「刀鍛冶への弟子入りについて」の炎上をうけて ①「歴史的考察」


私が発信したこれらのツイートに関して、いわゆる炎上したことをうけて、①徒弟制の「歴史的考察」や、②「刀鍛冶の師弟」、③「将成鍛刀場の事情」等を3章に分けてお伝えしたいと思います。


①「歴史的考察」

まず「徒弟制」というものの歴史的な考察を、不勉強ながらも私見を交えて述べていきます。

弟子を表す徒弟というものは古くからあったのだと想像しますが、私ども伝統的なことに携わる人間が知る「徒弟制」が制度化されてきたのは、おそらく江戸のはじめから中頃にかけてだと思います。
戦乱の歴史に終止符を打った徳川幕府による社会統治、その社会的安定がもたらす経済発展、鎖国に伴う内需拡大振興、そして大事なのが人口増加と「家父長制」と考えます。

現代社会においては、この炎上に見られるように他人の個人的事情にまで好き勝手に発言できる「言論の自由」や、「表現の自由」、「職業選択の自由」「信仰の自由」など、あらゆる『自由』が社会を運用していくなかでの個人の活動を保証する概念として重要視されています。
おそらく今のそれと同様に、当時は「家父長制」というものが相当に重要な概念だったはずです。

つまりは家督、家業を継承する長男だけが最重要視され、長男以外の子女は「家」の「家計費削減」のために外に出されていたのです。
そこで、経済発展の影響により都市部などでは人手が必要で、それらの利害が合致したのでしょう。
件の「弟子」「小僧」や「丁稚」「奉公人」と呼ばれる人材です。
皆、基本的には「年季(期間)」が定められ、工人なら師匠、商人なら旦那のもとに10歳頃から住み込んで働いていたようです。
彼らはまず殆どは無給で、休みはお盆と暮正月、藪入りのそれぞれに1日2日程度の休みしかなく、その時にだけは小遣い銭などを貰えたといいます。「足袋を新調してもらえて嬉しかった」、なんて涙ぐましい話も読んだ記憶があります。
そうやって、年季の期間中は工人なら技術習得、商人なら営業、経理など経営の基本を覚えて、一人前を目指します。さらに年季が明けて(終わって)、その後も1年ほどは「礼奉公」として務めます。
そうして後に、独立開業をするなり、引き続き師匠、旦那の元に残るなりして、やっと初めて収入を得ていきます。

これが私が書籍などで知った「弟子」「丁稚奉公」というものの生活です。
あまりにも今の労働と違いすぎる「家父長制」をもとにした「徒弟制」が現代で理解されにくいのも仕方のないことです。
ですが、こういう働き方で回っていた社会があったことを知っておいてください。

続く

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