私が刀鍛冶の道へ飛び込んだ経緯 ⑦

さて高校生の工藤少年が刀作りに対してどのような概念を持っていたのか、少しだけ長く述べてみます。

書籍などで刀剣を勉強する中で、製作方法も知ることになります。その中でも大野正氏著の「刀工編」や「日本刀職人職談」は非常に参考にしていました。
ただ、それらの書籍から知る刀剣の製作方法(工法)、技法と「新作名刀展(当時)」に見る現代刀工の作品の出来に齟齬は感じないのですが、博物館で観る「古名刀」とは出来はもちろんのこと、どう見ても、どう考えても製作方法、技法が結びつかないのです。
現代刀工の殆どの方が「古名刀」を目標としているはずなのにです。

工藤少年は現代刀工の工法、技法について「古刀を目指すうえで、これは本来的に正しくないのではないか?」と疑問を持ちました。
博物館で観る「古名刀」と比べて、「現代刀」は明らかに緻密な出来です。
なのに、そこまで緻密ではない「古名刀」には圧倒的に良い魅力を感じるのです。
「現代刀」の緻密さはまさに書籍に書かれている工法、技法、そのままです。
では何故、「古名刀」が有する魅力とそれだけの乖離があるのか、門外漢なりに工法、技法についてずっと考えていました。
考えていく中で、工法において一つの仮説に思い至りました。

原料鋼の細かな選別をしていないのではないか?
つまりは玉鋼の水減し、小割り、積み沸かしは余計なのではかなったのか?でした。
それであれば、元々不均一な硬さ、成分を含有する原料鋼が「古名刀」の地鉄や刃文の中の働きに見るような自然でかつ魅力的な変化を生み出すのではないのだろうか。と確信的な結論を生みました。
それは現在でも基本的に覆っておりません。

そして、刀剣鍛錬における折り返し回数は昭和から現在でもセオリーは12回〜15回ですが、「古名刀」は明らかにそこまで緻密に折り返していない。
そんなことも観取していました。

これらは私が刀鍛冶として一人前になったら必ず試してみよう!と考えていたことです。

しかしすでに、工藤少年と同じことを考えていた刀鍛冶がいたのです。
それが、師 藤安将平と松田次泰氏だったのです。

次回は入門先への実際の行動です。

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