の生産も少な

    • 私が刀鍛冶の道へ飛び込んだ経緯 ⑨

      高校3年生の夏休みに、後に私が入門した将平鍛刀場へ行くことになりました。 師 藤安将平は「来るもの拒まず 去るもの追わず」を徹底していた人です。吾妻橋の「解紛塾」で知己を得た藤安には私が刀鍛冶になりたい熱意を持っているのことは伝わっていたでしょう。 ちょうど夏休みに入ったタイミングで、「解紛塾」主幹の高山武士先生が将平鍛刀場の福島市立子山に行かれるので、君も来るか?とお誘いがあり、好機と思い、向かう車に同乗し同行させてもらいました。 立子山に到着しましたが、なぜかある古民家に

      • 私が刀鍛冶の道へ飛び込んだ経緯 ⑧

        繰り返しますが、工藤少年が高山武士先生主幹の刀剣文化研究所 解紛塾で出会った刀鍛冶は後に師となる藤安将平と松田次泰氏だったわけですが、埼玉県在住の工藤少年はより近くの松田刀匠のところへ見学をお願いしました。 ちょうど夏休みのタイミングで千葉県の船橋市(当時)の工業地帯の中にある仕事場を訪れました。 暑い夏、スレートの外壁のとにかく熱い仕事場でした。そこでは松田さんが鋼を打ってブロック状にし、切れ込みを入れて冷やしていました。 それを割って、割れ口を眺めたら高山先生に電話をして

        • 私が刀鍛冶の道へ飛び込んだ経緯 ⑦

          さて高校生の工藤少年が刀作りに対してどのような概念を持っていたのか、少しだけ長く述べてみます。 書籍などで刀剣を勉強する中で、製作方法も知ることになります。その中でも大野正氏著の「刀工編」や「日本刀職人職談」は非常に参考にしていました。 ただ、それらの書籍から知る刀剣の製作方法(工法)、技法と「新作名刀展(当時)」に見る現代刀工の作品の出来に齟齬は感じないのですが、博物館で観る「古名刀」とは出来はもちろんのこと、どう見ても、どう考えても製作方法、技法が結びつかないのです。

        刀鍛冶の作業燃料「松炭」について

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        • 雑記
          2本

        記事

          私が刀鍛冶の道へ飛び込んだ経緯 ⑥

          刀剣博物館で知り合った愛刀家のKさんが誘ってくれた刀剣鑑定会は、日本美術刀剣保存協会の元学芸員であった高山武士先生が主幹をされていた刀剣文化研究所 解紛塾の浅草吾妻橋の会でした。 Kさんの紹介のもと、吾妻橋の会に参加をさせてもらい、古名刀の鑑賞と、刀鍛冶との知己を得る機会に恵まれたのです。 なお、けして安くはない参加費の会だったのですが、先生からはまだ高校生ということで会費を免除をしてもらったのは大変にありがたかったです。 格闘家の前田日明さんが愛刀家ということは有名なことだ

          私が刀鍛冶の道へ飛び込んだ経緯 ⑥

          私が刀鍛冶の道へ飛び込んだ経緯 ⑤

          高校生の頃に私が刀鍛冶を目指すにあたり、まずは刀剣の見識を深めようと埼玉県から都内へ繁く博物館通いをし、そのなかで刀剣博物館(当時は代々木)の受付のおじさんと顔見知りになり、よく雑談も交わすようになりました。 交流のなかで私が刀鍛冶の修業先を探しているということも当然知っていて、ある時に展覧会に拝観に来ていたお客様を紹介されます。 そのKさんという愛刀家は古名刀も非常に好きなのですが、熱心な愛刀家には珍しく「現代刀」にも深い理解を持っていた方でした。 Kさんにはその時、都内

          私が刀鍛冶の道へ飛び込んだ経緯 ⑤

          「刀鍛冶への弟子入りについて」の炎上をうけて③ 「将成鍛刀場の事情」

          日本刀を作りたい、刀鍛冶になりたい、という入門先を探している「弟子志望者」へ向けた、当鍛刀場の受け入れ条件は今のところ件の記事の通りです。 私は師 藤安将平(以下 親方)の将平鍛刀場で昔ながらの「徒弟制」にありました「住み込み」で衣食住の補償をしてもらい、修業にあたってきました。 そもそも弟子を受け入れる修業先は少なく、さらに「住み込み」で弟子を受け入れているところは1994年当時でも僅かしかありませんでした。当時から多くは「通い」の修業です。それらは私が明示している内容と

          「刀鍛冶への弟子入りについて」の炎上をうけて③ 「将成鍛刀場の事情」

          「刀鍛冶への弟子入りについて」の炎上をうけて②「刀鍛冶の徒弟」(後編)

          現代は機械化により作業上、昔のように弟子を持つ必然性は無くなりました。 日本刀という非常に狭い、ある意味で特殊な趣味にお金を使う方は当然多くはないです。ましてや、現代刀は熱心な刀剣愛好家からは軽んじられることも少なくなく、実は顧客層としては少数です。 現代に「日本刀を作る経済的メリット」は、よほど有名になって高額で取引されない限り、皆無と言っても過言ではありません。 そんな中で弟子を持つ刀鍛冶の師匠というのは本当に希少です。 現在、日本経済の不況、刀剣文化の根源的な衰退な

          「刀鍛冶への弟子入りについて」の炎上をうけて②「刀鍛冶の徒弟」(後編)

