私が刀鍛冶の道へ飛び込んだ経緯 ③

叔母からの新聞切り抜きで知った刀鍛冶というのは、母の実家のある群馬県桐生市の隣の太田市郊外におりました当時の重要無形文化財(人間国宝) 大隅俊平氏 その人です。
私は早速、本屋で手紙の書き方なる本を買ってきて、なるべく失礼の無いような文章を心掛けて、見学に伺いたい旨を書簡で伝えました。
しばらくして大隅さんから許諾の返信があったので見学に行き、その後も何回かお邪魔をしました。
その当時、大隅さん曰く「最後の弟子」が修業をしていて、もう弟子は取らないと話していたのを、無理矢理にでも入り込むつもりでおりました。
今に思えば、無謀な少年の拙速さがありました。

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