          「刀鍛冶への弟子入りについて」の炎上をうけて②「刀鍛冶の徒弟」(前編)

          まずは大前提として、現代においての刀鍛冶の師弟は全て雇用関係にありません。労働契約でなく、弟子の自発的な修業です。 修業において師匠の作業に従事することは弟子本人の「学ぼうとする意思」のみです。労働ではありませんので、社会的には「無職」です。 我々は全員、ただただ刀鍛冶になりたくて、ただただ刀が作りたくて仕方がなくて、それぞれの師匠の修業環境で弟子に入って技術その他を習得をしてきました。 労働基準法などをもとに待遇を揶揄されましても、弟子は一見労働に従事しているようで、単に師

          「刀鍛冶への弟子入りについて」の炎上をうけて②「刀鍛冶の徒弟」(前編)

          「刀鍛冶への弟子入りについて」の炎上をうけて ①「歴史的考察」

          私が発信したこれらのツイートに関して、いわゆる炎上したことをうけて、①徒弟制の「歴史的考察」や、②「刀鍛冶の師弟」、③「将成鍛刀場の事情」等を3章に分けてお伝えしたいと思います。 ①「歴史的考察」 まず「徒弟制」というものの歴史的な考察を、不勉強ながらも私見を交えて述べていきます。 弟子を表す徒弟というものは古くからあったのだと想像しますが、私ども伝統的なことに携わる人間が知る「徒弟制」が制度化されてきたのは、おそらく江戸のはじめから中頃にかけてだと思います。 戦乱の歴

          「刀鍛冶への弟子入りについて」の炎上をうけて ①「歴史的考察」

          私が刀鍛冶の道へ飛び込んだ経緯 ④

          大隅俊平氏の鍛刀場に時折通っていた頃は、並行して毎週末くらいの頻度で「トーハク」にも通っていました。 刀鍛冶を志してすぐに、全くの未知の世界のため情報を求めて本屋さんで刀剣に関する初心者向けの書籍を購入したので、この時にやっと刀剣が観られる場所を知ったのです。 この刀鍛冶という世界が未知すぎて、何からやっていいのかわからない工藤少年は、まず「刀剣を知ろう。」と考えたのでした。 ちなみに「トーハク」と音で俗称を言っていますが、一般と刀剣関係者では全く漢字が異なります。 一般

          私が刀鍛冶の道へ飛び込んだ経緯 ④

          私が刀鍛冶の道へ飛び込んだ経緯 ③

          叔母からの新聞切り抜きで知った刀鍛冶というのは、母の実家のある群馬県桐生市の隣の太田市郊外におりました当時の重要無形文化財(人間国宝) 大隅俊平氏 その人です。 私は早速、本屋で手紙の書き方なる本を買ってきて、なるべく失礼の無いような文章を心掛けて、見学に伺いたい旨を書簡で伝えました。 しばらくして大隅さんから許諾の返信があったので見学に行き、その後も何回かお邪魔をしました。 その当時、大隅さん曰く「最後の弟子」が修業をしていて、もう弟子は取らないと話していたのを、無理矢理に

          私が刀鍛冶の道へ飛び込んだ経緯 ③

          私が刀鍛冶の道へ飛び込んだ経緯 ②

          さて、これだ!と刀鍛冶になる決意をしたものの、ではどうやったらなれるのか?が一切わかりません。 ちなみにその時の某番組に出ていた刀鍛冶は、東京の有名な吉原義人さんでした。単純に考えれば、某局へ問い合わせて番組に出ていたその人を訊ねれば早いのですが、何故かその思考にもならず。 というのも、「この仕事」に惹かれたのであって、「その人」ではなかったのだと思います。 それから自分の将来への想いを両親に伝えますが、当然のことに難色を示されます。 ただ、後ほど群馬に住む叔母から、一片の新

          私が刀鍛冶の道へ飛び込んだ経緯 ②

          私が刀鍛冶の道へ飛び込んだ経緯 ①

          まず、インタビュー記事などにあるように、私がこの道を志したのは高校生の時でした。 私の通っていた高校は全員が進学を希望する学校で、もしかしたら就職希望を通したのは初めての生徒だったかもしれません。 そんな学校にいても、漠然と「大学へ進んで企業に就職」ということへの当時誰もが疑わず受け入れている流れには、自分はイメージをしてみても受け入れられない違和感がありました。 やはり漠然と手に職をという感じで、大工だったり、何か合う仕事がないかな?と思いながらの学生生活でした。 そんな

          私が刀鍛冶の道へ飛び込んだ経緯 ①

          刀鍛冶への弟子入りについて

          結論を端的に言うと、「弟子入り希望を受け入れます。」 以前にTwitterで当鍛刀場への入門や修業条件などを書き連ねました。 https://twitter.com/masashige910/status/1193922195732324352?s=21 その入門についての考えを改めたので、変更、加筆修正をします。 [入門 弟子入りについて] ここ将成鍛刀場への入門について、前向きに希望者を受け入れます。 性別も問いません。 年齢は修業期間や習得スピードを考慮すると、

          刀鍛冶への弟子入りについて

          はじめましてのご挨拶

          まず私がどんな人間か、借り物の手抜きですが、こちらの記事を読んでいただけたらとと思います。 SUUMOタウン 「たまたまテレビで見掛けて『これになる!』と決め、18歳から歩み続けた刀匠(刀鍛冶職人)という仕事」 ぼちぼちと書いていくつもりですので、宜しくお願いします。

          はじめましてのご挨拶